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ブログの方、少し御無沙汰しております。
すっかり季節は梅雨になりましたね。
今、あじさいの花が大変、綺麗です。
石壁に 紫陽花と薔薇 咲きにけり 厳喜
散歩の途中に、青紫色の美しい紫陽花の花に目がとまりました。
ふと、上を見上げると、真っ赤な薔薇が、一輪、開いていました。
何とも見事な色彩の取り合わせでした。
さて、今回は、2日前に私が読んで大変感動した本の書評を載せさせて頂きたいと思います。
書評 『原発はなぜ日本にふさわしくないのか』竹田恒泰・著(小学館)
「保守派はイコール原発推進派でなければならない」という迷妄を打ち破った名著です。
原子力発電について考える全ての人々に、特に日本の伝統を重んじる人々に読んで欲しい本です。
著者の竹田恒泰さんは、既に広く知られているように、明治天皇の玄孫にあたる憲法学者です。
この本で始めて知ったのですが、竹田さんは学生時代から反原発の市民運動に参加されてきたのだそうです。
本で取り上げられている反原発の理由は、皆、科学的であり常識的であり、納得のゆくものばかりです。
この本のユニークさは、原子力発電という危険で未完成な技術が、日本という国のありよう、日本の国ぶりにいかにそぐわないか、という事を、著者が強調されていることです。
「原発には愛がない」という序文の言葉が、ズバリこの本のテーマを言い表しています。
私はおそらくこの本の出版を最も喜んでいる人間の1人です。それは、私自身が「脱原発」を唱えているからです。
私は、所謂「保守」の人間と見られていますが、(保守の定義が何であるかは人によって異なるでしょうが…)
3・11以降、明確に「脱原発」の言論を活発に展開してきました。
この為に、多くの心ないありとあらゆる中傷や、非理性的な批判を受けてきました。
これらの批判の寄って立つところは、大体において「保守は原発推進でなければならない」という思い込みです。
日本列島を守り、日本の伝統を守る立場からすれば、反原発ないし脱原発は当然の主張です。
多くの所謂「保守」の人々が、深い考えもなしに、未だに原発推進を唱えているのは、日本国を滅ぼす愚論中の愚論と思えてなりません。
この本は、特に原発推進が国益にかなうと勘違いしている人達にこそ、読んでほしい本です。
我田引水になりますが、私がブログで公開している脱原発論と合わせて読んで頂けると一層、説得力がある議論になると思います。
私は主に、安全性の点は勿論、日本のエネルギー自立と核武装実現という戦略的な視点から「脱原発」を唱えています。
日本の文化・文明の在り方と、原子力発電という技術が相いれないものである事を、論証してくださった竹田恒泰さんに心から感謝します。
また、この時期に、批難の嵐を覚悟で、この書を公にされた著者の勇気を称賛したいと思います。
《お知らせ:藤井厳喜・新刊 6月24日、いよいよ発売 》
『超大恐慌の時代
』 藤井厳喜・著 (日本文芸社)
著者もビックリの凄いタイトルですw(><) (表紙もインパクト…)
一時、候補になっていたタイトルに『世界大破産』というのもありました。(←これを見た時、流石にふきだしましたwww)
世界経済を冷静に観察すると、日米欧中、みな揃って、景気が下降していることが分かります。
特に日本においては、日本銀行と民主党政権がデタラメな経済政策を実行しているので、このままでは二番底に陥ることは確実です。
3・11の東日本大震災と、福島原発事故は、事態を更に悪化させてしまいました。
リアルに世界経済の現状を分析した本ですが、勿論、日本が最後のババを引かない為にどうしたらよいのかの対応策についても論じています。
分かりやすく、図表もたくさん入れてありますので、経済が苦手という方も是非、手にとって、読んでみて下さい。
2011年に入ってからの中東騒乱も含む、最新情勢までカバーしてあります。
↑ 6月24日・いよいよ新刊発売決定!!
※ 藤井厳喜へのメッセージ、講演や仕事等の依頼も、以下アドレスまでお願いいたします。
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↑↑ 今、注目の電子書籍の実情、出版業界・コンテンツ産業の未来を考察できる最も分かりやすい参考書だと思います。実はこの本の中で、私の事も、本ブログの話も出てきますw お楽しみに…。
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「撃論ムック」がリニューアルされ、最新号 撃論 富国強兵号 vol.1「いまだ放射能で滅んだ国は無し、原発よりも危険な中国に備えよ!」 (OAK MOOK 377)
が、4月28日に発売されました。
その号内に、私は、この「日本核武装推進論」を寄稿しました。
私は、「脱原発」論者ですが、その上で、核武装は必要であると考えています。
本論文は、3月11日以前に書いたものですが、全く変更の必要はないと考えています。
この「日本核武装」に関する拙論を、震災以降の私の一連のブログ公開論文と合わせ完全公開し、幅広い方々に多く読んで頂きたいという願いに対し、今回、特別に、論文を寄稿した出版社(オークラ出版様)の快諾をいただく事がかないました。
版元のオークラ出版社、並びに編集部の御理解、御厚意に、改めて感謝申し上げます。
脱原発と核武装推進は一見、矛盾すると考える方も多いでしょうが、そういった方々にこそ、是非、他の諸論文と合わせてこの論文を読んで頂きたいと思っています。
様々な御意見が寄せられる事を期待しております。
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新しい“リアリティー”の時代へ ― 21 世紀、日本の選択
「震災日本だからこそ考える改憲と核」
藤井 厳喜
チャイナの膨張と核拡散はアメリカの一国優位を崩壊させ、時代は混迷の世紀へと向かっていく。
日本は国内的にも対外的にも困難の時代へと立ち向かってゆかねばならない。
■ もはや核武装はタブーではない
2011年2月15日付・産経新聞は、同社が行なった政治・安保世論調査の結果を公表した。
この調査によれば「政府や国会が核問題に関する議論をするのは賛成か?」との問いに、何と
86.7パーセントが賛成と答えている。
また、「北東アジアの核兵器の現状をどう感じているか?」との問いに対しては「不安を感じ
る」と答えたものが84.1パーセントもいる。
又、「非核三原則の見直しを肯定する」という者が39.0パーセントおり、「米国の核の傘を信頼できない」と答えたものも32.6パーセントに上った。
つまり、非核三原則見直し派は約4割おり、自主核武装への道に連なるアメリカの核の傘を信頼できないとする人が約3人に1人いたわけである。
北朝鮮の核兵器保有宣言等を受けて、日本においても、核抑止力に関する議論をタブー視せず、堂々と国会で核問題を論議すべきだという意見が圧倒的多数を占めるようになった。
ようやく議論の入り口に辿りついた、という感じである。
日本国民は、いかに自らの手で自らの安全を守るかの議論を、勇気を持って始めようとしている。
やっと辿りついたこの議論の入り口から後戻りする事はもう許されない。
現実を直視し、我々自身の安全を守る手段を、主体的に決断してゆかなければならない。
こんな当たり前の事を今更のように強調するのも気が引けるが、それだけ防衛問題、特に核問題についてはタブー視する力が強かったのである。
結論から言えば、私は以下の様な原則に従って、日本は国防政策を構築すべきであると考えている。
(1) 自主国防
言わずもがなであるが、国防は自主防衛が基本である。
自らの国を自らの手で守り、その足らざるところを他国との協力関係、また同盟関係によって補っていくべきである。
他国に対する依存から始まる国防論議はナンセンスである。
しかし従来の国防方針においては、「初めに日米安保ありき」が原則であり、前提であった。
アメリカが日本を守ってくれる事を前提とし、その足らざるところを補うのが自衛隊である、というのが基本方針であった。
この方針を根本的に逆転させなければならない。
つまり、自主国防が主であり、その足らざるところを日米安全保障条約等によって補うという新方針を国防の基礎に据えなければならない。
(2) 憲法9条改正
当然、最低限の条件として、憲法9条の改正は必要である。
日本人は国防軍を創設し、自らの安全を守る旨を憲法に明記すべきである。
(3) 核武装
核兵器が拡散してゆく状況を見ると、もはや、日本の核武装は避けて通る事が出来ないであろう。
国防体制は、1つのシステムとして整備しなければならず、核装備を欠く国防システムでは、日本国民の生命と安全を守りきる事は出来ない。
これは現実をよく見てみれば、簡単に了解できる事である。
好悪の問題は別として、日本人の頭上に第3発目の核兵器が炸裂する事を防ぐ為には、日本の核武装は不可避であろう。
(4) 対米同盟堅持
国防におけるアメリカとの協力関係は、これを維持・発展させてゆくべきである。
核武装を含む自主国防体制を整えた日本が、アメリカと、そしてアジアの民主国家と手を携えて、地域の安定秩序を保ってゆく事が、日本の基本方針である。
核武装した日本とアメリカとの同盟関係は可能である。
可能であるばかりではなく、日本が核武装を含む自主防衛努力を高めてこそ、より強い日米関係の構築が可能となる。
アメリカが日本の核武装を原則的に拒否しているというのは、もはや、完全に過去の話である。
以上のような結論に、何故到るのかを以下に論証してゆきたい。
■ 核拡散防止体制は有名無実
核兵器の拡散を防止する体制は、今や確実に崩壊しつつある。
米ソ冷戦時代は一応、国連安全保障理事会の常任理事国のアメリカ・イギリス・フランス・ソ
連・中共(チャイナ)の5大国による核兵器の独占体制が維持されていた。
インドはいち早く核武装し、イスラエルも事実上核武装している事は周知の事実であったが、それ以上の核兵器の拡散は、防ぐ事が出来ていた。
この時代であったならば、日本がいたずらに核武装に走る事は、明らかに国益に反していただろうし、日本の安全の為に核武装を考える必要は全くなかった、と言ってもよい。
言いかえれば、フィクションとしての「アメリカの核の傘」は存在する事になっていたし、そ
のフィクションを多くの人々が受け入れる限りにおいて、フィクションは又、現実でもあった。
そして米ソ冷戦時代においては、我々はソ連及びその周辺の共産国の脅威だけに関心を集中していれば良かったのである。
この時代、特にニクソン訪中によってソ連の脅威に対する米中の戦略的提携が存在した当時は、中共の核兵器はそれが未だ、技術的に未発達であった事もあり、日本に対しては殆ど脅威ではなかった。
ところがこういった戦略環境は全く一変してしまった。
まず第一に、現在の国際環境においては、日本にとってもアメリカにとっても、最も警戒すべき脅威はソ連からではなく、中共(チャイナ)から発している。
中共の軍事拡張主義と覇権主義が日本にとっては眼前明白の危険である。
そればかりではなく、アメリカにとってもチャイナの脅威が最も現実的なものであり、それは他の東アジアの民主国家にとっても同様である。
(※これについては詳しく後で述べるが、今や米中間には核の相互確証破壊が成立してしまっており、アメリカの日本に対する核の傘は存在し得ない状況となっている。)
第二に、核兵器の拡散が現実に既に始まってしまっている。
インドに対抗してパキスタンは既に核保有国となったし、北朝鮮が核兵器とまでは言わなくても、「核爆発装置」を手に入れた事は確実視されている。
これに刺激されて、更にイランが核兵器開発をし続けている事も周知の事実である。
サウジアラビアやベトナムやシリア、トルコ等の国々も皆、核武装に積極的な関心を示している。
特に日本にとっては、アメリカが北朝鮮の核武装を防げなかったし、それを放棄させる事が出来ない、という事実は圧倒的に重要である。
このように客観的な戦略状況が変わってしまった以上、1991年のソ連邦崩壊まで有効であった日本の国防原則は、根本的に再編しなければならないのである。
■ 米中で成り立つ相互確証破壊
やや複雑かもしれないが、以下で、米中間には既に相互確証破壊の現実が存在しており、それ故にアメリカの日本に対する「核の傘」は存在しない事を論証してみよう。
まず、相互確証破壊(Mutual Assured Destruction:MAD)の論理とは、何だろうか。
今、チャイナがアメリカを滅ぼす為に核兵器による先制攻撃を行なった、としよう。
チャイナによるアメリカに対する核第一撃(Nuclear First Strike)である。
この核第一撃が完全に成功して、アメリカ国民の過半数が死に絶える事があっても、アメリカは反撃能力を備えている。
つまり、地下のミサイル・サイロに格納したICBMや、潜水艦に搭載したSLBMがチャイナの核第一撃をサバイバルする事が出来るようになっている。
そこでアメリカはこれらの核戦力を用いてチャイナに対して報復を行なう事になる。
つまりアメリカによる核第二撃(Nuclear Second Strike)である。
この核第二撃によって、チャイナも壊滅的な打撃を受ける事になる。
これはアメリカがチャイナに対して核第一撃を行なった場合でも、同様の筋道を辿る事になる。
つまり、どちらが核の先制攻撃を行なっても、最終的には自国を破壊してしまう事になる。
共倒れである。
核戦争に関わる両国が共に確実に壊滅してしまうので、この状況を「相互確証破壊」と呼んでいる。
英語で略称して「MAD」と言うが、これは「狂気」という意味でもある。
つまり相互確証破壊は「狂気の論理」であるという、掛け言葉にもなっているのである。
この相互確証破壊の論理はアメリカとロシアの間にも存在しているし、アメリカとチャイナの間にも存在している。
それ故に、指導者が合理的な思考をする限りにおいては、これら両国は核第一撃を用いる事が出来ない。
核先制攻撃に成功しても、自国が壊滅してしまうからである。
それ故に相互確証破壊の論理が成立する二国間では、核の安全が存在している事になる。
分かりやすく言えば、お互いに核兵器を向けあったまま、睨めっこをしている状況である。
核兵器による「恐怖の均衡」が成立している状況である。
■ チャイナの軍拡は「核の傘」を破った
相互確証破壊とは、以上のようなものであるが、問題は、この相互確証破壊の論理が成立しない周辺国に生じて来る。
かつては、チャイナは核一撃力は持っていたが、アメリカに対して核第二撃力は保有していなかった。
つまり、SLBM(潜水艦搭載の戦略核ミサイル)の開発が出来ていなかったのである。
この時代であれば、チャイナの日本に対する核の脅威に対して、アメリカの「核の傘」は論理的には成立する事が出来た。
例えば、チャイナが日本に対して核攻撃を行なう。
これに対する報復としてアメリカがチャイナを核攻撃する。
しかしチャイナは核第二撃力を保有していないので、アメリカに対して核兵器で報復をする事が出来ない。
こういう状況であれば、アメリカが国家意志を発動しさえすれば、日本を核攻撃したチャイナに対して、報復をする事は出来た訳である。
また、チャイナが日本とアメリカに同時に核攻撃をした場合でも、アメリカはチャイナに対して核第二撃力で報復する事が出来る。
このような推論が成り立つ限りにおいては、チャイナが日本に対して核攻撃をしてこない事が保障出来たのである。
これがアメリカの日本に対する「核の傘」と言われているものの内実である。
つまり、アメリカが日本に提供する「核の傘」は、チャイナが核第二撃力を保有していない事を前提としてのみ、成立するものである。
ところがチャイナは、長年の開発努力によって既に「巨浪?号」等のアメリカ大陸を射程圏内に収めるSLBMを開発してしまった。
つまり核第二撃能力を既に手にしてしまったのである。
そうである以上、アメリカの日本に対する核の傘は、論理的に存在し得ない事になる。
「チャイナが核第二撃力を持っている状況下でも、アメリカの日本に対する核の傘が存在し得る」と主張したら、それはどんな事を意味するのであろうか。
それはこういう事である。
チャイナが日本に核攻撃を行なう。
それを見たアメリカがチャイナに向けて核攻撃を行なう。
その報復としてチャイナはアメリカ本国に対して自らの核第二撃力の報復を行なう。
当然、アメリカ本国は壊滅的な打撃を受け、少なくとも数千万人の死者が発生する事であろう。
この状況が有り得るならば、「チャイナの核第二撃能力」と「アメリカの日本に対する核の傘」は両立し得るのである。
しかし、どの国の指導者が、既に滅んでしまった友好国の為に、数千万人の自国民の生命を犠牲にする事が出来るだろうか。
現実的な想定としてはそれは有り得ない。
そのような決断をするアメリカ大統領がいたとすれば、彼は国に対する裏切り者と見なされるだろう。
そうである以上、常識の論理の範囲では、今日もはや、アメリカの日本に対する核の傘は存在していないのである。
それは単に「言葉として」しか存在しない。
それを信じる日本人がいるとすれば、よほどの脳天気かアメリカ指導者の狂気を信奉している者であろう。
言いかえれば今日、「アメリカの核の傘」は、アメリカ国民数千万人の命の代償によってしか、成立し得ないのである。
日本側からアメリカの核の傘の保障を要求するとは、自らの国防努力の不作為を棚に上げて、「いざという時には数千万人のアメリカ国民は、無条件に日本の為に命を捧げるべきだ」と主張しているのに等しいのである。
こんなに無責任で傲慢な要求が有り得るだろうか。
日米関係が真の友好に基づく、有効な同盟関係となる為には、同盟が、数千万人の命の代償等というトンデモナイ前提に基づくものであってはならない。
当然の事であろう。
このようなジレンマから脱して日米関係を健全な基礎の上に築くには、日本が自主核武装を
するしかないのである。
■ 民主国家の核はアメリカも認める
日本の自主核武装を論ずる場合、常に提議される疑問は「アメリカがそれを容認するか」という問いである。
これに関しては、アメリカの中では様々な考えがある事を前提としても、筆者は、今日では「容認する」と答えられる。
現実に即して言えば、軍事的なリアリスト(共和党と民主党の両党に存在する)の間では、答えはYESである。
一部の極端なリベラル派、親中派、反日派は明らかに反対するであろうが、日本をアメリカの重要なパートナーと考えている指導者の大部分は日本の核武装を肯定せざるを得ない。
「せざるを得ない」と書いたのは、彼らは日本に対して核武装をしろ、とは恐らく積極的には主張しない。
しかし日本側が、「健全な日米同盟の発展の為には、日本の自主核武装が必要である」と主張すれば、彼らはその日本の主張を肯定せざるを得ないからである。
そもそも日本の核武装を論じようとする日本人が、アメリカがそれを肯定するか否定するかを気にしているというのは、原則的に陳腐な事である。
アメリカが否定して来るとすれば、いかにしてアメリカを説得するかを考えるのが真の愛国者の道である。
しかし今日幸い、戦略環境が大きく変わり、まして北朝鮮まで核保有に手をかけた状況では、アメリカは友好国日本の核保有に対してNOという事は出来ないのである。
「日本は民主国家である」とアメリカに認識されている。
その民主国家が堂々と国民の議論と法的な手続きを経て核武装しようというのであれば、いかなるアメリカ人の政治家といえども、表立ってはこれを否定する事は出来ない。
私も何人ものアメリカの政治家や外交関係筋に日本の核武装についての彼らの態度を打診したが、最大公約数の答えは、
「民主国家の核武装は北朝鮮の様な、ならずもの国家の核武装とは全く異質である。
日本人が国民的議論を経て核武装を決定するならば、これをアメリカは否定する事は出来ない」
というものである。
日本核武装を歓迎する事は出来なくても、否定する事は出来ない、というのがアメリカの常識である。
確かにアメリカの指導者の多くは、日本がいつまでもアメリカにとって都合のよい存在であってほしいだろう。
しかし同時に彼らは日本人が独立と名誉を重んじる国民である事も知っている。
それ故にいつまでも、日本がアメリカの属国のような立場に甘んじられない事も知っている。
だから、日本がより成熟した同盟関係の構築を求めるならば、日本の核武装はその為のコストであると、現実的に見なしているのである。
さらにいえば、軍事的リアリストの中でもネオコンなどのタカ派の人々は、むしろ日本が核武装に進み、国防努力を高める事によってしか、今後の機能的な日米同盟は成立し得ないとさえ考えている(この点に関しては、日高義樹氏の「米国は『日本の核武装』に異論なし」『VOICE』2011年3月号参照)。
■ コートに落ちたままのボール
日米関係に関して論ずる際に、忘れてはならないのが2000年に発表されたアーミテージ・ナイ・レポートとその続編である。
この2000年の通称「アーミテージ・レポート」では、アメリカの日米関係に携わる民主・共和両党の専門家が、「日本をイギリス並みの同盟国として扱う」という提案を日本に対して投げかけて来た。
この提案に対して実は、日本側は国家として責任ある答えをしないままに今日に至っている。
レポート執筆に関わった複数の人間から聞いたところによれば「イギリス並みの同盟国としての扱い」とは、これ以上は考えられない、日本に対する最高の提案であり、これを日本人が拒否するならば、日米関係の未来は有り得ない、とまで彼らは考えていたのである。
にもかかわらず、個人的に様々な論評は出たが、日本側がアメリカに対して超党派の委員会を作り、意見をまとめて応答するという事は終に無かった。
ボールは日本側のコートに落ちたままになっている。
アーミテージ・ナイ両氏を筆頭にレポート執筆関係者が大いに落胆した事は想像に難くない。
行間を読めば、イギリスは核保有国である。
アーミテージ・レポートの中には「日本の核武装を歓迎する」とは書いていないが、イギリス並みの同盟国という言葉が意味するところは深長である。
同レポートの骨子は、日本が共同防衛により大きな負担を担うならば、それに応じて日本の独自の判断や自主性を尊重する、という事である。
日本はこのアーミテージ・レポートの提案に対して、積極的に新しい日米関係の構築を提案していくべきである。
■ 日本は真の「ニュー・ノーマル」へ
時にアメリカは、特に経済問題においては無理な要求をしてくるが、それに100パーセントYESと答える必要は全くない。
例えば現在、米オバマ政権は日本のTPP加盟を積極的に働き掛けている。
しかしTPPに関してはアメリカ国内でも反対意見が多い。
アメリカが一丸となってTPPを日本に強制しようとしている、というのは誤りである。
一般に今日のアメリカでは、行きすぎたグローバリズムに対する反省が拡がっている。
アメリカの国益、特に多国籍企業ではなく、中産階級や貧困層の利益を重視すべきである、とのアメリカ世論がリーマン・ショックの後は圧倒的になっている。
TPPはアメリカの多国籍企業には確かに利益になるが、農民を含む勤労アメリカ国民一般にとってはむしろ、彼らの利益を害するところの方が多い。
これを象徴するような事件が最近起きた。
共和党の中でも極端な草の根保守派であるリバタリアンのロン・ポール下院議員と、従来極左と見なされて来た市民運動家のラルフ・ネーダー弁護士が、反グローバリズムの旗のもとに共闘を宣言したのである。
両氏はWTOからの脱退は元より、既に締結したNAFTA(北米自由貿易協定:アメリカ・カナダ・メキシコを市場統合する協定)からの離脱まで主張しているのである。
自由貿易一辺倒で推進して来た貿易政策が、実はアメリカ国民の利益になっていないという反省が、ここには顕わである。
また、両者は海外での米軍の戦闘行為の即時中止と、海外の米軍基地の全廃をも訴えている。
これがアメリカ国民のコンセンサスとして、即時実施される事はないだろうが、アメリカの経済力が、相対的にではあるが徐々に衰退しつつあるのは確かであり、イデオロギーの問題ではなく、予算上の問題から、アメリカ軍は海外へのコミットメントを減らさなければならない状況にある。
アメリカの経済力・軍事力が絶対的なナンバーワンの地位から相対的なナンバーワンの地位へ
と滑り落ちつつあるのは確かである。
未だにアメリカの力を、特にその軍事力を見くびる事は許されない。
それ故に日本が友好国としてアメリカとの同盟関係を築いていく事は日本自身の国益の為にも勿論、必要な事である。
しかし衰退しつつあるアメリカに、いつまでも頼り続ける事は出来ない。
「安保タダ乗り論」は60年代から批判の的であったが、今やアメリカの経済力の衰退から、アメリカに防衛を頼り続ける事は既に、出来なくなっているのである。
これが新しいリアリティーであり、また最近流行の経済用語を使っていうならば、「ニュー・ノーマル」(新常識)でもあるのだ。
(了)
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《詳細・内容紹介》
【復興と再生の年、5年目を迎えた『撃論』がリニューアルして日本の安全を問う!】
眠り続けていた日本がようやく目覚め始めようとしている。
そのきっかけとなったのが、昨年秋の尖閣諸島での中国武装漁船テロ事件であり、今年3月列島を襲った未曾有の大震災ではなかったか。
「領土問題なんて話し合いで解決できる」「平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼しよう」
もはや、そんな寝言が通用する時代は過ぎたのだ。
「暴力装置」と呼ばれた自衛隊を感謝の涙で迎える被災地、「日本頑張れ」と世界中で振られる日の丸を目にして、われわれは何を思うか。
世界に愛される日本、それは戦う日本である。
内に大震災、外からは隣国の脅威……新生撃論・第一弾は、安全保障と国防に切り込む!
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エネルギー問題まで、独自の視点で解析するリニューアル第一号。
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● 目次
【カラー】自衛隊戦争ドクトリン
■中川八洋 <憂国の緊急寄稿> "風前の灯"尖閣列島と国防忘却の日本
■藤井厳喜 新しい"リアリティ"の時代へ ─ 21世紀、日本の選択 震災日本だからこそ考える改憲と核
■佐藤守 元空将・佐藤守の言論スクランブル ─ この危機にこそ、目を離すな
■石破茂自由民主党政務調査会長 <特別インタビュー>震災と原発事故から考える国防体制
■井上和彦 水面下の国防体制構築に原子力は不可欠の時代だ ─ 日本原潜配備計画
■仲間均石垣市議会議員 <特別寄稿> 我が尖閣上陸の記
■桜林美佐 「武器輸出3原則」緩和だけでは解決できない特殊な事情 ─ 防衛産業を理解すれば国防が見える
■元航空幕僚長・田母神俊雄×評論家・渡部昇一 <緊急会談>「日本人が今、日本のためにできること」
■家村和幸 自衛隊は何を守り、何と戦うのか ─ 革命政権に文民統制される『暴力装置』の危うさ
■宮崎正弘 中東民主革命の波及を恐れる中国共産党 ─なりふり構わぬ中国政府のネット規制
■土屋大洋 機密メールやデータがこっそり読み盗られている!? ─深く静かに潜航する中国のサイバー攻撃
■酒井信彦 侵略性の根本にある中華思想 ─ 全ての民族は「中華民族」という論理
■イリハム・マハムティ(ウィグル独立運動家) <特別インタビュー>国を奪われるということ
■大高未貴 アジアの諸国民から生声リポート ─中華を大包囲するアジアの反中親日感情
■アリムラヨシヒロ 「アジアの連帯」を唱えて再び走る亡国への道─支那幻想に狂い続ける現代のアジア主義者
■三橋貴明 インフレとバブルに怯える脆弱な足腰を解剖!─ 世界経済を牽引する「大躍進中国」の真っ赤な嘘
■青山千春 間近に迫る商用化で資源大国への道を開くか─日本近海に眠る膨大なメタンハイドレード
◎column
■浄閑寺せつ 「如果日本戦勝了日本」に読む漢化の恐怖 ─中国人とは何か?
■若杉大 ・泥沼という戦い方 ・空からエネルギーが降ってくる
◎連載
■西部邁 国家の危機を迎えた日本人に近代主義の危うさを問う「非常の思想」
■桜林美佐 自衛隊第五種接近遭遇リポート「百年の剣を磨く」
■岩田温 「たしなみとしての岩波文庫」
■但馬オサム 「但馬流異色日本人列伝 ~中村天風~」
■杉原志啓 「書行無常」
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「畏(おそ)る可き天の警告」
(※ 以下の本文は、既に発行された國民新聞5月号への寄稿文をNET上でも公開するものである。)
東日本大震災と福島原発事故の全ての罹災者の方々に、心よりのお悔やみとお見舞いを申し上げると同時に、一日も早い復興をお祈り申し上げる。
悲惨な罹災者の現状に同情を覚えつつも、同時に心中深く感じたのは、神々の振るう大鉈は悲情であるという事だ。
筆者は元来が宗教的な人間ではない。
しかし平成23年3月に日本を襲った大天災は、正に天が日本に下した災であり、神々の世界から日本人への警告であると思えてならない。
日本人の今の有様、今の生き方を改めよ、との天からの啓示である。
畏(おそ)る可き天の警告を畏(かしこ)み、傅(かしず)いて吾々は受け入れることが出来るのだろうか。
復興の必要は言うまでもないが、復興の前に、従来の日本人の生き方を、それは原子力発電という技術の利用も含めてであるが、反省しなければならないのではないか。
経済効率至上主義や技術過信は、究極的には唯物論につながる「人間の生き方」であるが、それらへの根本的反省なしに、単に「旧に復する」事のみに専心する様では、日本の将来は益々危ういものとなる。
天は日本人に警告を発し、その警告を通じて人類に黙示したのではないのか。
人類の文明の在り方そのものの転換を、示唆したのではないのか。
では何故、日本人が、東北がその警告の対象として選ばれたのか。
神は、人類の中で最も劣悪な者ではなく、最も優良なる存在を選んで、敢えて巨大な試練を課したのではないだろうか。
神は日本民族が必ず正しい道に覚醒し、新しい文明の先駆者となる事を確信して、この使命を日本民族に課されたのに違いない。
筆者は大正12年(1923年)の関東大震災もまた天から日本民族への啓示であり、黙示ではなかったのかと推察している。
あの天災を当時の日本への天界からの警告と捉え、日本の有り様に根本的反省と改革を加えていたら、大東亜戦争の敗戦は避けられたのではないか、と思うのだ。
あの美しい大日本帝国を亡ぼさずにすんだのではないか、と想像力を逞しくしているのだ。
1905年、日本は日露戦争に勝利し、世界の一等国となった。第一次大戦にも参戦し、日本の国力は更に伸張した。
その後の1923年に関東大震災が起きた。
その22年後、1945年日本は未曽有の大敗戦を迎える。
今思えば、関東大震災は、日露戦争の勝利と大東亜戦争の敗北の丁度、中間で起きている。
あの時、日本人が明治維新以来の急速な発展の歪みを正し、政治・経済・軍事機構のオーバーホールを実行していたなら、敗戦という悲劇を回避する事が出来たのではないか。
素晴らしい帝国を亡ぼさずにすんだのではないか。筆者はこの思いに捕われている。
明治初期に来日し、日本陸軍の将校教育の基礎をつくったドイツのメッケルは、日本軍人の欠点として、希望的観測に依存しすぎる事を挙げている。
聴く可き言葉であると思う。
東日本大震災の教訓を正しく生かさなければ、私達は一層、酷い敗戦にやがて直面する事になるのではないだろうか。
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原発継続は即ち日本の隷従化の継続である
要旨:
現行の原子力発電の継続は、即ち、「真の独立国家たり得ない日本」の現状の継続を意味する。
日本国の真の独立を望む人々は、現行の原発体制の廃止を決断しなければならない。
原発と憲法9条は表裏一体である。
本文:
日本の愛国者のかなりの部分が、原発は日本のエネルギー自立に有効であると考え、原発推進にくみしているが、現実は全く逆である。
原子力発電は憲法9条と表裏一体の関係にある。
原発と憲法9条は、共に日本の真の独立を阻害し、第二次世界大戦後の戦勝国のみによる国際秩序に、日本国を隷属させるものである。
原発は日本のエネルギー自立に全く役立たないばかりではなく、むしろ逆に、政治的力関係においてすら、日本を既存の核大国による秩序に隷属せしめるものなのである。
原発の安全性の問題は今しばらく棚に上げて、国際政治面からこの事を考察したい。
現在の日本の原発体制は、米英仏露中の5大核兵器保有国(それはそのままに国連・安全保障理事会の常任理事国でもあるが)が構築している所の、核拡散防止体制に従属している。
そして核拡散防止体制なるものが、実は、5大国による核兵器独占体制である事は周知の事実である。
そしてこの5大国が、基本的には、第二次大戦の戦勝国である事も言うまでもない。
ソ連がロシアに変わり、中華民国は中華人民共和国(中共)にとって代わられたが、戦勝国連合の枠組みそのものは今も生きているのである。
国連 The United Nationsとは、そもそも第二次大戦の連合国 The United Nations から発生した国際機関であることも確認しておこう。
インドやパキスタンの核武装で、5大国による核兵器独占体制は大分ゆらいできている。
しかしこの体制が未だに継続しており、実力を有しているのも確かである。
この体制は、核拡散防止条約(NPT)を中心に構築され、包括的核実験禁止条約(CTBT)によって補強され、国際原子力機関(IAEA)によって監視されている。
日本の原子力発電は、この「核拡散防止体制」に反抗する事によってではなく、この体制に完全に隷従する事によって成立している。
日本の原子力発電所や再処理施設においては、核分裂物質の管理は、IAEA(国際原子力機関)の厳重な監視下におかれている。
これは勿論、日本の核武装を防ぐ為である。日本は「絶対に核武装をしない」という前提条件を受け入れた上で、原子力発電を許されているのである。
特に、核武装に利用される恐れのある“再処理施設”に関しては、日本は核兵器を保有しない事を条件に、特別に“再処理施設”の運転を認められた国である。
日本は「核武装をしない」事を条件に、核拡散防止体制という国際秩序(International Regime インターナショナル・レジーム)の中で、原子力発電を許されているのである。
という事は、原子力発電と核武装は二者択一であり、二律背反であり、相いれないのである。
つまり、現行の体制で原子力発電を継続する限り、日本は核武装する事は絶対に出来ない。
そういう国際的な枠組みが既に出来てしまっている訳である。
言いかえれば、日本の原発推進論者とは、本人が意識するしないに関わらず、「日本は絶対に核武装しません。
その代わりに原発を許して下さい」と嘆願している哀れな存在である。
既存の国際的な枠組みを、唯々諾々として受け入れ、5大核大国に媚を売っている卑しむ可き存在である。
自覚せずに(原発がエネルギー自立に貢献すると誤解して)原発推進を主張する人々は、是非この機会に、目覚めてほしい。
もし自覚した上で原発推進を主張する者があれば、それは国の独立という最も大事な国益を売り渡す「売国」の輩と断じてさしつかえあるまい。
日本の電力業界や経産省の内部や周辺には、この手の売国の輩が少なからず存在する様である。
原発推進論者は核武装に反対してしばしば次の様に言う。
「核武装する為には核拡散防止条約から脱退しなければならない。
そうすれば、原発に必要なウラン燃料を海外から売ってもらえなくなる。そうすれば原発は動かない。」
これは尤もな意見である。(国内に蓄積したプルトニウムを原発燃料にするのでなければ)これは全く正しい。
という事は、原発を続ける限り、我々は核武装を自ら放棄しなければならないのであり、現にそうしているのである。
原発と憲法9条は、その根本から見て、全く表裏一体の存在である。
憲法9条の本質は、という事は現行“憲法”(内実は占領基本法)の本質は、という事にも繋がるのであるが、自らの安全を自らの手で確保する事を諦め、自らの命運を他国の手に委ねる所にある。
主体性の放棄である。
原発推進派の拠って立つ所も、全くこれと軌を一にする。
核武装という最も重要な自己防衛の手段を自ら放棄し、他国の手に自らの安全を委ねるのである。
そしてその代償として、原発という「銭儲け」には適しているが、エネルギー自立の為には屁の役にも立たない厄介なものを押しつけられるという訳である。
間尺に合わない、とは正にこの事である。
憲法9条的自己責任の放棄というメンタリティー(心的態度)の延長線上に、原発推進の論拠は存在している。
私はこの論考を、日本の核武装を真剣に考えている人達に向けて書いている。
核武装などという恐ろしい事は考えたくない、という人々は、この論考を読む資格も必要もない。
自国の安全を自らの手で確保しようと決意した者なら、核武装が避けて通れない事は自明の理である。
日本は周辺を核武装国家によって囲まれている。
そして東アジアには、チャイナと北朝鮮という最も危険な核保有国が存在する。
また、核兵器に対する抑止力が核兵器にしかない事は常識である。これらの現実を怯むことなく直視するならば、日本人の頭上に三発目の原発を落とす事を防ぐ最も確実な手段として、日本が核抑止力を持つ事を否定する事は出来ない。
アメリカの核の傘が存在しない事は、既に私の他の論文で述べたので参照して頂きたい。
単純に言えば、アメリカとロシア、そしてアメリカとチャイナの間には、「相互確証破壊」(MAD)の関係が成立してしまっているので、ロシアとチャイナに対しては、アメリカの日本への核の傘は存在していない。
アメリカのような強力な国家が友邦ないし同盟国であれば、一般的に言って、抑止力となる事は確かだが、厳密な意味では核の傘は存在しないのである。
北朝鮮のような第二撃能力がない国家に対しては、アメリカの日本防衛へのコミットメントさえ確かならば、アメリカの核の傘は存在する可能性がある。
しかし更に考えておかなければならない事態がある。
それは日米関係が激変する場合である。
アメリカがいつ迄、日本の友邦ないしは同盟国でいてくれるかは分からないという事だ。
こういった事態が到来すれば、日本は当然、独自の核を含む抑止力を持たねばならない。
しかし何も日米離反を前提とする必要はない。
米英関係、米仏関係、英仏関係を考慮するならば、独自の核戦力を持った国同士の間にも、成熟した民主国家間の友好関係は成立する事が可能である。
核武装した日本は、イギリスを範として、アメリカとの同盟関係を構築すべきである。
実際、2000年のアーミテージ・ナイ・レポートが日本側に呼びかけたのは、「米英関係を範として、今後の日米関係を構築しよう」という提案であった。
私がこの論考の筆を執った理由は、日本の保守派の中に存在する原発に関する迷妄を払拭したいと考えたからである。
「保守派は原発推進でなければならない」とする迷妄がそれである。
既に詳しく論証した如く、原発推進とは即ち核武装放棄という事であり、国防政策に於いても、またそれと不可分のエネルギー政策においても、自国の命運を他国の手に委ねるという事に他ならない。
一体全体、この主張の何処に保守主義があるというのか。
保守といってもよいし、愛国者といってもよいし、右派といってもよいし、国益派といってもよい。
言葉やレッテルにはこだわらない。
日本の伝統を大事に思い、その延長線上で国益を重視している全ての人々に一刻も早く覚醒してほしいのだ。
原発推進は、「独立国家日本」を否定し、日本国民の自由と安全を否定するものでしかない事を。
最後に原発とエネルギー自立と安全性の関係について述べようと思う。
この論考の初めに棚上げにしておいた論点である。
ポイントを要約して示す。
第一に、日本列島は地震列島であり、この列島の如何なる地点においても巨大地震が起こり得る。
この様な地理的条件下にある以上、日本列島上に安全な原発を造る事は、いかに最新の技術を駆使しようとも、原理的に不可能である。
そして、東海大地震や南海大地震は近未来において起きる事が確実視されている災害である。
第二に、原発や再処理施設が地震その他の原因によって大事故を起こした場合、その被害は日本のような島国にとっては、国家の存続すら危うくする。
福島第一原発事故では、半永久的な避難地域は半径20から30キロメートルの範囲内ですみそうであるが、これは事故が最悪のコースを辿らなかった為である。
第三に、原発は日本の電力の25%、第一次エネルギー全体の10数%を担っているに過ぎず、エネルギー自立とは程遠い。
しかも上記のような危険を伴うものであるから、費用対効果( Cost-Effectiveness )の点から言って、賢明な選択とは言い難い。
第四に、日本ではウラン鉱石は殆んど取れないので、原発推進はエネルギー自立とは程遠い。
第五に、それ故に、既に国内に30トン以上もあるプルトニウムを燃料とする原子力発電を実行するならば、それは原発をより一層危険なものにするだけである。
プルトニウムの燃料が、ウランのそれよりも格段に制御しにくい事は実証済みである。
第六に決定的な問題として、日本国内には、高濃度放射性廃棄物の処分場(保管場所)が存在しない。
それは日本列島が地震列島であるという第一の理由から必然的に導き出される結論である。
アメリカ政府は、高濃度放射性廃棄物は100万年責任をもって保管する必要があると宣言している。
100万年単位で見れば、過去、日本列島はそのかなりの部分が海面下であった時代もある。
日本には、ヨーロッパのように何億年も安定している強固な岩盤は存在しない。
日本列島はかなり若い、火山活動やプレート移動や地殻変動の育成物なのであり、残念ながら、この列島上に高濃度放射性廃棄物の安定した長期保管場所は存在しないのである。
以上の如き条件を鑑みれば、原発が日本のエネルギー自立に全く無益である事は、明々白々ではないだろうか。
エネルギー供給と食糧供給こそは、国家の独立の物質的基礎である。
その意味でエネルギー供給の自立(必ずしも自給自足を意味しない)は、国家の独立の為に極めて重要であるが、原子力発電はこの為には全く無益である。
たとえ日本が、核拡散防止体制を勇気をもって離れ、核武装を決行し、その上で原子力発電を実行しようとしても以上の6つの原発を巡る条件は変わらないのである。
百歩譲って、地震に対して安全な原発が出来たとしよう。
それでも、原材料(ウラン)も自給できず、廃棄物の処分場も国内にないのであるから、原発がエネルギー自立に全く役に立たない事に変わりはないのである。
日本の真の再生と自立を目指す人々は、今こそ“原発幻想”から目覚めなければならない。
それではなぜ、原発幻想はこれ程までに真面目な日本人を汚染してしまったのか?
この究明の為には新たな論考を必要とする。
今、確実に言える1つの事は、前後の真のコストさえ無視すれば、電力会社にとっては原発が桁外れに儲かるビジネスだった、という事である。
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30歳の長男が、今年9月に結婚の予定です。
今回も、結婚式の準備の為に、メキシコのカトリック教会に行って、神父さんと打合せを行ないました。
私の息子は、妻がメキシコ人の為、日本人とメキシコ人のハーフで、カトリック教徒です。
花嫁さんもメキシコ人で、当然の事ながら、カトリックです。
正式に婚約をしたのは昨年の9月で、その時から、結婚式は今年2011年9月という事に決めていました。
2人が知り合ってから婚約までに足掛け3年くらいの時間が経っているようで、更に、婚約してから結婚までに1年をかけて準備するという、慎重さです。
息子や娘の若い友人達を見ていても、一般にカトリックの人達は、結婚を決め、結婚式を挙行するまでに非常に長い時間をかけて慎重に事を運ぶようです。
4年、5年くらい付き合って、正式に婚約をするというカップルも必ずしも珍しくはありません。
実は昨年の9月にも私は、メキシコに行ったのですが、その時に、お嫁さんになる方の御両親も招いて、正式に両家で婚約を取り交わしました。
勿論、その前には本人同士が結婚を約束している訳ですが、正式の「婚約」の決定は、9月に行ないました。
これが中々に大変で、本当は私が花嫁さんの実家に赴かなければならないのですが、私のメキシコ滞在の時間が限られている為、先方のご両親と妹さんと花嫁さん御本人さんが、丸一日を費やして、私のメキシコの家に来てくださいました。
正式のディナーを整えたテーブルの席上で、私が先方の花嫁さんの父親から、正式の婚約許可をもらわなければなりません。
勿論、先方も結婚を内諾した上で来られているのですが、日本で言えば「結納の儀式」のようなものですが、メキシコでは、仲人さんを介さず、花婿の父親が、花嫁の父親に、正式に結婚の許可をもらわなければいけないのです。
私も、スペイン語で、両家の家族の前で、少々の演説めいた事を行ない、先方の父君に、結婚の許可を求めました。
面白い事に、息子が許可を求めるのではなく、息子の父親である私が許可を求めなければいけないのです。
勿論、先方は、「はい」「Si」と答えてくれて、滞りなく婚約許可は下りました。
しかし、この時は和やかな中にも一種の緊張感が伴い、それはとても大事なセレモニーであったと思います。
その「Si」と花嫁さんの父親がこたえてくださった時に、その場の緊張感が一瞬に溶けたのが分かりました。
父親は、娘を抱き寄せて、娘さんは父親のほほにキスをして、一挙に場は和やかな雰囲気になり、誰もが誰もと握手を交わす事になりました。
その後、楽しくバーベキュー・パーティーを行ない、ワインを飲み交わした訳です。
そもそもカトリックというのは、「儀式」を重んじる宗教です。
精神は勿論大事ですが、その精神を表現する為の儀式も厳格に執り行うというのが、カトリックという宗教の非常に良いところだと思います。
「心は形を求め、形は心を進める」という中々、素敵な言葉を以前、仏具屋さんの宣伝で見た事があります。
カトリックの話をするのに、仏具屋さんの宣伝文句を引用するのは適当でないかもしれませんが、成る程、この言葉は中々よく人間の心理をついています。
人間は心が大事だと言いますが、その心が外に表れなければ、そして具体的な形を取らなければ、本当にその心が世の中に実現したとは言えません。
また、例え始めは心が伴っていなくても、形から入る事によって、その形のあらわしている心に到達するという事もしばしばあります。
仏教でも、写経をしたり、様々な修行をしたりするというのは、形から心に入るという事でしょう。
私の見た所、プロテスタントとカトリックを比べると、プロテスタントの方は、やや心重視で形を軽視しているようなところが見受けられます。
又、プロテスタントから言えば、恐らくカトリックは形式にとらわれ過ぎるという批判にもなるのでしょう。
さて、結婚式の1年前に、両家の間で結婚の約束が成された訳ですが、今回、私がメキシコに行った大きな理由は、今年の9月に結婚式を執り行う神父さんとお話をする事でした。
これも教会における結婚式に向けての大事なプロセスです。
これをスペイン語では、「プレセンタシオン(英語で言えば、プレゼンテーション)」というのだそうです。
教会に集まった人々は、花嫁、花婿以外に、12人もいました。
先ず両家の両親が4人、両家の兄弟が3人、その他、5人は、花嫁と花婿の友人達でした。
結婚式を執り行う神父さんに先ず、花嫁と花婿が呼ばれて、2人がどのようにして知り合い、どのようにして結婚をする事になったかの経緯を簡単に説明します。
その後に、友人達が「証人」として呼びこまれ、花嫁と花婿の言葉に間違いがないことを、証明します。
最後に、両家の両親が、神父さんの部屋に呼ばれて、最終的な結婚の確認を行なうというもので、時間は全体で45分程かかりました。
百科事典のように立派な大きな署名簿に両家の関係者が、皆、自筆でサインをして、ようやくこの大事なプレセンタシオンは終わりました。
勿論、結婚を祝福するものばかりで、反対する者は一人もいませんので、何の問題も無く、事はスムーズに運んだのですが、
やはりこの神父さんとの面談と、両親や友人達の証言というのは、どうしても結婚式の為に通らなければならない大事な関門なのです。
私が今回、メキシコを訪れた主な理由は、このプレセンタシオンに参加する事であったと言っても過言ではありません。
カトリックの結婚式は、中々に手間のかかる、そして形式を重んじるものであるなぁーと、つくづく感じた次第です。
メキシコ人の殆どはカトリックですが、それでは全てのメキシコ人がこんな慎重なプロセスを経て結婚をするのかと言えば、全くそうでもありません。
正式に婚約、結婚をするのは、面倒くさいというので、単に同棲しているカップルもいますし、結婚届けだけを出して、教会で結婚式をあげないというカップルもいます。
そもそもメキシコでは「結婚式」という場合、2種類の結婚式があります。
第一は、教会で神父さんのもとで行なう結婚式であり、第二は、政府に結婚届けを出すという意味での結婚式でもあります。
教会での結婚式は、日本人の皆さんもだいたい想像できるものです。
面白いのは、2番目の「結婚届け」を出す方の結婚式です。
これはこれで大事なセレモニーになっており、多くの友人や両親が集まり、そこに政府の戸籍係の人物が大きな署名簿を持ってやってきます。
2人が結婚を誓って、結婚届けを出した後に、集った多くの人々が皆、自筆で署名して、それを承認し、それによって法律上の結婚が完成するというわけです。
私は、義理の弟の結婚式に出たのですが、先ず、政府への届け出という意味の結婚式を行ない、その次に、教会での結婚式となりました。
この政府への結婚届け自体が、中々に儀式としては、緊張感を伴うセレモニーでもありました。
結婚する当人たちが、市役所や区役所に行って、婚姻届を出すというような簡単なものではないのです。
ネクタイを締めて、いかめしい顔をした戸籍係が、革製の立派な結婚署名簿を携えて、家を訪れます。
そしてその場に集まった人、全ての署名を求めるというので、これもまた中々に厳かな儀式でした。
この結婚届けを出すという意味での結婚式を、スペイン語では「シビル(civil)」の結婚式と呼んでいます。
このシビルの結婚式は、昔のソ連邦の結婚式を私に思い起こしました。
ソ連時代は、当然、宗教は公的には否定されていたわけで、結婚式は市長なり、行政の長の前で、両人が書類にサインをする事で行なわれていたのが普通であったようです。
まぁー、全く宗教や神様が介在しない、謂わば「人前結婚式」であった訳です。
今日でのロシアでは、ロシア正教が復活し、再び教会での結婚式も一般的になったと聞いています。
今回のプレセンタシオンにしても、昨年9月の「婚約のセレモニー」にしても、私にとっては、1つ1つが大事な異文化理解のプロセスでした。
これに比べると、今日の日本人は、結婚式に限らず、生活一般の中で、もう少し形式や儀式や「かたち」というものを重んずべきではないかと、少々の今日の日本への反省の念も生じてきました。
9月中旬には、息子の結婚式の為に又、メキシコを訪れる予定です。
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