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何故、今、永久国債なのか?

投稿日:2009,06,14


 過日、6月6日土曜日に録画したチャンネル桜(スカイパーフェクトテレビ219チャンネル、またはインターネットTV・So-TV)の『永久国債の研究 (光文社ペーパーバックス) 』に関する座談会が6月12日に放映され、昨夜13日、土曜日からUチューブ上で一部、見られるようになった。

 全体は、3時間に及ぶディスカッションだが、Uチューブで見られるのは、そのうちの始めの1時間部分である。

  ※ 参考ブログ: 2009,06,08 チャンネル桜で「永久国債」の討論会  

 

経済討論第5弾 「どうなる日本経済!?永久国債は必要か?」

パネリスト:
 有澤沙徒志 (日本金融通信社編集局国際部長)
 調所一郎 (調所広郷7代目)
 藤井厳喜 (国際問題アナリスト)
 松田 学 (社会システムデザイン研究所フェロー)
 山田 順 (光文社ペーパーバックス・編集長)
 山本 伸 (金融ジャーナリスト)
司会:水島総

1/5 【経済討論第5弾 】どうなる日本経済!?永久国債は必要か? [桜 H21/6/12]




2/5 【経済討論第5弾 】どうなる日本経済!?永久国債は必要か? [桜 H21/6/12]




3/5 【経済討論第5弾 】どうなる日本経済!?永久国債は必要か? [桜 H21/6/12]




4/5 【経済討論第5弾 】どうなる日本経済!?永久国債は必要か? [桜 H21/6/12]




5/5 【経済討論第5弾 】どうなる日本経済!?永久国債は必要か? [桜 H21/6/12]





 永久国債の議論は、このテレビ討論会を見ていただくなり、書籍、『永久国債の研究 (光文社ペーパーバックス) 』なりを読んでいただくとして、


何故、今?永久国債がこの国に必要とされているかについて、最新の状況をレポートしておきたいと思う。


 最近、私自身の身の回りに起きた事や、周辺の人々から入手できる情報を総合すると、経済統計の数字に現れた以上に日本国民の生活は疲弊し、荒廃しつつあるように思う。
これは、大部分のエコノミストがまだ気が付いていないところではないか?
結論から言えば、こういう悲惨な国民の状況を救う為にこそ、永久国債のような財政上の非常手段の実行が今、必要とされているのである。


 先ず第一に、この不況下で益々、企業における過労死が増えているのではないか?と思われる。
企業を首になるのは勿論、悲惨な事だが、企業に残って働く側も同様に大きなプレッシャーのもとにおかれる事になる。
多数の勤労者が職を失う事により、企業に残留する側は1人で2人分、3人分の仕事をこなしていかなければならない羽目に陥る。
地位も給料も上がるわけではなく、あるいは、管理職にしても所謂「名ばかり管理職」で、実質収入は残業代が計上されないため、寧ろ減額される場合も多い。

日本を代表する超一流企業やその系列下の企業でも、この不況の進化により、多くの過労死が起きているのではないだろうか?
過労死までいかなくとも、当然、労災が適応されるような肉体上・精神上の重い病に倒れるものが増えているように感じられる。
なんら、これを裏付ける統計上の数字も増加傾向にあるが、特に30代を中心とする若年層の比率が増えてきている

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 次に、身近にかかってきた相談電話でも、旦那さんが亡くなられ子供が複数人いる家庭でも、だんだんと、奨学金申請が厳しくなり、審査も複雑で相当に厳しくなったり、今年になってから急に、実際に認定されるのが難しい状況になってきているそうだ。

 また、別の話では、特に製造業関連にお勤めの方で、失業こそしていないが「自宅待機」が増え、当然、給与も減額される人達が増えている。
こういったことは、(特に都心の)ニュースでは取り上げられない。


   日本経済全体の景気を振興し、奨学金などの財源を増やす為にこそ、永久国債のような手段が用いられなければならないと考える。

 現状の財政政策をこのまま続けていけば、経済が益々縮小再生産の悪循環に陥る事は火を見るよりもあきらかである。


   昨日のブログではCO2の過度の排出規制が日本社会の荒廃に繋がる事を指摘したが、財政政策の側面からも全く同じ事が言える訳である。




 現在、日本経済の中核を支えてきた製造業と企業のあり方が根本的に崩れつつあるように思われる。
日本では、伝統的な村落共同体が崩壊する一方で、企業が共同体としての役割を発揮し、これが日本の安定した社会秩序を守るために大きな役割を果たしてきた
これは、ヨーロッパやアメリカとは全く異なった点である。

例えば、アメリカの労働者にとって、企業は給与を稼ぎ出すための機能集団に過ぎず、自分が精神的に所属する共同体は職場以外に求める事が出来る。
それが地域の共同体であったり、家族であったり、教会であったり、またその他の自発的に形成される社会集団であったりするわけである。

しかし、日本人の大部分にとっては、会社とは自分が所属する最も大事な共同体であるから、企業の崩壊は即、個人の最も重要な精神的安定の基礎も奪ってしまう事になる。

日本にとっては、失業とは、経済的なチャンスの喪失であると同時に、いやそれ以上に、自らが属する共同体の喪失なのである

また、戦前の日本社会あるいは戦後の日本社会でも、ある時点までは都会で職を失った社会人でも田舎に帰れば、そこに農業という就業機会と彼を受け入れてくれる伝統的な家族や農村共同体がかろうじて残っていた。
しかし、今日はその様な共同体の絆は消滅したとは言わないまでも、極めて弱くなっている。


それ故に、日本においては製造業の企業の崩壊現象は、日本の、日本社会の安定秩序そのものの喪失に帰着する危険性が大きい。
実際、私が最近、見聞きするところによれば、そのような崩壊現象が着々と現実に起きているとしか思えない。

こういった視点から考えれば、経済政策とは単に社会の金回りを良くするということだけではなく、人間が安定して暮らすことの出来る社会秩序を維持するための手段でもあるのである。

そういった視点から『永久国債』の実現を私は訴えているし、読者の皆さんにも考えていただきたいと思う。