NHKテレビ第一放送、朝の連続ドラマ『つばさ』を見ていて、面白いことがあった。
イッセー尾形、扮する人物が主人公の少女、つばさに御説教をする場面があった。
確か6月4日?放送分?、その中で彼は「人生は複雑であり、人間の中には美しいものばかりではなく、どろどろとした醜い欲望もある」というような教訓を少女に説くのである。
それはそれでよいのだが、この時に、「人生は教科書ではないし、聖書でもない」というような表現が使われていた。
「人生は教科書ではない」、は良いであろう。
人生は型どおりの建前だけではないと言うほどの意味であろう。
しかし、「聖書ではない」という表現は明らかに、この人物の説く教訓の内容と矛盾している。
『聖書』というからには勿論、キリスト教の聖書のことであろう。
新約聖書はともかくとして、旧約聖書を読んでみると良い。
そこに現れているのは、人間の崇高な感情と同時に、人間のドロドロとした欲望が展開する様々な物語である。
裏切り、殺人、姦淫、略奪、人間の考えうるあらゆる悪徳がそこには記録されている。
そもそも旧約聖書とは、ユダヤ人の民族の歴史なのである。
おそらくこの「つばさ」のシナリオ作家は、旧約聖書などは読んだことがないのであろう。
要は教養の欠如である。
公共放送であるNHKが、このような知的レベルの低い番組内容を垂れ流しにするというのは、まことに哀しく、憂うべきことである。
これは、NHKの政治的立場とは全く関係がない。
NHKで番組制作にかかわる人々の知的水準が極めて低いことがココに痛いまでに現れている。
6月4日は北京における天安門事件20周年の日である。
天安門事件が起きた頃、私はラジオ文化放送の早朝番組「ワールド・ホットライン」のキャスターを毎週月曜日と火曜日の朝、務めていた。
天安門事件の直後に日本の大学院に留学しているシナ人の学生を匿名でゲストに呼んで話をインタビューした。
この時のことが強く印象に残っている。
この時の学生Aさんは、30代後半の経済学専攻の大学院生であったが、文化大革命で下放され、大学での勉学が著しく遅れたことを嘆いていた。
このAさんは、天安門広場で起きた民主化運動への暴力的弾圧に、勿論、怒りを隠せず、同時に自国と自らの将来に大きな不安を抱えていた。
今、そのAさんがどこで何をしているか、私は全く知らない。
Aさんとは、この早朝番組で一度、話をしただけの関係である。
番組の中でAさんが言ったことで、とても印象的だったことは、日本企業が引き続きシナに進出して経済の開放路線を助けてほしいということであった。
政治的弾圧を嫌悪して日本企業がシナから引き上げれば、経済の開放改革は遅れて、政治的民主化の希望も全く消え去ってしまう。
外国企業がシナから撤退すれば、経済は完全な鎖国経済に逆戻りし、文化大革命当時のような経済状況が復活するのではないか、とAさんは恐れていた。
私も彼と同様の心配を心に抱いていた。
実際、天安門事件にもかかわらず、シナに居残り、すぐビジネスを再開した外国企業はシナ政府に大いに歓迎され、有利な条件で商売を行うことが出来た。
当時の私の心境としては、これらの日本企業や外国企業に好感をもっていた。
しかし、現在の時点から見れば、私の抱いていた希望や観測はあまりに甘かったと言わざるを得ないと思う。
当時のブッシュ米大統領をはじめ、私を含む多くの外国人が考えていたのは、シナにおいて外国企業に刺激を受けた市場経済が発展していけば、やがて中産階級が生まれ、それらの人々が政治におけるデモクラシーを推進する勢力になってゆくであろう、という期待であった。
過去20年の歴史は、我々が抱いたこの希望が完全に裏切られたことを実証している。
シナにおける経済発展は、あくまでも共産党一党独裁の管理下にあるものであって、経済が如何に発展してもそれは全く民主政治の発展に繋がらないことが証明されたのである。
繋がらないどころか、寧ろ、経済発展はデモクラシーを推進しない為の道具にすら成り果てている。
シナ共産党は人々のエネルギーを拝金主義的な経済発展に誘導し、人々に一切の政治的関心を抱かせないように社会を統制している。
このような事態においては、経済発展は民主政治の代替物であり、民主政治を発展させないための政治的心理的道具ですらある。
そもそもシナ政府が鄧小平以来、主張しているところの「社会主義市場経済」とは一体なんであろうか?
共産党の使う言語は、我々常識人の使う言語とは全くかけ離れているので、これを深く分析してみる必要がある。
「社会主義市場経済」における「社会主義」が意味するのは、福祉政策の充実ということではなく、シナ共産党があくまでも一党独裁の権力の独占を続けていくという意志の表明である。
これに続く「市場経済」とは、我々が先進国で知っているような自由な企業や自由な個人の作り出す自由な経済という意味では決してなく、共産党管理下における唯物論的な、そして、拝金主義的な経済発展ということである。
つまり、総括して言うならば、「社会主義市場経済」とは、共産党一党独裁下における拝金主義の蔓延ということに他ならない。
もう少し詳しく言うならば、シナ共産党はシナ人の政治的自由を抑圧しつつ、その安価で豊富な労働力を外国企業に無制限に提供する。
その、安価な労働力は共産党管理下にあるので、決して政治的な叛乱を起こすことはない。
そこで、その安価で豊富な労働力を利用したい外国企業はシナに進出し、共産党幹部と癒着し、その利益を共有しながら経済活動を続けることが出来る。
これらの進出企業は、シナ共産党幹部と密着する事により、膨大な企業利益を上げることが出来るのだ。
共産党が大衆を政治的にコントロールしているがゆえに、外国企業は有利なビジネスを続けることが出来るのであり、共産党幹部と進出企業は必然的に共犯者の関係になる。
共産党管理下のシナにおいては、「市場経済」というようなものは実は存在していない。
そこにあるのは共産党幹部の管理の下における拝金主義の蔓延である。
広い意味の自由な個人と企業の創造性や法治主義を前提とした近代的な「市場経済」はシナには微塵も存在しない。
我々が普通思い浮かべるところの「市場経済」はシナには今日といえども存在していないのである。
シナ以外の国においては開発独裁が経済発展を保障し、経済発展が中産階級を生み、中産階級が政治的民主化を要求し、開発独裁の克服に成功した、というプロセスが現実に作動している。
例えばフィリピンのマルコス政権は民主化され、チリのピノチェッと政権も民主化された。
韓国ですらある程度、このプロセスは機能した。
ラテンアメリカ諸国においては概ね開発独裁は、レーガン大統領とブッシュ・シニア大統領の時代に、民主的政権へと転化していった。
多くの国において開発独裁が必要とされたのは、共産主義の侵略に対抗し、脆弱な国家体制を守るためであった。
共産主義の脅威が減少し、やがてソ連共産主義そのものが滅亡することにより、多くの発展途上国においては民主化を行う余裕が生じてきたのである。
つまり、共産主義の侵略から国家を守るために独裁的政権を作る必要が無くなっていったのである。
しかし、このような独裁から民主化へのプロセスが全く起きていないのがシナである。
思えば皮肉なことに、この国の権力は共産党の手の中にある。
シナは既に核兵器を持ち、有人宇宙船を打ち上げることの出来る軍事大国である。
彼らが外国からの侵略を恐れる必要は全く無い。
その点はかつてのフィリピンや中南米で見られたような開発独裁の必要は全く無いのである。
シナ共産党は、外国企業の力を借りて獲得した経済力を悪用し、それによってこの20年間膨大な軍事力を建設することに成功してきた。
それは、全く自国の防衛の為のレベルを超えたものであり、アジアにおける、そして世界における覇権を目指すための超軍拡である。
今日のシナ共産党は全く一つの伝統的なシナの王朝である。
伝統的な王朝との唯一の違いは、皇帝が世襲制でないことだけである。
一種の共和制的独裁である。
伝統的王朝との共通点は、政権が剥き出しの軍事力と腐敗した官僚制によって大衆を統御している点である。
共産党王朝は一体、いつまで続くのであろうか?
いずれにせよ我々は、希望的観測を一切捨てて、シナという文明と国家の現実を直視しなければならない。
シナにはシナ独特の政治力学が存在し、それらは他の如何なる文明圏の政治力学とも全く異質のものである。
他の文明圏なり国家の発展例をとってシナの歴史を予測することは全くのナンセンスである。
20年前にシナの動向に関して極めて甘い見通しを抱いていた私自身の反省である。
【六ヶ国協議とは何か?】
ゲーツ米国防長官は北朝鮮が六カ国協議に復帰することを期待するという。
六ヶ国協議に北朝鮮が復帰しても、北朝鮮が自ら開発した核兵器を放棄する可能性は殆どゼロである。
六ヶ国協議の存在意義とは一体何なのだろうか?
六ヶ国協議に北朝鮮が復帰している限りにおいて、他の5ヶ国は北朝鮮が突発的な侵略行動に走らないという安心を得る事ができる。
その為に、北朝鮮の核武装を阻止することが出来ないのが明白であるにもかかわらず、六ヶ国協議は継続しているのである。
もう少し詳しく見れば、アメリカ、シナ、ロシア、韓国には、それぞれかなり異なった思惑があり、異なった理由で六ヶ国協議に参加している。
いわば呉越同舟である。
例えばアメリカに関していえば、アメリカ議会なりアメリカ世論に対して、オバマ政権が北朝鮮の核武装を防ごうとしているのだというポーズを六ヶ国協議参加を通じて見せることが出来る。
話し合いを継続している、平和裏に北朝鮮に圧力をかけその核武装を防ごうとしている、そのようなポーズを議会や世論に対して見せることが出来る。
それがオバマ政権にとって六ヶ国協議を継続している一つの国内向けの意義である。
シナにはシナ、ロシアにはロシア、韓国には韓国のそれぞれ別の思惑と理由があって六ヶ国協議は継続しているといえるのであろう。
六ヶ国協議で最もメリットが少ないのが日本である。
六ヶ国協議は日本にとっては、北朝鮮を除く他の四カ国、つまり米露中韓の情報を収集する場という以外に殆どその存在意義はない。
六ヶ国協議は単に話し合いのための話し合いを継続しているに過ぎない。
北朝鮮は国際的圧力を嫌えば、この六ヶ国協議から飛び出し、ミサイル実験でも核実験でも自由に行うことが出来る。
そして、他の五ヶ国、つまり日米中韓露の五ヶ国がいかなることがあっても決して北朝鮮に直接の軍事行動を取ることはないと確信している。
だから、核実験でもミサイル実験でも実行した後に、事実上の核保有国としてまた、六ヶ国協議に復帰することが出来るわけである。
さらに、マクロ的な視点から考えてみると、六ヶ国協議は北朝鮮を封じ込める体制ではなく、寧ろ日本を封じ込める国際協調体制であることが見えてくる。
北朝鮮の核の脅威を最も直接的に受けている日本が、六ヶ国協議に参加している限り、独自の抑止力を開発したり、北朝鮮に対する単独の核基地攻撃などを行うことは出来ない。
米中韓露の四ヶ国は日本が自らの独自の抑止力を高め、さらには北朝鮮の脅威に独自に対処する行動を徹底的に阻止している。
さらに、シンボリックにいえば、六ヶ国協議は他の五ヶ国の共同謀議による日本核武装阻止の国際秩序ですらある。
六ヶ国協議は日本の国防に対する巨大な桎梏として機能している。
【 シナに支えられる基軸通貨ドル 】
6月2日付、ファイナンシャルタイムズ紙・アジア版の第一面に北京におけるガイトナー米財務長官の大きな写真が掲載されている。
その記事のタイトルは『 US dollar backed as reserve currency 』。
その意味は、「米ドルが準備通貨として支持された」ということである。
では誰が、支持したのか?
シナ共産党政府である。
この記事のサブタイトルを見ると、
『シナ政府高官は、ただちにドルに取って代わるものはないと発言、ガイトナー北京到着時のコメント』となっている。
アメリカは、シナの支持を得て、ドルの基軸通貨としての地位をようやく保っているということである。
これほど露骨に現在の米中の力関係を表した新聞の見出しは他にないだろう。
正直言って私はこの英語の見出しを見て、かなりのショックを受けた。
昨日のブログでも述べたように、日本人はこの冷徹な事実に気がつかなければならない。
先週の土曜日のNHKへの抗議行動の様子がチャンネル桜で見られます。
1/3 【NHK抗議・国民大行動第2弾】 ハチ公前広場街頭宣伝活動
↑↑ 5月30日に再び1000人以上の草莽の士が集って行われた『N HK「JAPANデビュー」に抗議する国民大行動第2弾』の中か ら、JR渋谷駅ハチ公前広場で行われた街頭宣伝活動の模様です。
2/3 【NHK抗議・国民大行動第2弾】 代々木公園けやき並木・リレートーク集会
↑↑ 『N HK「JAPANデビュー」に抗議する国民大行動第2弾』の中か ら、代々木公園けやき並木で行われたリレートーク集会の模様
3/3 【NHK抗議・国民大行動第2弾】 NHK包囲抗議デモ
↑↑ 5月30日に再び1000人以上の草莽の士が集って行われた『N HK「JAPANデビュー」に抗議する国民大行動第2弾』の中か ら、NHKを包囲して抗議の意を示したデモの様子です。
↑↑ デモ行進に参加終了後、参加者の多くはそのままNHKに向かい、NHK側に質問状を直接手渡した。
この際、若干の混乱があったようだが、その様子もチャンネル桜の録画で見ることが出来る。
米中両国の戦略的利害は、長期的には対立している。
しかし、米中両国は、短期的にかつ戦術的に利害関係を共有しつつある。
東アジアは米中の共同管理体制、とでも言うべき状況になりつつあり、日本の国益は大きく損なわれようとしている。
最近、北朝鮮の脅威に対して、表面的には日米韓の防衛協力は順調に進んでいるように見える。
例えば5月30日、シンガポールで浜田防衛相はゲーツ国防長官と会談し、北朝鮮の深刻な脅威に関しての共通の認識を確認した。
また、日米韓三ヶ国の防衛首脳会談を開き、3ヶ国が北朝鮮の脅威に対し、強力で統一したアプローチを取る旨の共同文書を発表している。
クリントン米国務長官も、日本と韓国への防衛上の約束は守る、と明言し、米国防総省の幹部もそれに同趣旨の発言を繰り返している。
多くの日本人は北朝鮮の脅威に対し、アメリカが日本を守ってくれるものと胸をなでおろしていることであろう。
表面上は、北朝鮮の脅威に直面して、日米の防衛協力体制はより緊密になっているかのように見える。
確かにこれは現在起きていることの1つの側面である。
しかし、より大きな戦略的な視点から現状を見れば、より大きな危険が日本列島を飲み込みつつある。
それは、北朝鮮の脅威を口実としつつ、アメリカとシナが共同管理体制とでもいうべき秩序を東アジアに打ち立てつつあることである。
例えば、浜田防衛相とゲーツ国防長官が会談した5月30日、シンガポールでアジア安全保障会議が開かれた。
実はこの安全保障会議に参加する為に2人はシンガポールに同時刻に滞在していたわけである。
アジア安全保障会議に出席することが主目的で両者に赴いたのであり、そのチャンスを利用して日米の二国間会談が開かれたにすぎない。
それでは、このアジア安全保障会議で何が起きたのか?
最も大事なことは、アメリカとシナ両国の代表が北朝鮮の核兵器保有に懸念を表明する一方、両国が協調して問題解決にあたる姿勢を確認したことである。
ゲーツ米国防長官は北朝鮮の核の脅威を強調する一方、同時に「現時点で北朝鮮は米国の軍事的脅威ではない」とも明言し、北朝鮮の動きに対して直接的な軍事的対応策は一切取らないとも述べている。
そして北朝鮮が6カ国協議に復帰することへの期待感を表明した。
また、ゲーツ国防長官は浜田防衛相との個別会談で「北朝鮮影響力のある中国とはよく歩調を合わせていく必要がある」とも発言している。
ゲーツ長官は、浜田防衛相に会う前に、中共軍部の馬暁天副総参謀長と会談し、朝鮮半島の安定に向けて、米中両国が協力していく方針を確認した。
アメリカの国防長官が日本の防衛大臣と会う前に、中共軍部の代表と会ったという事は、極めて重視すべき事実である。
以上のような状況から分かるのは、北朝鮮に対しては米中は協力してその脅威に対処していく。
日本はその米中共同体制の枠内で行動しなければならないという手械足枷をはめられているのである。
米中両国は言うまでもなく核兵器保有国であり、北朝鮮に対する核抑止力を十二分に保有しており、北朝鮮の核の脅威をなんら感じていない。
ただ、米中両国とも北朝鮮が核兵器を保有し、さらにもしそれを他の国家や国際的テロリスト集団に横流しするとすれば、自国の大いなる脅威に転化することは認識している。
その共通認識から生まれる米中間の協力なのである。
これに対して日本の戦略的立場は全く異なっている。
北朝鮮が同じ民族が構成する韓国に対して、おそらく核攻撃をしないとすれば、北朝鮮の核の脅威を最も感じているのは日本である。
以前にこのブログでも述べたように、
(※ 参考; 「2009,05,27 日本海・海戦の日に思う ― 防衛力の基本は抑止力である」
「2009,05,25 北朝鮮、2回目の核実験に成功 ― アメリカは核保有国北朝鮮を承認するだろう」 )
日米安保条約があるとはいっても、もとより日米両国の国益は完全に一致するわけではないのであって、あくまで自主国防力が主体となり、それを補う為の日米安保条約でなければならない。
北朝鮮に対しては、日本は独自の抑止力を持つべきであるし、また持たなければならない。
米中防衛協力体制のもとに日本が置かれるとはどういうことであろうか?
それは、日中間に政治的な摩擦を起こしてはならないという強力な圧力がアメリカから日本にかけられてくる、ということである。
例えば、日本国首相の靖国神社参拝や尖閣列島への自衛隊の配備などは日中間に大きな政治的軋轢を生むものとしてアメリカは日本にその様な行動を取らないように政治的圧力をかけてくるに違いない。
いや、今日既にそのような有形無形の圧力が日本政治の中枢にかけられているのであろう。
言い換えれば、アメリカがシナの協力を必要とする限りにおいて、その分、日本の行動の自由は制約され、国益は損なわれてくるということになる。
何故なら、シナこそは今日の日本にとって最大の軍事的・政治的・経済的な脅威の源泉だからである。
アメリカ帝国の力は軍事的にも経済的にも緩やかながら長期低落傾向にある。
特に2008年9月の金融危機以来、アメリカの国力の衰退ぶりは目を覆うばかりである。
6月1日に明らかになったGMの倒産などはこの事を最も如実に物語っている。
軍事的に見てもアメリカはイラクから撤退した後も、アフガニスタンとパキスタンでの戦いに大きな勢力を割かねばならず、北朝鮮の脅威に対して真正面から立ち向かう余力は無い。
米中関係を重視するアメリカの姿勢はまた、台湾独立運動やシナ国内のウイグルやチベット等の少数民族の人権状況に対する極めて冷たい態度ともなって現れている。
過日、アメリカのペロシ下院議長が北京を訪問したが、シナの人権や自由の問題については明確な抗議の発言をしなかった。
かってペロシ下院議長はシナにおける自由と人権の抑圧に関して最も声高に非難するアメリカの政治家の一人であった。
このようなある種の米中蜜月時代が生まれてくるに関しては、経済も1つの大きな理由を構成している。
一言で言えば今、アメリカが発行する膨大な国債を最もよく購入してくれるのが中共政府である。
露骨に言えば、金を貸してくれるシナに対してアメリカは頭が上がらなくなりつつあるのである。
6月1日、ガイトナー米財務長官はシナの王岐山副首相と会談した。
シナ側は今後ともアメリカの国債を大量に購入し続けることを約束し、アメリカ側を安心させた。
※ 関連記事:
↑↑ ガイトナー長官「北京大で学んだ」 知中派アピール 『北京大学で講演』
世界最大の外貨準備を誇るシナは、その外貨準備の約7割をドル資産で保有している。
2008年9月にはシナは日本を抜いて世界最大の米国債の保有国になっている。
米オバマ政権は経済再建の為に今後も大量の国債を発行していかなければならない。
その為、米国債の最大の買い手であるシナに政治的に益々弱い立場に陥りつつある。
もし、シナがドル離れをして外貨準備をドル資産で持つことを止め、ユーロその他の通貨に切り替えたり、米国債を今後購入しないばかりでなく、既に保有している米国債を市場で売り出せば、アメリカの財政は大きな危機に陥る。
この事は火を見るよりも明らかである。
大局的に見れば、帝国アメリカの力は衰微しつつあり、帝国シナの力は上昇しつつある。
アメリカは自らの凋落しつつある力を補う為にシナとの協力関係を求めざるを得ない。
最終的にはアメリカと対立するシナ共産党政権も今のところ自らの力だけでは覇権を打ち立てることは出来ないので、当面、世界一の覇権国であるアメリカとの表面上の協力関係を装いつつ、自らの勢力を拡大し、いつの日かアメリカを上回る覇権国家になろうとしている。
この為、両国は必然的に現在、戦術的な協力体制を組みつつある、と考えられる。
かつてアメリカはソ連を同盟国とし、ドイツと日本を敵国として第二次大戦を戦った。
これはアメリカにとっての大きな悲劇であった。
アメリカの理想とソ連の理想は決して共存共栄できる類のものではなかった。
アメリカは、同盟国としてソ連を遇することにより、共産主義の脅威を大きく育ててしまった。
そして第二次大戦後に自ら育て巨大化した悪魔であるソ連共産主義と相対峙せざるを得なくなってしまった。
この事はアメリカの保守派の最も鋭く批判するところである。
今またアメリカは同様の過ちを犯しつつあるように見受けられる。
シナの国内を見るならば、環境・人権・自由等の点において今日のシナが世界最悪の国家であることはほぼ疑いの無い事実である。
シナ共産党の目指すものと、アメリカ建国の理念とは水と油であり全く相容れない異質のものである。
アメリカが今もし、純粋に勢力均衡的な視点からシナと準同盟関係、もしくは同盟関係に入るとすれば、それはアメリカにとって大きな悲劇であるばかりではなくアジア全体にとっての大きな災悪であり、結局はアメリカの力の凋落を早めることになるであろう。
何故ならアメリカはヨーロッパ諸国とは異なり、自由の理念によって成立した国であり、その理念によって異なる移民集団を統合してきた人工的な国家である。
アメリカにとって理念とは必ずしも建前ではなく、それ自体がアメリカの国力の基礎となっている。
自らの建国の理念に背くような外交戦略はアメリカ自身を内部から崩壊させてゆくであろう。
このような米中協力体制の誕生に抗して日本が如何に行動すべきかについてはまた、稿を改めて述べたいと思う。
しかし、一言だけ言っておくとすれば、以下のようなことである。
2001年、ブッシュ・ジュニア政権のスタートに際して私は次のように指摘した。
「ブッシュ政権は2期8年続くかもしれないが、1期4年で終わる可能性もある。
ブッシュ政権は前任者のクリントン政権とは異なり、親日的な素地を有している。
この好機を利用して日本は来るべき4年のうちに集団自衛権が合憲であるという政府判断を打ち出さなければならない。
集団自衛権の承認なくして、日米安保条約が真の同盟となることは有り得ない。
ブッシュ政権が1期続くか2期続くかは分からないが、その後にはほぼ確実にアメリカで民主党政権が生まれる。
この民主党政権はほぼ確実にクリントン政権同様の親中政権となるであろう。
この親中民主党政権の誕生の前に日米関係を真の同盟関係に格上げしておかなければ、日本は大いなる悔いを残すことになるだろう。
日本の存在は、米中協力関係の狭間にうずもれてしまうだろう。」
この予感は悪いことに的中しつつある。