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シリーズ 『共和制革命を狙う人々』 第2回 「地方主権論と共和制革命」

投稿日:2009,07,05

シリーズ『共和制革命を狙う人々―大統領制、道州制を推進する人々の陰謀と偽善のカラクリ』 第2回 


第2回  「地方主権論と共和制革命」 


▼  地方主権という言葉のいかがわしさ 

 政治改革の文脈で、「地方分権論」が主張されて久しい。
「中央集権=悪」であり、「地方分権=善」であるといったような短絡的な思考が今も支配的である。

最近では、宮崎県の東国原知事などが盛んに「地方主権」などという言葉を使っている。
地方主権などという日本語は、まず間違っており、そのような概念自体が成立しようがない

「主権」とはそもそも、国家に関して言われる概念であり、地方自治体に関して使われる概念ではない
主権とはそもそも、不可分のものであるというのが元来の定義であって、地方に分割されてしまうなら、それはもはや、主権とは呼べない代物なのである


「地方主権」という言葉(概念)自体が、それ自体で自己矛盾を抱えた用語なのである。

強いて言えば、「赤い白色」とか、「右向きの左」といった矛盾した言葉である。

宮崎県が、主権を持ちたいというならば、それは宮崎が日本国から独立し、自らの国軍を持ち、自らの防衛に責任を持つことになった時にのみ可能である。
仮に、そうなったとして、その時の「独立宮崎国」は、当然のことながら、君主国ではなく共和国になるのであろう。

「地方主権」という言葉を用いる隠れた危うさが、ここにはもう1つ存在する。
つまり「地方主権」という言葉を使うとき、その先に見えてくるのは皇室を否定した共和国のイメージなのである

象徴天皇を否定し、日本で共和制革命を実行しようというような謀略めいた考えが、地方主権という言葉の陰に蠢いているのが私には見えるのである。


つまり、宮崎県が、「独立宮崎国家」になればその時初めて「主権」という言葉を使いうるのである。

東国原知事などが実際に要求しているのは、「地方主権」ではなく、「自治権の拡大」である
自治体という概念は、確固たるものであって、地方主権などという曖昧にしていかがわしい概念ではない。

地方分権を主張し、自治権の拡大を要求するというのならば、その主張に賛否はあっても、筋の通らない主張ではない。





▼  中央集権と地方分権 

日本は、かつて見事なまでに地方分権的な国家であった。
それは江戸時代のことである。
中央に、徳川幕府は存在したが、俗に300所公といわれ、300の大名が、分権的に日本を統治していたのである。

各地方には、それぞれ個性ある文化が生まれ、封建的な分権制度は江戸時代に1つのピークを極めていた。
幕末から明治維新にかけて、このように地方分権的な国家では、近代統一国家としては機能しえないということで、中央集権への流れが決定的になった。
江戸時代の反対で、天皇のもとの中央集権的政府が日本国を統一したルールで統治する体制となった。

近代統一国家を作るには、大変、効率的なやり方であった。
各県知事ですら、県民によって選ばれるのではなく、中央の内務省から中央政府の内務省が各県知事を任命していたのであった。

戦後は、占領軍の改革により、より地方分権的にはなったが、中央官庁の締め付けはなお強く、所謂、三割自治といわれる状況が常に何十年も前から批判されてきた。
「三割自治」とは、各地方自治体の行う仕事のうち、独自の予算で賄える部分が予算上で30%しか存在しなかったからである。
つまり、7割の予算は中央政府からの補助金等によって分配されたものであった。
当然、中央官庁の地方自治体への行政指導力は強力なものがあった。

自治体といえども、3割しか予算の裏付けをもった本当の自治は行えていなかったのである。

日本には、かつて奇妙な中央官庁が二つ存在していた。
1つは、自治省であり、もう1つは行政管理庁である。
行政管理庁とは、謂わば行革を行い、役人の数を減らすための役所である。
言い換えれば、役人を整理するためのお役所である。

誠に奇妙な官庁であった。

自治省というのも、似たようなもので、地方自治を指導する官庁が中央に存在したわけである。
これでは、本当の地方自治の繁栄はもとより不可能であったに違いない。

しかし、地方分権を求める声が高まり、過度の中央官庁への権限の集中が批判されるようになってきた。
地方のバス路線の山の中の停留所を1つ動かすことにさえ、中央の運輸省の許可がいるといったようなバカバカしい許認可行政に対する国民や自治体の反発は一種の国民的なコンセンサスを得てきたと言ってもよいだろう。

無用な許認可行政が政治家や役人の腐敗汚職を生んできたのも確かである。
江戸時代の日本を見れば、日本人は甚だ自治能力に富んだ国民であり、何もかもお役人に決めてもらわなくても社会を十分に運営していくだけの能力はあるのである。

確かに過度の中央集権的許認可行政を正すことは必要であるが、何もかも中央集権が悪く、地方分権が正しいのかとなると、これはこれで大きな疑問である。


例えば教育制度について考えてみれば、明治以来の中央集権のお陰で日本国中、均一のレベルの教育が普及し、これが日本の近代化を促進し、貧富の差が過度に広がることを防いできた。
義務教育の質の高さが社会の共有財産になってきたのである。
北海道の利尻島から、沖縄の石垣島まで全ての小学校の教育設備は均一であり、音楽の音楽室の設備や理科室の設備も、同じ水準のものになっている。
これを日本人は当たり前のこととしてあまり評価しないようだが、これは効率的な明治以来の中央集権制によってのみ成し得た偉大な成果である。

発展途上国に行けば、この様なことは期待できないし、アメリカのように地方分権と自治体の力が強いところでは、このような教育制度の均質な発展は望むべくもない。
アメリカにおいては、経済的に貧しい自治体の公立学校は貧しいままに放置されており、設備は劣悪で、教師の質の極めて低いのが当然のことになっている。このような豊かな自治体は豊かであり、貧しい自治体は貧しいという差別は、警察や教育のみならず、警察や消防においても見られるところである。

自治体の財政主権を重んじるというのは、一見、結構なことのようだが、貧しい自治体においては救いのない状況になってしまうのである。

日本人は、明治以来の中央集権の長所を見ずして、欠点のみを見て、「地方分権=善」、「中央集権=悪」、という短絡的な思考に走っているように思われる。

そこから、「地方主権」などという怪しげな概念も生まれてくるのであろう。


ちなみに、私が知る範囲では、「地方主権」という言葉を使った一番古い例が、1990年に発表された『社団法人 行革国民会議 (地方分権研究会)』による「地方主権の提唱」という提言である。

つまり、地方主権という国家解体を仕掛ける勢力は、約20年も前からその策謀をはたらいてきたわけである。
まことにその根は深いと言わなければならないだろう。
この提言を読んでみると、このレポートを指示していたのは二つの勢力ではないか?
という推論が成り立つ。

それは、第一にアメリカからの圧力であり、第二は日本国内における新左翼的国家解体論である。
当時、アメリカの政権はブッシュ・シニア政権であり、日本に向けて日米構造協議による改革案を日本に盛んに仕掛けていた。

アメリカからみれば、通産省や、大蔵省に代表される、強い中央官庁がアメリカ側の要求に立ちはだかる大きな障害であった。
アメリカを中心とする欧米諸国からの強力な中央集権的日本解体への圧力が、この提言の背後にあったとしても少しもおかしくはない。


この提言書の国内における強力な支持勢力は、新左翼的・市民運動的中央集権解体論であろう。
1970年代には、所謂、革新自治体が日本各地で生まれ、従来の社会主義革命論に変わり、地方分権による日本解体論が大きな勢力を占めていた。
その熱狂的支持者は、従来の社会党や共産党ではなく、新たに登場してきた市民派左翼や、所謂、新左翼であった。

国家権力を解体し、地方自治体の権限を強め、その地方自治体を各個撃破によって、革新自治体化し、やがては日本全体の左翼革命を達成しようとする戦略が多くの支持者を集めていた。
まさに、彼らが望むような政策がこの提言書には溢れていると言ってよいだろう。


※ 次回は、シリーズ 『共和制革命を狙う人々』 第3回 「道州制と共和制革命」 に続く。