今年の憂国忌は、国会にほど近い、星陵会館ホールで開かれた。
シンポジウムは、「現代に蘇る三島思想」というタイトルで、行われた。
パネリストは、西部邁、西村幸祐、杉原志啓、富岡幸一郎、の四氏。
司会は富岡さんが務めた。
現代日本の状況に関しては、西部先生は非常にペシミスティックであり、それに対して杉原さんは、オプティミスティックなのが、好対照をなしていた。
杉原さんのオプティミズムというのは、現状が良いとか、良い方向に動いているとかいう事ではなく、危機が深まれば、必ず日本人の中から救国の運動が湧きおこってくる事を信じている、という意味でのオプティミズムである。
その点で、杉原さんのオプティミズムは、西部先生のペシミズムと表裏一体のようでもあり、外見は正反対だが、通底しているようでもある。
杉原さんは1951年の生まれだが、西村幸祐さんは、1952年の生まれである。
私も昭和27年、つまり1952年の生まれなので、二人がどのように三島事件と遭遇したかという体験談は、面白くもあり、また、同時代人としての共感を覚えた。
悲観・楽観ということであれば、西村さんは西部先生と杉原さんの中間である。
自らもそのように発言していた。
最後に、三島の天皇論という難しい話題に入ったところで、シンポジウムは時間切れとなってしまった。
これは、重大なテーマなので、来年以降、一度、長時間をかけて徹底的に議論すべきテーマであると思う。
北野アームズで開かれた懇親会は、楽しいものだったが、最後に西部邁先生が天皇陛下万歳の音頭をとられた。
素晴らしい聖寿万歳であった。
私は、大きなカタルシスを感じた。
来年は、40周年であり、九段会館大ホールで、大きな集会が開かれる。
毎年、憂国忌でしか御逢い出来ない方もあり、没後39年にして、400人以上の聴衆を集める三島由紀夫の思想と行動の衝撃を改めて思った。
三島の天皇観については、私も思うところがあるので、いずれ、一文にまとめたいと思っている。
以下、昨年、制作されたと思われる三島由紀夫を紹介した映像を転載するが、その叙述に完全に間違っていると思われる部分があるので指摘しておきたい。
それは、1969年新宿における左翼過激派のデモが警察機動隊によって鎮圧された事への三島の反応である。
この映像のナレーション(7:29秒の箇所)では、「治安出動に自衛隊が出動すれば、それによってクーデターが可能となり、自衛隊が正式の国軍になる事が出来る」と、三島が考えていたという。
これは、誤りで、三島は、自衛隊が治安出動により左翼過激派を鎮圧すれば、それにいより自衛隊の必要性が全国民の目に明らかになるので、合法的な憲法改正が可能であると考えていたのである。
自衛隊の出番が無かった為に、憲法改正のチャンスが半永久的に遠のいたと、三島は絶望したのであった。
この点だけを注意して以下の映像をご覧いただきたい。