11月30日月夜は、西尾幹二先生主催の「路の会」に参加。
当夜のスピーカーは、作家でアナウンサーの、桜林美佐さんで、彼女の近著『終わらないラブレター』を中心とする話を伺った。
テーマは日本の「ゼロ時」(昭和28年8月15日の戦後の原点)に人々は何をしていたか、そしてどのように時代の時計を動かし始めたか、である。
一般には知られていない非常に面白いお話を伺った。
やはり、女性ならではの視点で書かれた本である。
終戦の事を男が論ずれば、おのずとその政治的決断や、国家の中枢部でどのような事が行なわれたか、という政治史に注目する。
桜林さんの視点は全くそうではなく、人々が、「日本ゼロ時」に何を考え、何をしていたか、を極めて具体的に書き残そうという試みである。
私が門を開かれた1つのエピソードは、終戦間近に日本の沿岸は米軍の機雷によってほぼ完璧に海上封鎖されていた、という史実である。
米軍はこれを「対日飢餓作戦」と呼んでいたという。
終戦直後、先ず第一にやらなければならなかった事の1つは、この機雷を除去するという掃海作業であった。
旧海軍の生き残りや、漁民達が、この任にあたった。
給料は、良かったが、勿論、危険な作業で、何人もの死者が出たという。
彼らは「掃海ゴロ」と呼ばれ、戦争直後には、大きな注目を集める存在であった。
そのような形である意味での戦争を継続していた人々もいたのである。
意外だった事は、8月15日の記憶が、全く抜けている人が意外に多いという話であった。
終戦というあまりに巨大な変化に茫然自失していたという事であろうか。
この本とは別に、マスコミにおける「言葉狩り」や思想統制の自主規制の話も大変面白かった。
桜林さんは、ラジオやテレビの校正作家としての仕事もされており、その体験談である。
例えば、MXテレビで石原都知事が「シナ」という言葉を使うと、その後の編集段階で、技術的にこの「シナ」という言葉を消してしまい、全くそれと気付かないように、番組を編成する等という日常的に行なわれていたそうである。
編集の技術が非常に優れており、視聴者は全く気付かないでこれを見逃してしまうという。
ある時、自分の番組を見た石原知事がこれに気付き、次の機会に「シナ」という言葉を連発し、編集によるごまかしが流石に不可能になった事もあった、という。
自主規制が行なわれる理由は様々なものがあるが、現場の制作者からすれば、不適当と思った外部の人間が、組織的にテレビ局に仕掛けてくる行為に参ってしまうのが原因の1つである。
組織が、電話等により、猛烈な抗議活動を行なうので、その外部圧力を恐れるのである。
結局、トラブルを避ける為に、始めからある一定の意見や言葉は、使わないようにしよう、という圧力が働いてしまうのである。
という事は、我々サイドからの抗議もこれを大量に、かつ執拗に行なえば、放送局の現場には一定の圧力がかけられるという事だ。
確かにNHKに対する抗議行動は、効果を上げているのだと思う。