最高指導者、ハメメイ師が呼びかけたにもかかわらず、イラン国内における改革派(反政府派)の抗議活動が益々エスカレートしている。
様々な情報が飛び交っているが、既にかなりの数の死者がデモ参加者の間に出ているようである。
テヘランでは、機動隊によるデモ参加者へのかなり露骨な暴力的制圧が行われているようである。
イラン情勢を見る時に重要であると思われるポイントをいくつか列挙しておきたい。
1. 今日のイラン国内にもかなりの数の改革派が健在である。
これらの人々は、イスラム原理主義的な現体制を嫌い、社会全体の自由化を求め、欧米諸国との交流を広げる事を望んでいる。
政府がかなり露骨な干渉をしたにも拘らず、先の大統領選挙においては、改革派の候補が約3分の1の票を獲得している。
1979年のホメイニ革命の前においては、パーレビ政権の下、イランは新米・親イスラエルの国であった。
79年のホメイニ革命以降、パーレビ政権の支持者や近代化論者は弾圧を恐れて、アメリカをはじめとする国外に逃亡した。
それ故に、日本やアメリカをはじめとする諸国では、各国にあるイラン大使館の前でかなりの人々が反政府の抗議デモを行っている。
2.イランは、ペルシャ民族を中心とする国家であり、潜在的にはアラブ民族と対立している。
宗教的に見ても、同じイスラム教ではあるが、アラブの主流はスンニ派であり、イランはシーア派を国教とする国なので、この点でも周辺のアラブ諸国と対立関係にある。
3.パーレビ政権下においては、イランは親イスラエル的であった。
何故なら、アラブの背後にいて、アラブと対立しているイスラエルは、イランの潜在的な友好国だったからである。
事情はイスラエルにとっても同様であった。「敵の敵は見方」という論理が働いていたのである。
イラン国内には極少数派ながら、ユダヤ人も生活している。ユダヤ系の国会議員も1人存在する。
4.イランとアラブとイスラエルの間に存在する地政学は、今日においても普遍であり、イスラム原理主義的な政権下でもイランは、アラブをけん制するために潜在的にはアメリカやイスラエルと戦略的に手を組む可能性は存在している。
5.その実例として、アメリカの対タリバン戦争におけるイランの協力をあげる事ができる。
アフガニスタンのタリバン政権に対する戦争において、イランはアメリカに積極的な情報協力を行った。
タリバン戦争の勝利を支えた外部的要因は二つあり、それはロシアの協力と、イランの協力であった。
イランは明らかにスンニー派の原理主義者たるアルカイダを敵視しており、彼らを撃退するためにアメリカの力を利用すると同時に、それを機にアメリカとの関係修復を求めていた。
アメリカ側がこれに応じる事はなかったが、そこに将来の変化をうかがわせる一つのサインが存在している。
6.アメリカとしても、アフガニスタンとパキスタンにおける戦争行動をエスカレートさせなければならない関係上、本音としては、イランと関係を修復したいところである。
イランをアメリカ側にある程度、ひきつける事はイスラエルにとっても、国益にかなった行為であり、今のところイスラエルの右派政権もアメリカの外交努力を静観視している。
イランにおいては、モスクに対する自爆攻撃が起こったという情報もあり、ある情報筋は既に200人を超える死者が出ているとも伝えている。
騒乱が短期に収束するとは思えない。