★御知らせ: 本日、呉竹会アジアフォーラム「我が国の安全保障と領土問題」開催!
講師、石破茂・自民党政務調査会長。2部では領土問題について、小磯明・都議、藤井厳喜も加わり公開討論会です。
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今から5年前、平成17年(2005)年、4月23日、私は石垣島から尖閣諸島に向けて出港しようとしていた。
尖閣諸島に自ら上陸して、その実態を自分の目で確かめたいというのが私の年来の願望であった。
その前年、平成16年にも石垣島に渡り、2度にわたって尖閣上陸を企てたが、一度は船のエンジンの故障で、一度は天候不順の為にそれを阻まれてしまった。
今度こそはと、意気込んでの第三回目の挑戦であったが、この時は海上保安庁に出港をのものを阻まれて、残念ながら尖閣上陸の夢は果たせなかった。
しかし、この挑戦によって、いくつかの重要な事実が明らかになった。
それは、平成16年4月6日に出された内閣官房副長官補付内閣参事官と内務省大臣官房参事官による事実上尖閣諸島への上陸を禁止する通達であった。
平成16年以来、現在も、事実上尖閣への上陸は日本政府自体によって禁止されている。
通達自体は政府の許可があれば上陸できるという建前であるが、政府がそれ以降全く許可を出していないので、事実上、尖閣諸島への日本人の上陸は禁止されているのである。
この通達の存在を明らかにした事が、当時の私のせめてもの行動のささやかな成果であった。
この時、一緒に渡航しようとした仲間は、石垣市議会議員の仲間均氏、NPO南西諸島安全保障研究所の奥茂治ら一名の計4名であった。(船の船長は除く)
渡航失敗後に私が『月刊日本・平成17年6月号』に寄稿した論文をそのままブログに公開し、読者の便に供したい。
尖閣のおかれている状況を少しでも正確に伝える事が出来れば幸いである。
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【突撃ルポ! 尖閣諸島を「第二の竹島」にするな。 ― 政府は早急に尖閣諸島を実効支配すべきだ!】
国際問題アナリスト 藤井厳喜
● 尖閣諸島への渡航を阻止した海上保安庁
2005年4月23日(土曜日)午前4時。
石垣港から尖閣諸島・魚釣島に向けて出航しいようとした我々は、海上保安庁職員の妨害にあった。
渡航を計画していたのは私と石垣市議会議員・仲間均氏、NPO南西諸島安全保障研究所の奥茂治氏、他1名の計4人。
妨害したのは、石垣海上保安部の職員約40数名であった。
搭乗予定の漁船は海上保安庁の警備艇に横付けされ、しかも漁船が動けないようロープによって波止場に固定された。
そして午前6時5分、出港停止命令が出されたのである。
4時間半にわたって押し問答を続けたものの、結局、尖閣諸島渡航という目的は果たせなかった。
私が企てた今回の尖閣諸島への渡航計画は、3回目にあたる。
東アジアにおける安全保障問題について、長らく研究活動を行ってきた著者だが、特に日本施政下にある尖閣諸島について、現地の状況が一般の日本人に殆ど伝わらない事に疑問を感じており、以前から直接行って現地を見てみたいという想いを持っていた。
その中で昨年(2004年)3月下旬、宮古島から尖閣諸島へ向けた1回目の出航を計画、ある船主と交渉した。
この船主からは、「島の見えるすぐ近くまで行って年中漁ををしている、右翼の人ではない一般の人ならいつでも乗せていってあげますよ」と快諾を得た。
しかし、まさにその直後、中共から船でやって来た7人が魚釣島に不法上陸する事件があり(2004年3月24日)、先を越された形となった。
それから尖閣諸島周辺はあたかも戒厳令のように警備が厳しくなり、出航は不可能となった。
2回目の計画は、昨年(2004年)7月下旬。私と仲間市議の2人で計画していた。
何とか出航はしたものの、途中で予期せぬエンジン故障が発生し、断念せざるを得なかった。
そして今回、3度目の計画となった。
4月22日夕方に石垣島に到着、深夜に出航する予定であったが、なぜか海上保安庁に察知されていて、メンバーの1人が呼び出され、出航しないようにと再三説得された。
しかし、これまでは船を一旦出してしまえば、海上保安庁は法的には手を出さず、事実上容認してきたから、今回も大丈夫と我々は楽観的に見ていた。
尖閣諸島近くには1000トンクラスの海上保安庁の巡視船が常駐しているが、「上陸しないでください」というだけで、上陸を監視しているだけだ。
実は海上保安庁関係者も上陸を禁止されていると思われ、昨年のシナ人7人上陸の際もわざわざ沖縄県警が出向いて逮捕している。
仲間氏も「日本人が日本の領土に行くのに何ら問題がない、特に私は石垣市議としての行政視察で行くのだから」と言う。
1997年に西村眞悟衆議院議員が上陸した際は何ら問題がなかった。
私も、昨年(2004年)3月下旬に、事前に、第11管区海上保安本部(那覇市)に赴き、「尖閣諸島への上陸自体は違法行為、禁止行為ではない」との言質を得ている。
● 出港停止命令の根拠とされる奇妙な通達の存在
しかし今回は状況が違っていた。
政府は、国の許可を得ずに日本人が尖閣諸島に上陸する事を禁止する内閣官房副長官補付内閣参事官と総務省大臣官房参事官連名の通達(?)が今年(2005年)4月6日付で出されていた事を初めて知った。
総務省から海上保安庁に要請が下りており、今回の出航は違法行為(軽犯罪法違反)が予見できるという理由で出港停止が出されたのだ。
======== 引用 =========
《資料: 尖閣諸島の上陸について 》
平成16年4月6日
内閣官房副長官補付内閣参事官
総務省大臣官房参事官
1. 尖閣諸島の平穏かつ安定的な維持を図るため、政府は、平成14年4月から、同諸島の所有者から同諸島(入江に係る部分を含む。以下同じ)の3島(魚釣島、北小島、南小島)を賃借しているところである。
2. また、同諸島の所有者からも、正当な理由なく同諸島への上陸、工作物の設置等(以下「同諸島への上陸等」という)を行うことは認められない旨の意思が示されている。
3. 賃借の目的を踏まえ、政府としては、あらかじめ認める場合を除き、同諸島への上陸等を行うことを禁ずる。
========= 引用・終わり ========
我々の強い抗議に、石垣海上保安部の警備救難課長がしぶしぶ通達の文面を見せてくれたが、コピーは認められなかった。
真偽を確認する為、総務省との連絡を求めたが、土曜日の朝という事情もあってできず、結局その場では梯課長の上司である新城部長に同じ説明を受けただけに終わった。
おそらく、インドネシア・バンドン会議での小泉・胡錦濤会談を前にして警戒していたのであろうが、今回、仮に出航ができても島の上陸は実力阻止されていたであろう。
筆者は今回の彼らの態度に非常に官僚主義的な壁を感じた。
筆者が指摘したいのは、この通達には疑問が多い事だ。
先ず、
1) 公文書であるにも関わらず、判が押印されておらず、
2) 官庁の文書番号もない。また、
3) そもそも参事官クラスの人間がこのようなことを勝手に決められるのか、越権行為なのではないのか。
大臣はこの事を知っているのか、と疑問はつのるばかりであった。
帰京後、領土議連アドバイザーである筆者は、同議連のさる国会議員にもこの通達について照会したが、彼も知らないという。
領土議連は昨年6月、連名で尖閣諸島への上陸視察を求める要望書を出しているが、政府側が難色を示して、結局、海上自衛隊のP3C機に乗って上空から島々を視察する事で妥協した経緯がある。
また、フジテレビも同じ時期に尖閣諸島の取材を要望して断られている。
昨年(2004年)段階で、政府はすでに日本人の上陸禁止を決めていたのかもしれないが、国の領土の最前線について国会議員の国政調査権も及ばず、マスコミを通しての知る権利もない。
さらに、魚釣島に本籍がある奥氏(前出)のような人も上陸できないし、現状では墓参りもできないであろう。
尖閣諸島をめぐる政府の対応は全く異常という他はない。
● 中共政権も認めた「尖閣諸島は日本の領土」
歴史的経緯を見ても、尖閣諸島が日本の領土の一部であることは明らかである。
14世紀以来、琉球王国は安南やシャムなど東南アジアへの交易船を多く派遣、また明・清への柵封使の往来もあったが、これら琉球船は尖閣列島を目印に往来していたことから、沖縄(日本)と尖閣諸島の関係が当時から最も深かった。
1879年、琉球藩は清国との冊封関係を解消し、沖縄県が設置されるが、1884年頃から実業家・古賀辰四郎が魚釣島、久場島などを中心にアホウドリの羽毛、貝類などの採取を始めるようになる。
こうした事態に対応すべく、沖縄県知事は1885年9月、内務省に国標建設を上申するとともに、実地踏査を届け出ている。
政府は1895年の閣議決定で尖閣諸島を沖縄県に編入、標杭を建てる事を決定した。
そして古賀は翌1896年に国から30年間の無償貸与を受ける事に成功し(その後、有償で払い下げを受ける)、鰹節製造事業を開始、島の開拓に寄与した。
民間人が島に入った後で、日本政府が開拓を追認したということになる。
第二次大戦後の1951年に結ばれたサンフランシスコ平和条約で、尖閣諸島は南西諸島「八重山郡」の一部としてアメリカの施政下に置かれ(公文書や地図にも明記)、1971年の沖縄返還協定で日本に施政権が返還されて現在に至る。
沖縄県石垣市役所には、中共や台湾による領有権の主張を崩す有力な資料が残っている。
史料は中華民国9年(1920年)5月20日付で、中華民国駐長崎領事・馮冕が中国漁民31人の救助に対して、当時の沖縄県石垣村(現、石垣市)村民に贈った「感謝状」である。
その中で尖閣諸島のことを「日本帝国八重山郡尖閣列島」と明記している。
これは中華民国が当時から尖閣諸島を日本領と認めていた証拠である。
また中共政権も、『人民日報』1953年1月8日の論説「琉球群島人民の米国占領反対闘争」で、「琉球群島はわが国台湾の東北と日本の九州の西南の海上に散在し、尖閣諸島、先島諸島、大東諸島、沖縄諸島、大島諸島、土暍喇諸島、大隈諸島の7組の島嶼を含み(以下省略)……」と書いており、「地図出版社」が北京で出版した『世界地図帳』(1958年11月出版)においても、尖閣諸島は「尖閣群島」という日本名の下に日本の領土として取り扱われている。
中共政府も、このように尖閣諸島は日本の一部として認識していた。
中共・台湾が尖閣諸島における主権を突如主張し始めたのは、1968年、国連の海洋調査団が東シナ海の海底調査を行なった結果、海底に有望な石油資源が埋蔵されていることが明らかになってからのことだ。
今年(2005年)2月9日、細田官房長官は記者会見で「尖閣諸島の魚釣島に民間が建設・所有してきた灯台を、同日から国が直接所有・管理することになった」と発表した。
筆者は政府が直接管理する事は島の実効支配をより高めることになる、と安心していた。
ところが実際のところ、政府は未だに島を管理する気配を見せないどころか、今は日本人が上陸することさえ違法行為として許さなくなった。
状況は二歩も散歩も後退している。
昨年(2004年)3月のシナ人上陸事件の結果、神社の鳥居が焼かれたとか、開拓者・古賀氏の顕彰碑が破壊されたとも伝わっているが、政府はその詳細を未だに明らかにしない。
反対に、日本側も尖閣上陸を禁止するから中共側も出航を阻止してほしいという小泉・胡錦濤両首脳間の密約があるのではないかと巷間で噂される始末だ。
今回の出航阻止は、まさにこの信憑性が正しいと実感させる事件であった。
かつては現場にあって、我々の行動を心情的に支持してくれていた良心的な海上保安庁関係者が排除されてしまい、上意下達に唯々諾々と従うような小役人しか見られなくなったこともまた残念である。
● 尖閣諸島を「第二の竹島」にするな
筆者が懸念するのは、尖閣諸島に多数の民間のシナ人が武器を持って不法上陸するケースだ。
過去から見ると、1978年4月には約半月にわたって200隻のシナ武装船団が尖閣海域に侵入しているし、1996年10月には、台湾と香港の活動家が40数隻の船で尖閣海域に侵入、うち5人が魚釣島に上陸しているし、03年の1年間に328隻が不法侵犯している。
最近日韓の間で領有権問題が再燃している竹島のように、もし中国人民解放軍もしくは武装した中共国民に尖閣諸島を急襲され占領された場合、日本政府は武力を使って取り戻す覚悟があるか。
そのような決断は到底出来まい。
そしてもし双方が発砲して死傷者でも出たならば、日本政府はどう対応するつもりか。
昨年(2004年)来、経済産業省は東シナ海の日本側排他的経済水域(EEZ)海底でエネルギー資源の調査をしているが、まず尖閣諸島で実施すべきだ。
海底油田の鉱区開発を申請した企業は、当初、尖閣諸島で資源開発を考えていたというし、島でボーリング調査した方がコストもかからない。
尖閣諸島海域は第二の北海油田となる可能性がある。
そうなれば、日本にとって大きな国富の増大となり、地元沖縄県や石垣島などにも巨大な利益をもたらすことになる。
明らかに国益につながるのに何の行動も起こさないのであれば、政府は売国外交を行なっていると言わざるを得ない。
仲間市議は10年以上も前から、尖閣諸島に上陸を繰り返し、隣接する北小島と南小島をつないで船の緊急避難港を構築すべきだと主張しているが、一向に実現していない。
一度整備したヘリポートも中共への配慮から壊されたという。
尖閣問題は、日本の領土の保全とともに、エネルギー開発・観光開発、さらに地元住民対策にも関わっているのである。
政府は地元漁民のこのような切実な要望も早く解決していかなければならない。
そのためには日本国民全体が尖閣問題を正しく理解し、政府に早く行動を起こすよう、圧力をかける必要があると切実に感じている。
2005年2月16日、衆議院予算委員会で尖閣諸島の「灯台国有化」について、ひとつの政府見解が出ている。
中津川博郷・民主党衆議院議員の質問に対して、町村外相は「灯台の機能を果たすために必要な対応を行なう」と関係要員の常駐に前向きな答弁をした。
それにもかかわらず、いつまでたってもその動きは見られず、かえって従来可能だった民間人の上陸禁止を行なっていることは、明らかに日本国民の目をごまかしているとしか考えられない。
早急に恒久的施設を作って実効的支配を強化しなければ取り返しのつかないことは、竹島ですでに経験済みである。
無人島政策を取っているのは日本に領有の正統性がないからだ、と諸外国から見られかねない。
筆者は、日本人が日本の領土に行く事を禁止している国益に反したこの通達(?)の有効性について、早急に国会で議論することを望む。
そして一刻も早く海上自衛隊を派遣して、島に陸上施設を作り、関係者を常駐させることを強く訴える。
さらにマスコミにも自由な取材を認め、観光開発、エネルギー開発、また漁業開発も進めて、日本が実効支配の度合いを高めていく状況を早く作り出すことが肝要だと信じる。
(以上)
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