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近現代世界の国際秩序の変遷 (1)

投稿日:2010,01,21


昨日の「正論を聴く会」では、かなりの時間を費やして、近現代世界の国際秩序の変遷についてお話した。

言い換えれば、「世界の覇権構造が近代においてどのように変化してきたか?」という鳥瞰図的な見取り図を提出したのである。





(※ これら映像で語った、覇権主義の変異についての解説の後、本日のブログの内容について詳しく講演した。)


近代世界の世界秩序を語り始めるには、1492年のコロンブスのアメリカ大陸の到達から語り始めるのが適当である。

第一に登場した覇権国家は、スペインであり、これと対立関係にあったライバルがポルトガルであった。
あらゆる時代において、覇権国家とは言っても、一国が世界を完全に支配する事はない。
現実には、ナンバー1の覇権国家とこれと対立する準覇権国家があり、この対立軸が世界秩序の基本を構成すると考えられる。
初めにあらわれた対立軸は、スペイン対ポルトガルの対立軸であった。
この二大海洋植民地帝国は、1494年のトルデシーリャス条約と、1529年のサラゴサ条約によって、世界の分割統治を計画した。
この辺りがこの二つの帝国の権力の絶頂期であったと言えるだろう。
1581年にはスペインの植民地であったオランダが独立し、スペインの支配にも陰りが見えてくる。
1588年には、イギリスがスペインの無敵艦隊を破る。
これ以降、スペインの覇権の急速な凋落が始まる。

ただし、イギリスが直ぐにスペインに取って代わって世界の覇権国家となった訳ではない。
イギリスが、世界に乗り出すには、その後、約100年間の準備期間を必要とした。
この100年間が、図抜けた覇権国家が存在しない近代における第一の群雄割拠の時代である。
スペインの無敵艦隊を破ってから、丁度100年後の1688年、イギリスで名誉革命が起きる。
この前の100年間には、イギリス国内で大きな動乱があった。
イギリスの絶対王政がピューリタン革命という共和制革命によって倒され、その倒された王政が復活し、共和制革命への反動が起きる等の大動乱の時代である。
この国内の大動乱が名誉革命によって終結し、今日に至るイギリスの議院内閣制の基礎が築かれる事になる。
またこの時代にイギリスは、ローマ・カトリック教会の一元的支配から独立し、国内にイギリス国教会を確立した。
宗教的にも、近代国家として、外国の宗教的権威の支配から自立したのである。

1707年には、イングランドがスコットランドを吸収し、大ブリテン王国が成立する。
ここら辺からイギリスの海洋国家としての世界覇権確立の闘いが始まる事になる。


(第二回に続く)