総和社
1600円
328ページ
出版社:総和社(2010/11/27)
ISBN-10:4862860451
ISBN-13:978-4862860453
発売日:2010/11/27
『日本はニッポン! – 金融グローバリズム以後の世界』
(藤井厳喜・渡邉哲也・共著/ケンブリッジ・フォーキャスト・グループ編/総和社)
渡邉哲也(@daitojimari)さんは、私、藤井厳喜(@GemkiFujii)にとっては先ず、Twitterの先生であった。Twitterを始めた時に色々、Twitter上のノウハウをやさしく指導してもらった。私にとっては双方向のメディアを使うのは初めての事なので大変、有難かった。彼と知り合っていなかったら、Twitterは三日坊主でやめてしまっていたかもしれない。
この本の企画も実は、Twitter上での渡邉さんとの会話から生まれてきたものである。
初めは、一緒に講演会を開こうという話になり、2010年の4月、四谷で二人の講演会を開いた。
世界経済の現状と見通しがテーマであった。
打合せは殆どなしで、交互に講演を進めたが、私自身から見ても、大変に話の連携プレーが巧くいって、内容の充実した講演会になったと思っている。実際、参加者の方からは大変、好評を頂く事が出来た。
当日の話の構成がシッカリしていたので、これを何とか本にしたいという想いが湧きあがり、渡邉さんも快諾してくれたのでこの講演会の記録をもとにした共著の本を出版しようという話になった。
そのまま事がスムーズに運んでいれば、遅くとも8月には本は出版されていただろう。しかし、そこに私の参議院選挙全国区からの立候補という事態が持ち上がり、この企画は棚上げになってしまった。
参議院選挙の後始末がついた頃に、渡邉さんから、この本の復活の話を頂戴し、即座に快諾した次第である。
彼の著書『本当にヤバイ!欧州経済 』や、彼のブログ「代表戸締役 ◆jJEom8Ii3Eの妄言」を見れば分かるように、渡邉さんは大量の生情報を持っていると同時に、経済の未来を見通す目は透徹している。某テレビ局で経済討論会に二人揃って参加した事もあったが、彼と私の話は大変よくかみ合うし、ある意味で相互補完的な部分もあると感じていた。
共同講演会でもこの事が再確認された訳だが、この本の根幹部分を成す対談は、私自身にとっても大変知的に楽しく、また適度にスリリングな体験でもあった。
我々、共著者の共通認識は、金融グローバリズムの時代は完全に終焉し、経済ナショナリズムの時代が始まった、という事である。日本のマスコミはこの明々白々な事実すら、正確に報道しようとはしないが、2008年9月、リーマンショック以降の世界経済の現実を見ていれば、この事実を否定する事は誰にも出来ないだろう。一方、世界経済の相互依存の度合いが既に進んでしまっているのは事実であり、ここに経済ナショナリズムと相互依存の複雑な関係が現れて来る。経済ナショナリズムと言っても、相互依存の現実を無視しては、一国の経済利益を守る事すら出来ないのである。2011年以降の世界経済についても、両著者はかなり暗い見通しを持っていると言ってよいだろう。
この稿を書いている現時点での、眼前の最大の問題は、アイルランド救済である。EUとIMFは「優等生アイルランド」を見捨てる事は出来ず、救済案はまとまるであろうが、その後のスペイン等をどのように救済するかについては(あるいは救済しないかについては)全く先が読めない状況である。確実に分かるのは、PIIGS諸国の問題解決には、ヨーロッパ経済全体の構造改革が必要であり、長い時間と厖大なコストがかかるという事である。ユーロ圏自体が崩壊する事態も十分に予測できる。PIIGS諸国がユーロを離脱し、旧各国通貨に戻る可能性はあるし、理論的可能性としては、逆にドイツがユーロを離脱してしまうシナリオも有り得るのである。
多くのエコノミストは、新興国の経済発展が世界経済の新しい成長のエンジンとなる事を期待している。新興国の経済成長率が先進国より高いのは確かであるが、直ぐにこれら諸国の経済発展が日米欧の先進国にとって代わり、世界経済のエンジンとなる事は有り得ない。それはあまりに楽観的なシナリオである。著者の一人、藤井は1984年の第一著作『世界経済大予言』(光文社)において、既に低開発諸国の経済発展が世界経済成長のエンジンの1つとなる可能性を指摘しておいた。(ゴールドマン・サックスの『BRICs論』が発表されるふた昔も前の事である。)
しかし、その著者の目から見ても、現今の新興国への期待は過剰と言わざるを得ない。渡邉さんは、資源限界と環境問題の点から、新興国の経済発展への過剰な期待は禁物であると分析している。
共著者は二人とも、国際経済の現実を良く知る国際派であると同時に、何よりも日本の国益を重視する国益派でもある。そして、戦後の日本経済の高度成長と、それを支えた日本的経済運営や日本的経営を高く評価している。『日本はニッポン!』という本書のタイトルはそこから生まれている。終身雇用・年功序列・護送船団方式・株式持合い・簿価会計・系列の団結力・メインバンク制、などは立派に日本経済の発展に貢献してきたのであり、それなりに欠点はあったものの、また何ら全面的に否定されるものでも無かったのである。
これらを廃止したのは、日本人自身の判断というよりは、日本経済を弱体化しようという外国の勢力の影響に日本人が踊ってしまったからである。一度は世界最強となった製造業を中心とする日本経済は、金融グローバリズムという外圧によって、ボロボロになるまで解体されていったのであった。過去20年間の経済停滞とは、正にこの解体の過程そのものであった。
現在、周りを見渡してみると、世界経済をマクロ的に正確に把握し、日本経済のゆく道をシッカリと指し示している本は、残念ながらこの本以外には無いように見受けられる。
日本の国益を考える方には、勿論、読んで頂きたい一冊である。著者以外の政治的立場をとる人達もいるだろうが、それらの人にも是非、一読し、建設的な批判を頂きたいものと思っている。エビデンスに基づいた公開討論ならば、いつでも受けて立ちたいと、そのようなチャレンジを両著者とも楽しみに待っている。
【目次】
●まえがき(藤井厳喜)
●はじめに(渡邉哲也)
世界に広がるバランスシート不況
クレジット・クランチ(信用収縮)とは心筋梗塞のようなもの
『お金は経済の血液であり、銀行は心臓である。』資産バブル資産デフレ
欧州の「失われた10年」はこれから ―デフレ長期化がECBを襲う
強まる保護主義化と世界の枠組み
世界的なバランスシート不況 他
●第1章「世界は金融保護主義の時代に突入した!」
アメリカでは、金融業叩きが票になる
グローバリズムへの反動と新興国の資源爆食 他
●コラム・猫諸君!? 藤井厳喜
〈日本的「新国民経済学」の構想〉
●第2章「世界バブルの連鎖反応はこう起きた」
バブル連鎖の構造
バブルとクレジット・クランチは、なぜ連鎖するのか?
円・キャリー・トレードの罪
なぜ、人民元は基軸通貨になれないのか
●コラム・猫諸君!? 藤井厳喜
〈日本経済は復活できる ― 行なうべき経済政策と民主党経済政策の迷走〉
●第3章「ヨーロッパ・バブルの発生の構造とユーロの運命」
水増しギリシャがユーロを破壊する!
ヨーロッパ内の南北問題
日本国債は破綻しない
金融商社の広告塔になった評論家たち
●コラム・黒いセーロン? 渡邉哲也
〈PIIGS問題の今〉
●第4章「低開発国の発展と資源限界」
欧米知識人の偶像崇拝はもう止めよう
資源を爆食する新興国
中国発展論の不毛と原油埋蔵量
人種差別とCO2排出権と金融投機
水なくして近代工業の発展なし
チャイナが犯す日本の水資源
麻生外交の隠れたヒット
「観光立国」は亡国への道 他
●コラム・黒いセーロン? 渡邉哲也
〈資源と水と中国〉
●第5章「日本経済はいかにして、世界の覇者となったのか」
日本的経済運営とは何だったのか?
連戦連勝だった日本連合艦隊
アメリカの対日宣伝工作の大成功
小泉・竹中改革の功と罪
金融とITと農業で日本を攻めろ! 他
●コラム・猫諸君!? 藤井厳喜
〈アメリカの共和党と民主党と、その対日政策
― ビジネスマンは、アメリカをどう読めばいいのか?〉
●第6章「世界を制した日本は、いかにして解体されたのか」
食糧で日本を攻めたアメリカ
不毛の「仕分け」と日本を更に解体する、民主党の市場原理主義
冷戦後の世界と新興国問題
資源国としてのロシア 他
● コラム・黒いセーロン? 渡邉哲也
〈「事業仕分けの嘘」と、「特別会計の真実」〉
●第7章 「日本は日本の道をゆけ!」
世代間戦争を防げ!
日本人には日本人の経済学を!
アダム・スミス VS フリードリッヒ・リスト
アメリカ流市場経済とチャイナ流イチバ経済
ヨーロッパはISO、日本はJIS
スウェーデンは福祉・理想社会ではない
円高を前提にした日本繁栄論を! 他
●コラム・黒いセーロン? 渡邉哲也
〈尖閣諸島とレアアース〉
●第8章 「金融グローバリズム以後の世界」
藤井裕久財務大臣の大罪
族議員は必要である!
過疎化にこそ「仕分け」が必要
郵便局は、こう活用せよ!
経済政策としての「戦争」
ユーロ危機後の世界: 通貨不備人競争の時代
骨抜きにされた米金融規制強化 他
●コラム・黒いセーロン? 渡邉哲也
〈日本経済悪化の最大の戦犯は、藤井裕久元財務大臣〉
●エピローグ(藤井厳喜)
「新しい中世」という未来 ― 群雄割拠、地域統合、グローバル・ノーマッド
二二世紀の未来図
通貨の統合
人と言語
「フラット化」しない世界 他
●付録年表:グローバル・バブル崩壊のプロセス
●あとがきにかえて 「くろいひと・渡邉さん論」