井尻先生を塾長とする、拓殖大学日本文化研究所の公開講座「日本塾」に午後1時から3時まで出席。
講座は午後5時まであったが、午後3時からは、チベット人の視点からのNHK批判を取材対談する為に、ペマ・ギャルポさんと会見した。
(この対談内容は、『NHK報道体質と無制限戦争の時代』で発表される)
当日の「日本塾」の講師は、遠藤浩一拓殖大学教授で、タイトルは『戦後日本の宿痾‐「吉田ドクトリン
」と「英霊の聲」‐』であった。
「吉田ドクトリン」とは、「自主防衛力を軽視しながら、日米安保条約に頼って日本の安全を確保し、国の主要な目標をもっぱら経済発展におく」という方針の事である。
今日においても、自民党はもとより、民主党や共産党まで、この「吉田ドクトリン」を堅持し、信奉している、といった有様である。
遠藤教授の講演は、吉田ドクトリンを根源的に鋭く批判しつつ、福田恒存や三島由紀夫から引用しつつ、戦後日本人の精神の空洞化を指弾するものであった。
特に、『池田勇人と三島由紀夫の「見えざる接点」』と題した講演の第二部が非常に面白かった。
今日においてすら、生命の安全と財産の保全のみを政治の至上の目的とする考え方が主流を占めている。
そこで、抜け落ちているのは、国家の独立と個人の生命を超える価値の次元の存在である。
自民党の政治の要諦は、生命と財産を守る事であるし、共産党はかねてから命とくらしを守るを党のスローガンとしてきた。
今また民主党は「生活が第一」と訴えて、国民の歓心を買おうとしている。
確かに、国民を食わせていくことは政治の目標の一つではあるが、それだけが目標であるというならば、あまりに唯物論的である。
日本人が日本人である為に継承していかなければならない精神的伝統を放棄し、ひたすら経済的にのみ繁栄してゆこうというのは、まことに卑しいことではあるが、今や総選挙を前にして、相変わらずこのような言論が横行し続けている。
吉田ドクトリンについて言えば、このドクトリンは、既に破たんしているのである。
何故なら、いまや、経済大国になって久しい日本をアメリカは防衛する意思はないのであり、この事は特に冷戦終焉後、明らかになってきている。
例えばアメリカ側からは、2000年にアーミテージ・レポートなる提言が日本に向けて発せられている。
要旨は、アメリカは日本をイギリスと同等の同盟国として扱うから、日本はそれに見合う自主防衛力を整備し、経済的にもお互いの市場を開放しあう方向に進むべきだ、というものであった。
日本側は、この提言に対して、今日まで一言も対案を出さずにきている。
アメリカ側から見れば、吉田ドクトリンはもう古い、新たな対等の日米関係を築こうと呼びかけてはみたが、日本人は吉田ドクトリンという古い殻の中にひきこもったままなのである。
井尻先生の講演の後半と、井尻先生と遠藤教授の対談を聞き逃したのが、誠に残念であった。