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核兵器保有国家・パキスタンの国家崩壊

投稿日:2009,05,06

 パキスタンが国家崩壊しつつある。

pakistan_map.JPG
パキスタンは核兵器保有国家のひとつである。
この国が崩壊すれば、その保有する核兵器がイスラム過激派の手に渡る可能性も大いにある。

 アフガニスタンで、勢力を吹き返していたタリバン勢力が国境を越えてパキスタンでもその勢力範囲を広げつつある。
パキスタン政府は、イスラム過激派の自治を認め、その勢力の拡大を防ごうと試みたが、失敗に終わった。
今後、アフガニスタンが混乱に陥るのみならずパキスタンもまた国家秩序の崩壊に向かう可能性がある。
既にアフガニスタンでは、タリバン勢力がその支配地域を拡げ、カルザイ政権は首都カブールの周辺を統治する事が精一杯である。

 ソ連邦が1991年12月に崩壊した時は、ソ連の保有する核兵器が拡散する事は防げた。
これは、極めて幸運な事であった。
大帝国が崩壊する時には、それに伴い、多くの混乱が発生するのが当然の状況である。

歴史的に見て、ソ連邦の崩壊は極めてスムーズに行われた。

ソ連が崩壊したときには、核兵器の保有国は増えなかった。
これに関しては、当時のソ連のゴルバチョフ政権に感謝しなければならない。
と同時に、ゴルバチョフ政権が、アメリカと協力しながら、核兵器の拡散を抑制したことを我々は高く評価するべきである。

 ところがパキスタンの場合、国家が崩壊しても、核兵器の拡散を防止する体制は準備されていない。

世界で今、最も注目すべき地点はアフガニスタンとパキスタンである


 一言付け加えれば、パキスタンの背後には、常にChinaの影がある事を忘れては、ならない

東アジアにおいては、米中二大大国がその勢力の拡大を目指しており、米中二国の勢力圏争いが常にこの地域の隠された国際政治のテーマである

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その事については、私の著書『米中代理戦争の時代』において、非常に詳しく述べてある。

この時期にこそ、参照していただければ、まことに幸いである。

こいのぼり

投稿日:2009,05,05

5月5日は「子供の日」。
旧い言い方で言えば「端午の節句」ですが、皆さんは鯉のぼりをあげたことがありますか?

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実は、寂しいことに私は一度も無いのです。

私には、今年、28歳になった長男がいますが、彼の為にも鯉のぼりをあげたことはありませんでした。
私が子供の頃は、一軒家に住んでいて、裏に物干し場くらいはあったのですが、堂々と鯉のぼりをあげるスペースはありませんでした。
私の長男が子供の頃にも、やはり住宅事情から鯉のぼりをあげることは出来ませんでした。

そういうこともあるのでしょう。

鯉のぼりを5月の空に高々となびかせている家を見ると実に羨ましい。
特にそれが地方の広々とした田園風景の中に泳いでいる鯉のぼりであれば、なおさら、その感を深くします。

鯉のぼりをあげてもらっている男の子は、今日の日本でも先ず、相当な幸せな子供の部類に入るのではないでしょうか?
私が子供の頃、武者人形は飾ってもらっていました。
特に、私の記憶の中では、元気のいい金太郎の人形が印象に残っています。
それから、玩具の冑、これは武者人形は無くて冑だけでしたが、そのキラキラとした美しさが今でもありありと思い出されます。
多分それらの人形は、私の母方の祖父母から伝わったものだったと思います。
両親に尋ねたことも無いので、そもそも誰から譲られたものかはよく分かりません。
ただし、それらが新品でなかったことは確かで、また、少々壊れたところもあったので、恐らくは先祖の誰かから譲り受けたものだったのでしょう。

柏餅を食べて、無邪気に銭湯の菖蒲湯に喜んでいた頃の記憶が懐かしく思い出されます。

そういえば、菖蒲湯というのも実によい習慣ですよね。

最後に菖蒲湯に入ったのは何時だったかなぁ?

私はちなみに文部省唱歌の「鯉のぼり」が大好きです。
今頃の季節になると、この歌が自然に口をついて出てきます♪


  甍(いらか)の波と 雲の波 ♪
  重なる波の 中空(なかぞら)を♪
  橘(たちばな)かおる 朝風に♪
  高く泳ぐや 鯉のぼり♪


 この歌は、歌詞も大変いいですが、メロディーが実にすばらしい。
まさに皐月の空を吹き抜ける爽やかな風を思わせる、心踊るメロディーで私は大好きです。

『未来学の基礎と検証』シリーズ第1回 - 2 (/4) 藤井論文、20年前の論文を読む

投稿日:2009,05,03

予告どおり、前回からこのブログ内での「連載シリーズ」として試みる事にした、『未来学の基礎と検証』シリーズ第1回の中の 『藤井論文、20年前の論文を読む 2 (/4)』として、本日は続き部分、
「裏切られた必然」をお届けしたいと思う。

論文の第2回、収録部分については
古典的マルクス主義者の資本主義社会に関する予測が如何に外れてきたか、を歴史的に概観している。

古典的マルクス主義者によれば、資本主義というのは、何よりも資本が自己増殖してゆくプロセスである。
それは資本が労働者を搾取し、窮乏化させてゆくシステムでもある。
それ故に、資本主義社会では、本来の消費者たる労働者の購買力がドンドン減少してゆき、資本主義社会全体として過剰生産になり、すなわちモノが売れないで大不況となり、資本主義は滅んでゆくという運命にある。

現実には、19世紀中葉にマルクスがイギリスにおいて観察したところの資本主義は、暫時、変化、進化を遂げ、まさに古典的マルクス主義者の予測を裏切るような形で発展してきた。
即ち、労働者の権利を認め、中産階級を拡大し、勤労者階級の購買力を伸長させ、過剰生産による大恐慌が来ないような仕組みを発展させていったのである。
つまり、修正資本主義が誕生し、労働運動、社会主義運動の要求を資本主義社会の枠内で徐々に実現していったのである。

それ故に、先進資本主義国においては、マルクス主義的革命理論は全く有効性を失ってしまった。
第二次世界大戦後、修正資本主義という考え方は、ほぼ全ての先進国に行き渡り、先進国内における、労働者の生活水準は目に見えて改善していった。
マルクス主義は、労働者階級から見向きもされなくなっていったのである。

以上が、第2回目の論文の趣旨である。


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 ※ 以下は、10ページの論文記事を4回に分けてお届けするシリーズの第2回分である。

          (中央公論1989年9月号掲載論文 『共産主義「終焉」の後に 』 より)
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【 3.裏切られた必然 】


  共産主義が終焉するに至った構造的理由は以上見てきた通りであるが、次に歴史的経緯として、共産主義というユートピア思想がいかにその魅力を失ってきたかを検討してみよう。
説明の都合上、先進国と低開発国に分けて、その過程を分析してみるのが好都合である。

 さて、経済先進国における共産主義とは一体何だったのか。

 古典的マルクス主義の主張によれば、共産主義革命の到来は歴史的必然であるとされる。
その理由は大旨以下のように説明される。

 資本主義社会とは本質的に資本が自己増殖してゆく過程である。
単純な経済モデルを考えてみよう。
資本は投資され利潤を生んで回収されなければならない。
この場合、利潤を生むのは労働者の労働である。
利潤は労働者を搾取することのみによって得られる。

 このような資本の投資と回収のサイクルが繰り返されるに従い、労働者の搾取は進み、労働者はますます窮乏化してゆく以上、最終的消費者たる労働者の購買力も絶対的に減少してゆかざるを得ないからである。
資本の利潤の側面から言えば、資本の投資・回収のサイクルが繰り返されるに従い、投下資本に対する純利潤率も低下してゆくことになる。

 ここにおいて、過剰生産と労働者の過少消費は最終的に恐慌となる。
そして労働者の絶対的窮乏化を伴った恐慌は、労働者の暴力革命を必然とし、資本主義は崩壊せざるを得ない。

 哲学論などはさておき、ごく単純化して言えば、これが古典的マルクス主義のエッセンスであり、これに権力奪取のための前衛党の戦略論を加えたものがマルクス・レーニン主義である。

 もちろん、マルクスが予言したこの崩壊への過程を未然に防ぐ方法は知られていた。
社会福祉政策の導入による労働者の生活水準・消費水準の上昇がそれである。
資本家側が譲歩して利潤を労働者側に配分する。
これを累進課税や社会福祉政策という政治的仕組みで行う。
こうすれば労働者の消費水準は上がり、過剰生産による恐慌は回避できる。
ところが古典的マルクス主義者たちは、このような回避策は非現実的だと批難した。
なぜなら、資本家とは労働者を搾取することこそが彼の存在の本質であり、いかに合理的な解決策でも、資本の側がそれを受け入れるはずは無いと考えたからである。

 しかし、歴史は古典的マルクス主義者たちの革命の必然の予測が全く誤まっていたことを実証して見せた。
彼らが有り得ないと予測した事態がまさに現実となったのである。
自由社会は、19世紀以来、労働運動・社会主義運動の要求を徐々に取り入れ、さまざまな社会福祉政策によって資本主義の修正を行なった。
修正資本主義の誕生である。
マルクスの予言は崩壊した。
自由経済は、彼の想像以上の恐るべき柔軟性を有していたのである。

 この自由経済の柔軟性は、確かに多くの人々の血と涙と汗の結果もたらされたものである。
だが結果として、自由主義社会における修正資本主義路線は、大恐慌後におけるアメリカでのニューディール政策の導入以来不動のものとなった。
社会民主主義政党が長期にわたり政権を担当した、イギリスや北欧諸国ではさらに高度な福祉国家さえ誕生するに至った。
こういった流れの中で、先進国における共産主義革命の必然性は全くの笑い話になった。
最低賃金・労働法・福祉政策・累進課税などは、大量の中産階級を出現させ、彼らの旺盛な消費自体が経済の拡大をもたらすようになったのである。

   大概の自由主義先進諸国には共産党が存在する。
特にフランス、イタリアにおいては共産党の存在は無視することが出来ない。
70年代には“ユーロコミュニズム”“白い共産党”の躍進が話題となったこともあった。
しかし、共産主義の本家ともいえるソ連が自己解体を始めている現在、誰も共産党が先進国経済に指導的役割を果たせるとは信じていない。
フランスやイタリアにおいて共産党が強大な存在になったのには、それなりの歴史的経緯があるのだが、もはや彼らの存在理由は、先進国を共産主義化することではなく、労働者・労働組合の既存利益の保護・拡充ということであろう。

 日本においても、日本共産党の得票率は国政選挙で毎回10%を上回っている。
しかし党員は別とすれば、共産党に投票している人々のうち、本当に日本における共産主義政権の成立を期待している人はごく少数である。
共産党に投票する動機といえば、「民商でお世話になっているから」といった実利的なものか、自民党長期政権の腐敗に対する批判のいずれかであろう。
日本においては、共産党のみならず新左翼を含めて、共産主義=マルクス・レーニン主義のアピールはきわめて小さいし、批判勢力として以外は存在意義が無い。
そして、その影響力も中ソの自由経済化の奔流の中で、薄れがちである。


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※ 次回、第3回連載 【第4章、低開発国のディレンマ】 に続く。 
  この企画の紹介論文は、4回に分けてご紹介させて頂きます。
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 第2回掲載分の 補足的解説 
 
1989年の時点では、以上の論文に何も付け加えることは無かった。
しかし、今日、また新たな局面が生じ、若干の補足が必要であると思う。
一度は、先進国において定着した修正資本主義の考えが、80年代全般から覆されてきたのである。
アメリカにおけるレーガン革命、イギリスにおけるサッチャー革命以来、特に、英米両国においては、新自由主義の名の下に19世紀的なレッセフェール政策が正しいとされ、修正資本主義的な考え方が否定されるようになっていった。

一時はこれが、英米両国を中心として、世界的に新しい経済成長のモデルを作り出したが、結局、この自由放任主義が行き過ぎて今日の世界大不況を引き起こす原因となってしまった。

いわば80年代から90年代硬直化した福祉国家体制が社会の漆黒になっていたことは確かであり、これを再整理する必要はあったのだが、このトレンドが行き過ぎて、修正資本主義が持っていたバランス感覚を喪失させてしまった。


現在、世界的な不況の底が益々深くなるに及んで、ややマルクス主義が復活してきている。
本屋に行くと、急速に出版トレンドにおいてマルクス主義の復活傾向がみられる。
今日の状況だけ見れば、レッセフェール的な資本主義が如何に弱肉強食的であり、社会全体に害悪をもたらせているかという言説は非常に俗耳に入りやすい。
しかし、実はレッセフェール的な資本主義に対する、マルクス主義の批判を消化し、乗り越えたところに、修正資本主義的な考えは成立していたのである。

マルクス主義に戻れというなら我々は、ソ連型社会主義に戻るしかないことになる。
それこそが、現実に地上に存在しえた唯一の社会主義国家であった。
政治的に自由な社会主義国家などというものは「空想的社会主義」そのものであって、現実には存在し得なかったのである。
現在マルクス主義の復活を主張する人々は、一歩進んで、ソ連型社会主義の復活をも主張するのであろうか?

我々は、レッセフェール的な資本主義か?マルクス主義的な社会主義かの二者択一の選択に直面しているわけではない。
少し歴史を振り返って見れば、国民経済を単位とした修正資本主義こそが、国民の大多数に幸福をもたらしていたことは誰にも分かることである。
それ故に、我々が、今目指すべきところは、レッセフェール的な資本主義の適度な規制と国民共同体経済を発展させるための修正資本主義の路線である。
そしてそれは、ケインズ主義的な経済政策を基本としたものとなるであろう。


それでは、何故?サッチャー主義やレーガン主義が一世を風靡したのであろうか?
理由はおよそ二つ考えられる。

第一は、修正資本主義における、社会主義的な部分が行き過ぎて、自由競争そのものが抑圧され、福祉政策が肥大し、国家官僚組織が巨大化し、個人の自由と自由な起業家活動が、抑圧されるに至ったからである。
それらの過剰な拘束からの解放を、サッチャーやレーガンは主張し、国民の多くから拍手喝采を持って向かい入れられたし、その政策がある程度、経済成長の活性化をもたらしたのもまた事実である。

第二に、共産主義の死滅により、資本主義社会がライバルを失い、道徳的緊張感を喪失してしまった事があげられる。
資本主義は共産主義というライバルが存在する間は、倫理的緊張感を保ち、拝金主義に陥ることに対して、無意識の内にも道徳的な規制が働いていた。
資本主義がイコール拝金主義であるならば、弱肉強食によって社会秩序が失われ、モラルは荒廃し、やがて資本主義そのものが崩壊して、共産主義に道を譲るであろうということは、容易に予測できた。
それ故に、共産主義の存在自体が、資本主義に倫理的緊張感を与えていたのである。

共産主義が崩壊し、ライバルを失った資本主義は、このような倫理的な緊張感をも喪失してしまい、拝金主義へと堕落することになった。
まことに皮肉な結果だったといえよう。

我々は今、そのような歴史的時点に立っているのである。

  

新型インフルエンザ ー 本当の感染者は何人いるのか?

投稿日:2009,05,02

マスコミ報道の新型インフルエンザの感染者数、死亡者数が、激減している。

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( ↑↑ ※ これはメキシコのお札のパロディーである)

NHKテレビ第一放送5月2日(土)正午のニュースによれば、メキシコにおける感染者数は397人、死亡者数は16人である。
世界中では、感染者数は639人であり、死者は17人である。
メキシコの16人に加え、アメリカで1人だけ死者が出ている。

日本経済新聞、5月1日朝刊によればメキシコの感染者数は99人、となっている。
ただし、日経の記事には以下のような注がついている。
(数字は、ロイター通信等による。発表基準変更などで、数字が減った国もある。メキシコは疑い例を含むと約2500人)


数日前まで、前回のブログを発表した4月30日当時は、メキシコにおける死亡者数は百数十人と日本のマスメディアは報道していた。
明らかに、ここ数日、報道される感染者数と死亡者数は激減しているが、その理由をマスコミ各社が理由を明確にしないのは、甚だ不可解でもあり、不適切でもあると思う。

理由はほぼ明らかで、特にインフルエンザ発生時のメキシコにおいて、より正確なウィルス検査が行われるようになり、より正確な統計が報道されるようになったからである。
これで、当初、感染者に比べてメキシコで極端に死亡者数が多いという謎もスッカリ解明された。


実は、4月30日に、メキシコ・シティにいる長男から、e-mailが入っており、その時点でのメキシコ政府の事態の把握は今から見れば極めて正確であった。
また、そのメキシコ政府の発表を伝える在メキシコ大使館の広報も極めて正確であったといえる。

メキシコ政府の報告を受けて、日本大使館は以下のようにメキシコにいる在留日本人に対して伝えていた


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平成21年4月28日

メキシコ在住の皆様へ

在メキシコ日本国大使館
領事部
TEL: (55)5514-4507 
FAX: (55)5207-7030 


在メキシコ日本国大使館 
現地対策本部 

28日夜、コルドバ厚生大臣およびロサノ労働大臣が会見を実施したところ、概要以下のとおり。

1.28日までに、重症呼吸器疾患罹患者が2498名、うち入院患者が1311名、死者が159名である。
この159名には豚インフルエンザ感染の疑いがあるが、特殊重症呼吸器疾患(neumonia grave atipica)のケースもあり、全てがA型インフルエンザ、もしくは豚インフルエンザによるものというわけではない。豚インフルエンザと確認されたケースは26症例であり、そのうち7例については死亡(19例については生存中)である(注1:前日までの「豚インフルエンザによる20名の死亡例」のうち、7例の確認例を差し引いた13例については改めて検査中であると発言しており、これはWHOの見解である7名の豚インフルエンザ死亡例を受け、数合わせをしてきたものと推測される。注2:この会見の前日にWHOは豚インフルエンザ感染者数が26人でうち7名が死亡と発表している)。

2.死亡者の7つの症例はメキシコ市で確認されたものであり、6症例はトラルパン区、1症例はマグダレーナ・コントレーラス区(注:両区ともメキシコ市南部に位置し、前者は国家呼吸器疾患機関(INER)病院の所在地であり、後者も総合病院がいくつか存在する区であるため、この数値は、死亡者の出身区よりも、死亡した場所を示しているものと思われる)。


なお、インフルエンザの流行に関する邦人メイルは、当館ホームページ
(http://www.mx.emb-japan.go.jp)にも掲載されています。

また、日本語での豚インフルエンザに関する情報は、厚生労働省ホームページ
(http://www.mhlw.go.jp)をご参照ください。

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この日本大使館の広報によれば、4月28日現在の呼吸器系の重症患者が1311人おり、その内、159名が死亡していたということになる。
初期の日本の報道では、これらが全て新型インフルエンザの感染者であり、死亡者であるというように報道されていたのであろう。
ここに、マスコミ報道の誤謬が発生したのであろう。

そのことを、明確に解説、ならびに謝罪しないのではジャーナリズムの責任を十分に果たしているとはいえないと思う。
日本大使館の広報文は、4月28日おける確実なウィルス感染者26人内、7名死亡とのメキシコ政府の発表を正確に伝えており、現時点から見ればこのメキシコ政府の発表自体も極めて正確なものであったと言えよう。

メキシコ・シティは海抜2000メートル以上の高地にあり、なおかつ、自動車の排気ガスによる大気汚染が甚だしい大都市である。
それ故に、恐らく、呼吸器疾患の重症患者も多いのではないか?
と推測される。

メキシコの感染者数が、当初報道されたより、桁外れに少ないことが判明したのは、よいニュースではあるが、新型インフルエンザが世界的大流行の様相を示し始めていることに変わりは無い。
世界保健機構(WHO)も間もなく、警戒水準を5から6に引き上げると推測している。


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↑↑↑ こちらは、つい先日、メキシコ・シティで地震があり、人々が屋外に避難した時の写真である。
出てきた人が皆、マスクをしているのが印象的だ。

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 ↑↑↑ これは、メキシコ・シティの国際空港の待合室の様子。
いつもは勿論、多数の人で溢れかえる場所である。そこにたった1人しかいないというのも衝撃的である。

昨夜、『路の会』にて、井尻先生の講演を聞く

投稿日:2009,05,01

昨夜、4月30日午後6時からは、西尾 幹二先生が主催される「路の会」の月例会で、井尻千男先生の講演を拝聴した。
タイトルは、「日独伊、三国同盟の経済的必然性」であった。

私にとって特に興味深かった話の要点は
井尻先生の話の中の、

「日独伊の三国は、国民的結束性が高く、多くの植民地を持たず、国内に人種差別も無い。
それ故に真の“国民経済”(national economy) を経営できる立場にあった。
戦前の世界大不況からの出口を各国が探し求めた時に、この三国のみが本当の意味の国民経済を実施できる立場にあった。
それに対して、イギリスは多数の植民地を抱え込み、人種差別を内包し、経済ブロックを作ることは出来ても、国民的平等を基盤としたナショナル・エコノミーの建設は不可能である。
アメリカは勿論、有色人種に対する強烈な差別があるが故に、これまた国民の平等に基礎を置くナショナル・エコノミーの建設は不可能であった。
この点で、日独伊が連携関係に入る経済的必然性があった。」
という事であった。

これまで、保守派の論客といえども、日独伊三国同盟には非常に否定的な評価を与えてきた人が多かった。
日独伊三国同盟の締結が、結局、対英米戦を不可避としたからである。

しかし、井尻先生の論点は、これとは全く異なり、ナチズムのユダヤ人差別には嫌悪感を持つものの、ナショナル・エコノミーの運営という点では、三国に共通の基盤があったというまことにユニークなものであった。
目から鱗が落ちる思いでお話を傾聴した。

日独伊三国同盟は、地政学的に見ると、日本にとっては殆ど意味が無かったといえる。
イタリアは軍事的にあまりに脆弱で、ドイツは地理的にあまりに遠く隔たっていた。
日独伊三国同盟といっても、米英ソ連に対して、対立する勢力として相互にモラル・サポートをしあう程度のものであった。

私も、ユダヤ人の友人が多く、ナチズムのユダヤ人排斥と虐殺には大いなる嫌悪感を覚えるものである。
しかし、日独伊の三国は、大きな植民地も持たず、国民的結束性が高く、ナショナル・エコノミーのマネージメントを可能とする条件を備えていた、
というのは、事実であろう。

イタリアとドイツの国家的統一はヨーロッパ諸国の中では、大変に遅かった。
イタリア王国の統一は1861年、つまり明治維新の直前であり、ドイツの統一は1871年、明治4年であった。
しかし、日本、ドイツ、イタリアには、国民を統一するもう一つの重要な要素がある。
それは神話の存在である。

ドイツ民族には、ゲルマン神話があり、イタリア人には、ローマ神話があり、
日本人には日本神話がある。
ドイツやイタリアの場合、キリスト教により、神話と国民の間に歴史的断絶があるとはいえ、神話が民族の大事な伝統の一部を構成しているのは確かであろう。

共通した神話を持つということは、最も強く民族を団結させる中心的な力である。
井尻先生の講演の趣旨をさらに前向きに展開すれば、次のような見解が成り立つのではないか。

第一に、イギリスやフランスが、実行したところの近代の植民地主義が植民地のナショナル・エコノミーを破壊したのみならず、イギリスやフランス本国のナショナル・エコノミーを破壊してしまったのではないか?という事である。
これが、無制限な人とモノの移動を前提とする今日のグローバル・エコノミーに繋がってきている。
イギリス帝国が唱えた自由貿易とは、植民地を搾取するイギリスにとっての有利な交易体制であるというに過ぎない。
今日、アメリカの唱える自由経済も基本的にはアメリカにとって有利な金融経済体制ということであろう。

第二に、今日の世界的大不況からの脱出を模索する時に、やはり我々としては国民経済の結束と再生を第一に考えるべきであり、自由経済=自由貿易=自由競争=市場原理主義=グローバリズム=善
 という前提を捨てて、根本的に物事を考え直さなければいけないのではないか?という事である。

以上は私の言葉によるまとめであるが、井尻先生自身もそれと似た見解を講演中に述べられていたと思う。


私が半ばジョークとして以下のようなことを質疑応答の時間に申し上げた。
「それは現在、メキシコから世界中に伝播している新型インフルエンザにしても、いわば人間が地球上を無制限に移動することの一種の反動としてこういう事が起きているのではないか?
直感的にではあるが、地球の環境が人間の現在の食糧生産のあり方や、経済のあり方に対して、一種の拒絶反応を表している、
その一つの表れがこういったインフルエンザではないのだろうか?」
とまことに直感的にではあるが、そう感じた。

「実は私は(4月8日にメキシコから帰国したので)、新型インフルエンザのウィルスを持っているかもしれませんよ」
冗談で申し上げたところ、一部、本気にされた方がいたようだったのにはマイッタ。
私は極めて健康です。
しかしひょっとして・・・。(苦笑)