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★ 地震・大津波で被害に遭われた方々に、心よりのおくやみを申し上げます。
又、原発事故により、避難や屋内退避を余儀なくされた多くの方々にも、お見舞い申し上げます。
要旨:
3・11東日本大震災・大津波・原発事故で、荒廃した日本経済を建て直す為に、以下の四大政策を提言する。
1.国家の通貨発行権を活用した、もしくは日銀の国債直接引き受けによる20兆円以上の大規模公共投資
2.円高阻止の協調介入の必要なし:短期の円高を利用し、必要資源を大量に調達せよ
3.東京一極集中から東日本と西日本の均衡ある発展を実現する国土計画
4.新エネルギー開発による段階的脱原発化
本文:
1. 国家の通貨発行権を活用した大規模公共投資
▲震災・津波・原発事故の2つの天災と1つの人災によって、東北地方は巨大な経済損害を受けた。このままに放置すれば、平成23年度のGDPは大きな落ち込みを記録する事になるだろう。
▲日本銀行による復興国債の直接引き受けが検討されているが、白川日銀総裁はこれに反対している。災害復興を目指す国家財政に必要な政策ではあるが、この手法では先行き財政的手詰まり状態に陥る事は明白である。
日銀引き受けではあるが、国家の借金が急膨張する訳であり、早くも与謝野大臣らの財政再建派が、日銀の大量国債引き受けに関して強力な反対の声をあげている。
▲国債の引き受け手が日銀という国家機関であるにしても、国債引き受けは確かに国家財政の帳簿上の赤字を増大させる。これは必ず時間差を経て増税の要求に結び付く。
これでは国家再建の為の大規模公共投資は不可能である。
▲この難問を解決する唯一の決定的な方法は、国家の通貨発行権を活用して、日銀が必要な額の通貨を発行し、この財源を行政府(財務省)に贈与する事である。(丹羽春喜先生の十年来の提案)
国家の通貨発行権を生かした大規模公共投資を行なえば、今年(2011年)後半には、GDPをプラス成長に転換する事が可能である。
▲そもそも通貨発行権は、国家に与えられた特権である。
国家の信用のもとに通貨が発行され、国民は国家を信頼するが故にその通貨を利用して経済活動を行なっている。
現在の国家組織の役割分担の中では、主に中央銀行である日本銀行が、通貨発行の役割を担っている。
しかし、日銀にのみ通貨発行権がある訳ではなく、行政府・財務省にも部分的に通貨発行権はあり、現在の500円玉以下の硬貨は、財務省の責任により発行されている。
元々、国家に与えられた通貨発行権を日銀と財務省が共有しているのである。
大事な事は、通貨発行権は、日銀という一組織にのみ与えられた特権ではなく、本来、主権独立国家が保有している権利であり、組織上、これを主に統括しているのが日本銀行であるという当たり前の事実である。
▲日本銀行は、この国家の通貨発行権を活用し、10兆円単位の財源を創出し、これを行政府(財務省)に与え、これをもって国家経済復興の為の大公共投資を行なえば、財源は無制限に存在する。
恐らく10兆円では不十分であり、数年間、継続して、累積的には数十兆円の国家の通貨発行による公共投資が必要であろう。
▲行政府と日銀は、共に、主権国家を構成する二つの機関に過ぎない。
日銀が通貨を発行し、この財源を行政府に与えるというのは、右手が創ったものを、左手に与えるようなものである。日銀(右手)と行政府(左手)は共に国家(人体)の一部分である。
これを考えれば、震災復興資金を日銀が通貨発行によって賄うというのは極めて自然な、寧ろ当然成すべき政策である。
日銀による国債の直接引き受けでもよい。
▲このように考えれば、行政府が日銀に対して、国債を引き受けてもらい、借金をしているから、これを返済する為に国民に増税をしなければならないというのは、誠にバカげた考え方である。
これは、需要が供給を上回っているような国家においては、増税という形で国民の需要を減少させる為に必要な政策かもしれない。
しかし日本国においては、正に事態は逆であり、供給が需要を上回っているのであるから、通貨の信用を維持する為に、増税をする必要は存在しないのである。
▲極端な通貨発行がハイパーインフレにならない為の保障が日本国には存在する。
それは、公共投資に従って生じる厖大な需要に応えて行なう国民の生産活動である。
日本経済においてはそもそも、供給が需要を上回っており、このデフレ・ギャップ(供給マイナス需要)の為に、長期的な不況が発生していた。
有効な需要さえ創出すれば、日本国民が本来の勤勉さを発揮し、生産活動に従事し、潜在的な供給力を現実の供給力に変える事によって、需給はバランス状態に入る。
つまり、インフレを起こす事無く不況を脱出する事が出来るのである。
インフレが発生するのは、需要に供給が結び付かない場合である。
日本国においてはそもそも供給力が過剰の為に生じた長期不況であったから、震災復興という巨大な需要を政府の公共投資で現実のものとしさえすれば、経済は力強く復活する事が出来る。
▲眼前に甚大な被害を受けた被災地が存在する。
そこには、復興の為の厖大な需要が存在する。
しかし民間の資金にのみ依存するならば、とてもこの復興を速やかに成し遂げる事は出来ない。
国家が大規模な公共投資を発動して初めて、速やかな災害からの復興が可能となる。
可能となるばかりではなく、それが新たな経済成長のエンジンとなり、21世紀後半に向けて、新しい日本の国の形を創る事も出来る。
しかし、もし国家が表面上の財政困難を理由に、大規模公共投資を行なわないならば、地域の復興は不可能とは言えないが極めて緩慢であり、東北諸県の県民の不幸は極めて長期化するであろう。
いくつかの地域においては、復興は不可能となり、そこには永久の荒廃地が誕生するであろう。
▲日銀が、10兆円単位の国債を直接引き受ける場合でも、この国債は、この際「永久国債(超長期債)」として扱うべきである。
限られた期限内に返済を迫られる国債として扱うと、これが必ず増税の必要と結びついて来る。そうすれば、国民の有効需要を奪ってしまう結果となる。
これを防ぎ、順調な経済復興を実現する為には、あくまで「国債」という形にこだわるならば、10兆円単位の国債は、期限を定めて返済する必要のない、「永久国債(超長期債)」として、全く別枠の会計として取り扱うべきである。
このようにすれば、巨額の国債は、国家の通貨発行権の活用と極めて近い形となる。
2.円高阻止の協調介入の必要なし:短期の円高を利用し、復興の為の大量資源調達を行なえ
▲日銀・財務省は、主要先進国の協力を得て、円高阻止の協調介入を行なった。
国益に全く相反するパニック行動としか言いようがない。
▲日本の生産設備が大きく傷つき、GDPが下降せざるを得ない状況にあっては、放っておいても円高は終息し、円安の方向に向かう事は明白である。
日本の輸出力が阻害される一方、災害復興の為に、大量の資源輸入を必要としている。
資源の大部分はドルで調達するのだから、需給関係に任せていれば、自ずと円安ドル高となる事は、火を見るよりも明らかである。
▲一時的な円高は、日本企業が海外にもつ資産を国内に還流させる動き(リパトリエーション)が生じるのではないか、との思惑から起きた。
主に投機資金の為に生じた一時的現象である。
▲日本は災害復興の為に、大量の資源を必要としている。
一時的な円高は「不幸中の幸い」であり、資源を安価に大量に調達する最高のチャンスが現在与えられている。
日本経済の潜在力がもたらした一時的な好条件である。この天与の好条件を十二分に利用し、国家も企業も資源(特に原油を中心とするエネルギー・鉱物資源・食糧)を可能な限り、調達すべきである。
直ぐに日本国に輸送しなくても、先物等も利用して、円が強い内に、可能な限りの資源調達に手を打つべきである。
▲日本経済のダメージの実態が明らかになれば、円が極端な円安方向に動く可能性もある。
「1ドル=120円」程度の円安まで想定しつつ、今後の国家経済の運営を考えなければならない。
加工貿易を行なう日本にとって、そして大規模な経済復興を遂げなければならない日本にとって、安価な資源調達は決定的に重要である。
悪条件の中の唯一の好条件が、円高であると言ってもよい。
「地獄に仏」の円高といっても良いだろう。これをフル活用しなければならない。
▲輸出産業に有利な円安は、放っておいてもやってくる。
この時に資源コストが高くなっていれば、企業の利幅は当然、小さいものとなってしまう。
円高で、調達した資源で製造したものを、円安で売ってこそ、大きな利益を上げる事が出来る。また国内の復興の為にも安価な資源調達は決定的に重要である。
3.東京への一極集中から、東日本・西日本の均衡のとれた国土発展へ
▲日本列島を本州・中央の糸魚川・静岡構造線を境として、東日本と西日本に分けると、現在、日本の経済的中心は、あまりに東日本に傾いている。
これは人口分布に最もよく表れており、東日本の人口が、約8000万人。
これに対して西日本の人口は、約4000万人に過ぎない。東日本の人口が西日本の2倍である。
この主な理由は、東京への一極集中であり、首都圏への過剰な国家機能の集中である。
現在の危機は、この東日本と西日本の極端なアンバランスを改善する好機である。
人口分布で言えば、東日本6000万人、西日本6000万人の東西の均衡のとれた国土に編成し直さなければならない。
▲もし今回のマグニチュード9の地震が首都圏で起きていれば、機能は完全に喪失していただろう。
また、福島原発の事故が更に拡大し、首都圏が放射能汚染されれば、どの様な事になっていたであろうか。
日本国は東京という頭部を失い、国家機関の中枢がマヒ状態に陥っていたであろう。
国会を始め、中央官庁が機能マヒに陥り、日本国そのものが全く機能し得ない状態に陥ってしまったに違いない。
災害が起きた時に、その災害対策を発令すべき国家の神経中枢がマヒしてしまう事になる。
この恐怖を誰もが認識している内に、かねてから議論されてきた首都機能の分散は元より、産業再配備による東日本と西日本の、そして大都市と農村の均衡の取れた日本の国土発展を実現すべきである。
大規模な国土計画の実行は、このような天災が起きた直後にしか行なう事は出来ない。
「災い転じて福となす」の諺にもあるように、この天災を奇貨として、従来、絵にかいた餅に過ぎなかった首都機能の分散と国土の均衡発展を実現すべきである。
好機は現在をおいて他にはない。
▲企業レベルで見ても、東日本の本社機能が万が一、災害により壊滅状態に陥った場合でも、西日本の支社がこれにとって代われるようなリスク分散を今こそ実行すべきチャンスである。
また西日本に一極集中した企業があるとすれば、東日本に適度なリスク分散を成すべきである。
これは、東京への過度の集中を是正し、首都圏に経済空間の余剰が生じた時のみに可能となる。
東から西への約2000万人の異動を伴う、国土再構築は、インフラの整備を含めれば、厖大な有効需要の創出となり、これが災害復旧の公共投資に更に上乗せした形で、日本経済を内需主導型で成長させるエンジンとなる。
▲平安時代までの日本は、西日本中心であった。
東日本はフロンティアであり、新興地域であったに過ぎない。
鎌倉幕府の開幕以来、このバランスに変化が生じ、東日本に徐々に国の重心が移って来た。
明治維新以降は、東京への一極集中が進み、第二次大戦後の高度成長は、寧ろ、東京への一極集中を過度に推進してしまった。
東日本でも、首都圏を除く、北関東・東北地方は、過疎に悩まされて来た。
この歴史を踏まえて、西日本を大復活させる事により、東西の均衡のとれた日本が誕生する事になる。
例え国家の一地域において、決定的な災害が起ころうとも、他の地域が有機的に機能し、その損害を補う事によって、災害地の復興が可能となる。
あらゆる富と生産設備と頭脳が一か所に集中していれば、その一か所が決定的な災害に見舞われた時、国家は、復活する事が出来ない。一地域における災害が、国家そのものの衰退という結果を生む事になる。
▲リスク分散はこの為にどうしても必要である。
リスク分散は同時にコストの増大をもたらす。逆に言えば、東京への一極集中はリスクを無視した短期的な高率至上主義によってもたらされたものである。
今後はコストを十分に踏まえた上でのリスク分散こそが、国家としての真の安全保障であるという原則に、政財界指導者は目覚めなければならない。
それは同時に、過疎過密問題を解決する絶好の新政策ともなる。
例えば国会に関しても、西日本の岡山や広島で年間何日間かを開催できる状況としておけば、首都東京が大災害に見舞われた場合でも、いつでも国家の緊急事態に対応する事が出来る。中央政府の諸官庁も西日本の主要都市に分散して配置しておけば、東京が壊滅した場合でも、いつでも大阪以西に緊急に機能を移動させる事が出来る。
西日本においても、京阪神に一極集中が起きないように、寧ろ、主要中核都市を均衡発展させる政策を取るべきである。
▲又、この際、「地方主権」などという考え方が如何に国益に反し、現実にそぐわないかを再認識すべきである。
もし、「道州制的地域主権」なるものが実現していたらどうなるだろうか。
「東北州」の災害には他の道州は全く有機的にこれを救済する事が出来なくなってしまう。
主権とは即ち、独立国家であり、独立財政であるから、国家としての一体性を原則として否定する事になる。
「東北州」が一主権地域ならば、今回の大災害に対して、単独で災害復旧に立ち向かわなければならない事になる。
如何に、地域主権という考えが、現実にそぐわないかは、この一事例をもってしても即座に了解できるであろう。
▲「日本国は、主権国家として一体であり、地方の自主性を重んじながら、国家機能を分散させ、リスクに備える」という考え方と、「道州制的地域主権」とは似て非なるものであり、実は真っ向から対立する国家観なのである。
日本国民全体が、皇室という尊い存在の下、1つの歴史的な有機体として繋がりを持ち、相互に助け合い、各地方は均衡を持って発展してゆく、というのが真の国家経営のあり方である。
またそれは、日本国の歴史が我々に教える国家発展の基本でもある。
4.新エネルギー開発による段階的脱原発化
新エネルギー開発で、段階的・脱原発化。
▲福島における原発事故は、現在のところ、最悪の事態を免れてはいる。
大震災と大津波は自然災害であるが、原発事故は自然災害が引き金となってはいるが、基本的に人災である。
最悪の事態が起きる前に、日本は現在の核分裂に基づく原子力発電所を段階的に廃棄し、新エネルギーの開発によって、これを代替すべきである。
原発については、様々な考え方があり、私自身もかつては原発容認派であり、寧ろ最近は「原発推進もやむをえず」との立場を取って来た。
しかし、他の国はともかく、いつでもどこでも予測不可能な大震災の起きる可能性のある日本の国土にとっては、現在の原発はあまりに危険すぎる。
▲日本の原子力発電所を各国と対比した場合、相対的に安全であったのは事実であろう。
しかし、マグニチュード8.5の地震には耐えられても、マグニチュード9とそれに付随して起きる大津波には耐えられなかったというのが現実である。
どこにどの程度のマグニチュードの地震が起き、それがどの程度の震度となり、あるいはどの程度の津波被害をもたらすか等を、完全に予測する事は出来ない。
安全基準は常にある程度の常識の範囲内で行なわざるを得ない。歴史的にマグニチュード9の地震が、過去になかったとすれば、それを想定しないのが経済合理性というものである。
しかし、何百年に一度、千年に一度の想定外の大地震はいつでも起きる可能性があり、現実に今日の東北ではそれが起きてしまった訳である。
▲M9の地震や大津波に耐えうる原発を創る事は可能であろう。
しかしそれでも、M9以上の地震や津波には耐えられないであろう。
そうである以上、原子力発電所が日本にとってはあまりに危険であり、不向きな発電方法である事は確かである。
地震や津波の想定とは、所詮、人間の都合で行なう事であり、もっとハッキリ言えば、企業は常にこれを採算性と照らし合わせて行なっている。
安全性最優先ではないのである。
地震の絶対ないテキサスや、フランスやドイツならば原発は作ってもよいかもしれない。
それは各国それぞれが独自の判断で行なえばよい事だろう。
日本に原発が向いていないからと言って、地震も津波も台風も来ない自然条件をもった国が原発を全廃すべきである、とは言えない。
しかし、日本国に関して見れば、まさに想定外の地震災害が起き、それによって原発の安全神話は完全に崩れてしまったのである。
▲今日までのところ、原発事故に起因した被爆による死者ないし患者は、一人も出ていない事になっている。
そうであり続ければ結構な話だが、今後、被ばくによる様々な被害者が続出して来ると思われる。
死者が今のところ発生していないにしろ、かなりの放射線漏れがあり、防災対策員を中心にかなりの被爆者が発生している。
これは明らかに電力会社が公言していた「安全」の約束が破られた事を意味している。
これに対する社会的責任は誠に重大であると言わなければならない。
▲電力供給は、公共性の高い事業であり、電力会社は、自由競争を免除されて、独占的な立場を享受している。
それは事業の安全と電力の安定供給の為に与えられた特権的な立場である。
その特権的な立場にも関わらず、今回、東京電力は、電力の安定供給が出来ず、安全性を保つ事が出来なかった。
その社会的責任は実に甚大である。
また、原発災害の対策の為に、国家機関がどれほどの費用を負担しなければならなかったのか。
この費用負担に対しても東京電力は全面的に責任がある。
企業のあり方そのものの変革が必要である。
▲そもそも原発に関しては、「絶対安全」が謳われ、「安全神話」が造られてきた。
何故なら、万が一、本格的な原発事故が起きた場合、その被害があまりに膨大な為である。
今回の福島原発の事故でも、本格的なメルトダウンが発生していれば、首都東京も含む、東日本のかなりの部分が危険地域となり、数百万人の被害者が発生していた可能性がある。
また事故が巨大となれば、日本国民そのものの生存が危うくなる可能性もあった。
更に事故が巨大になれば、日本国一国の問題ではなく、放射能汚染が地球のかなりの地域にまで拡がり、被害を拡大した可能性もある。
それ故に、原発に関しては絶対安全神話が人為的に作られて来たのである。
▲今回、我々は、日本の、もしかすると人類の「最後の日」を垣間見た訳である。
この恐怖感に我々は素直に反応すべきであると思う。
そもそも、絶対安全でなければならない技術は使ってはならないというのが原則である。
何故なら、人間の作るものに絶対安全は有り得ないからだ。
人間の作るものに絶対安全はない。
事故が起き、技術が破綻した場合でも、その被害が限られているから、我々は絶対安全でない技術を使い続けているのである。
例えば旅客機は、「絶対安全」ではない。
しばしば墜落事故を起こす事を我々は知っている。
しかし、旅客機が墜落した場合の最大の被害は、乗客と乗員の全員死亡である。(それが原発の上に落ちない限りは…。)
火力発電所が事故を起こしても、その最悪の結果は想定内である。
環境の破壊もあるが、それも限られたものである。しかし、現行の原発の事故に関しては、最悪の事態は、地球環境事体の汚染であり、日本人そのものの生存すら危うくなる可能性がある。
このような(絶対安全を前提としなければならないような)技術は、使ってはならないというのが、本来の技術哲学である。
▲人類は、スリーマイルアイランドの事故とチェルノブイリの事故と福島第一原発の事故を経験した。
各国の判断は、各国国民に任せるとしても、少なくともこの地震列島に住む我々が、これ以上、原発に電力供給を依存し続けていく事は許されないだろう。
それは又、我々の子孫に対する責任であると同時に、他の国々に対する責任でもある。
国土を核汚染して取り返しのつかないような災害をもたらす事を、日本国を愛する全ての人々は許してはならない。
▲日本に全く地震が無く、津波も台風も無く、ウラン鉱石が豊富であるならば、日本が原発に依存する事にも、ある程度の合理性は存在する。
しかし日本の地理的条件は全くそうではない。
また、原発に対する代案がなければ原発廃絶を訴える事は、あまりに無責任な主張であろう。
しかし現在、バイオマス、常温核融合、その他の再生可能な自然エネルギー、又、従来の火力発電や水力発電の効率化や節電などの新テクノロジーが既に目白押しであり、国内の発電量の約3割から4割(原発の発電量)をこれらの新しい電力源で代替させる事は、十分に可能である。
それどころか、国家の通貨発行権を元にした新エネルギーの実用化は、日本が世界に輸出する新テクノロジーとして、有望な成長産業である。
原発推進者自身が認めるように現在の核分裂型の原子炉は、本格的なクリーンで安全なエネルギー源が誕生するまでの過渡期の発電形態に過ぎない。
▲現在、最も革新的なものとしては常温核融合の可能性も大きく拡がっており、それ以外にも、様々なコスト的にも成立可能な代替エネルギーが開発されている。
これらの普及を阻んでいるのは、寧ろ、現在既に存在しているエネルギー利権である。
例えば、植物から取れる安価なアルコール燃料が普及すれば、ガソリンの売上が減少するので、石油会社はこれを阻もうとする。
原子力発電にとって代わる安全で安価な常温核融合発電がもし可能であったとしても、既存の電力会社の利益構造がそのような新テクノロジーの発展を阻む事になる。
要は、如何に合理的で、市場性のある新エネルギーでも、既存の利権構造に阻まれれば、社会に普及する事が出来ないという問題である。
今や、このような社会の安全と進歩を阻む旧利権体制を一掃して、国民に安全で安価なエネルギーを供給する体制を打ち立てなければならない。
▲しかし、これには大きな困難が伴う。
独占的な9電力体制によって守られている電力会社は、巨大な利権機構であり、官僚組織である。
まして原子力発電は、「めちゃめちゃに儲かる」商売なのである。
彼らは政治家と学者とマスコミに対して、巨大な支配力を行使している。
独占事業をやっている電力会社が本来、マスコミでPRをする必要は全くない筈だが、彼らはPRに厖大な費用を費やしている。
原発を中心に電力会社に対する批判を封じ込める為である。
今回の福島原発の事故に際しても、テレビ等の解説に登場した学者のほとんど全ては、原発擁護・推進派であり、電力会社の息のかかった御用学者である。
▲更に、この悲劇を増幅しているもう1つの事実がある。
それは、反原発を唱える人々の主力が、リベラル左派の反体制派であった事である。
日本の国益を重視し、日本の文化伝統を愛する立場からの反原発論者は極めて少数派であった。
その結果、マスコミの中で展開される図式としては、「体制派=原発推進派」VS「反体制派=原発反対派」という不毛の対立図式しか存在しなかった。
そこで一般に、国益や伝統を重視する人々の間では、原発に対する批判がタブー視されてきた傾向がある。
一言論人として、そのような無言のプレッシャーは私自身も常に感じて来たところである。
▲ハッキリ言えば、保守的な言論人であって、脱原発の立場を明確に打ち出すのは、極めて難しい状況にあった。
多くの雑誌やマスコミが、電力会社の広告料に依存している以上、ましてこの不況下で、マスコミの広告料が減少傾向にある中、電力会社の主張に相反するような言論を展開する事は、特に保守派の言論人にとっては、致命傷になる可能性がある。
多くの言論人はこの事を無言の内、了解しており、このタブーにだけは触れないように、巧みに振舞ってきたと言えるだろう。
このような国家と民族の未来を破壊する旧利権構造は最早、完全に過去のものとしなければならない。
私自身の反省を込めて、そう訴える。
▲話がやや、個人的なレベルに逸脱してしまった感があるが、国家の通貨発行権を軸とした新公共投資の大きな柱として、新エネルギー開発を大胆に推し進めるべき時である。
日本国民は、智恵と工夫の民族であり、一端、新しい課題が与えられれば、これを技術的に克服する事は決して難しくはない。
日本人本来の創造性を信じて、新たな一歩を前に踏み出すべき時である。
私自身は勿論、技術者ではないが、原発にとってかわる様々な新テクノロジーについては、常に関心をもって、これを見守っている。
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