その新連載3回目は、竹島問題、韓国側主張に合理的根拠なし!
というタイトルで、竹島問題について、又、1000字で解説させて頂きました。
又、ZAKZAK版にも翌9月21日に掲載されました。
【中国・韓国にこう言い返せ!】★(3)
竹島問題、韓国側主張に合理的根拠なし!
韓国については、竹島問題について言わねばならない。島根県・竹島は日本固有の領土であり、その領有権の正当性には一点の疑いもない。
江戸時代以来、日本の領土であったこの島は、GHQ占領下だった1952年1月に韓国大統領が、自らの名前を付けて不当に設けた「李承晩ライン」によって、力ずくで強奪されてしまった。それ以降、韓国は実効支配を強化しながら今日に至り、先月10日、ついに李明博大統領自身が不法上陸し、日本国民の強い反発を招いている。
竹島問題の論点は、主に3点だ。
第1は、江戸時代以来の竹島領有をめぐる歴史であり、第2は1905(明治38)年に日本が近代国家として行った竹島の領土確定に関する国際法上の正当性であり、第3はサンフランシスコ講和条約における竹島の法的地位である。結論から言うならば、以上の3点、全ての点において日本側の主張は正しく、韓国側の主張には何ら合理的根拠が存在しない。
江戸時代初期、鳥取藩の回船業者は、竹島はもとより鬱陵島に渡り、アワビ採取やアシカ猟に精を出していた。幕府がこれを許可した文書が残っている。その後、国境確定の問題が生じたが、1696(元禄9)年、幕府は鬱陵島を朝鮮領、竹島を日本領であるとし、問題は解決していた。
明治維新を経て近代国家となった日本は、1905(明治38)年、閣議決定と島根県告示により、正式に竹島を日本国の領土に編入した。日本の漁民は江戸時代以来、竹島を漁業の拠点として一貫して利用してきていたので、これは極めて自然な流れであった。
この時まだ、独自の外交権を有していた大韓帝国政府は、竹島の日本領有確定に一切抗議しなかった。
敗戦を経て、51(昭和26)年、日本は再独立のためにサンフランシスコ講和条約に調印する。条約交渉過程で、韓国政府は竹島を自国領であると主張したが、米政府はこれを認めなかった。51年8月10日付のラスク米国務次官補が韓国政府に宛てた文書「ラスク書簡」には、「竹島は1905年以来、一貫して日本の領土であり、朝鮮の領土として扱われたことはない」と記されている。
不利を悟った韓国は、講和条約が発効される直前に李承晩ラインを設置して、竹島を強奪したのであった。65年に日韓基本条約が締結されるまで、韓国は日本漁船328隻を拿捕し、44人を死傷させた。
60年、時の駐日米国大使(マッカーサー将軍のおい)は本国政府に対し、「韓国に圧力をかけて、竹島を日本国に返還させるべきだ」と訴えている。米国は日本の正当性を理解していたのだ。
(国際政治学者・藤井厳喜)