私が東京駅・丸の内北口に到着したのが、午前10時05分くらいであったが、既に相当数の人が、集まっており、草莽地方議員の方々が中心となり、小型の街宣車のスピーカーを使って、既に抗議活動を始めていた。
経団連会館での抗議を終えた人々は、上薗さんと永山さんの誘導で、シュプレヒコールを繰り返しながら、丸の内北口に到着した。
途中、皇居前を通り、その時も「今からでも遅くない。会見を中止せよ!」と皆、思い思いに声を上げながら、抗議の行進を続けた。(参加者の報告)
経団連会館前から、移動した人々も、次々に加わると相当な人数となった。
午前10時代になっても、流石、丸の内地域だけの事はあって、かなりの人通りがある。
丸善オアゾのビルに入ってゆく人、出てくる人も途切れなく、続いている。
通りに面して掲げている横断幕に目をやる人も多く、ここでの街頭宣伝もかなりの成果を上げたのではないか、と思う。
ここでも、マイクを握らせてもらい、力を込めて演説をさせてもらった。
ここでは、小沢一郎の独裁者的言動の批判に集中した。
小沢が自ら、天皇陛下の上に立ち、憲法の上に立っているが如き言動をしている事、
天皇の国事行為に関する小沢の憲法解釈は全く誤りであること、
小沢が法治主義さえも無視しようとしている事、
我々の対抗手段としては、小沢をはじめとする民主党の幹部、並びに小沢に率いられて訪中した143人の国会議員全員を落選させる事、等について、力説した。
最後に、この場での街宣を締めくくる形で、水島社長がマイクを握った。
経団連に向けて行った抗議活動について、報告してくれた。
拝金主義のゆえに、売国奴と化しつつある日本の財界人を強烈に批判したのが印象的であった。
(↑このスピーチの詳細についても後日、ポッドキャスト形式でUPしたい)
その後、参加者は、和田蔵門前に移動し、ちょうど習近平が天皇陛下に拝謁する時間帯を目がけて、皇居の中に届けとばかりに、抗議の声を上げ続けた。
(↑ これは歴史的に許されてはならない事だ)
11時頃から和田蔵門前での集会が開かれ、抗議者は外堀通りに沿って、一列に並び、抗議の意思を示した。
水島社長はこの間、小さな街宣車の中からスピーカーを通じて、習近平と小沢一郎非難の抗議スピーチを続行した。
永山さんが、先行部隊で、次の抗議の場所である赤坂見附に向かったという事を聞き、私は、11時30分くらいにやや早めに和田蔵門を後にし、地下鉄丸の内線で赤坂見附に向かった。
赤坂見附に到着し、地下道から地上へ出ようとすると、何やら物々しい雰囲気である。
近づいてみると、抗議活動の人々を地上に上げないように、階段の手前で警察官が、阻止している。
永山さんが、警察官に強行に抗議しているが、中々らちがあかない。
(↑ 出入り口を封鎖された為、地下道で立ち止めをくらった参加者。)
地上に出るだけなら、他の出口を使ってもよいわけだが、地上の小さな広場もどうやら警察官で一杯のようで、抗議活動は出来ないらしい。
私はやもえず、何人かの友人に電話をかけ、現状を報告した。
また、水島社長にも携帯で連絡を取ろうとしたが、残念ながら電波が通じない。
ここは、待つしかないと腹を決めて、地下道で待機していた。
永山さんが責任者と思しき警察官に盛んに「どんな法的根拠で、移動を阻止するのか?」と舌鋒鋭く迫っている。
応対する警察官の方は、明確に法的根拠を明示する事が出来ないようである。
そんな押し問答がしばらく続いていた。
私はもう、ここでの抗議集会は出来ないのか、と諦め始めていたが、この時、突然、地上への移動が許可され、我々は、階段を上り、小さな広場に結集する事が出来た。
(↑ 次々に地上に出てくる人々)
警察官がズラリと弁慶橋の側に立ち、レセプションが開かれている赤坂プリンスホテルの方向を守るような体制である。
我々は、警察官の壁に半ば囲まれるような形で、抗議集会を始めた。
私は、少々腰が痛くなり、スチールバーの腰かけで少し休んでいた。
意外な事は、ビラを受け取ってくれる人が多く、中には集会の輪に加わってくる人も結構いる。
昼休みの間に、集会の参加者はドンドン増えていったような印象である。
この日の運動全般について言えた事だが、みんな、自由な時間に参加し、自由な時間に抗議を離れて帰り、参加者の数は一定しないが、融通無碍に人数が入れ替わりながら、結構な数にまで膨れ上がっていった。
この後、赤坂見附から、民主党本部に異動する時の隊列の長さを見て、参加者が増えている事に驚いた。
この時が参加者数のピークで、400から500人くらいはいたのではないだろうか。
(続きは、「3・民主党本部前抗議+夜の渋谷ハチ公前抗議」です。)