― 麻生発言は正しい ―
【事前通告】
ミサイル発射や核実験を行う前に、北朝鮮は必ずアメリカに事前通告を行っている。
戦争を開始する侵略行為に思われ、報復行動を取られないように、細心の注意を払っているのである。
またこの事前通告によって、アメリカとの信頼関係を築く事も出来る。
シナへも事前通告はしているはずだが、おそらくアメリカとは時間差があるはずである。
例えば、アメリカには核実験の2時間前に通告するとすれば、シナへはその1時間前に通告するといった具合である。
今回は、30分前にアメリカとシナに同時に通告した、との情報もあるが、北朝鮮の政治的巧妙さを考えれば、同時という事は有り得ず、アメリカへの通告を優先させたはずである。
当然、北朝鮮から日本への事前通告はない。
それでは、アメリカから日本への事前通告はあったのだろうか?
おそらく米国からの連絡はあったが、核実験実施前には間に合わず、実験後に連絡があったものと推定される。
その証拠に中曽根弘文外相は26日「(アメリカからの)事前の連絡はなかった」と発言したが、その後、「外交上のやり取りだから明らかに出来ない」と発言を撤回している。
アメリカから連絡はあったものの、実験実施までには間に合わなかったのであろう。
【抑止力を持て!】
北朝鮮が、ミサイルによる日本への攻撃能力を持っている事は確かである。
4月5日のテポドンの発射実験で我々はこの事を再確認した。
このミサイルに核弾頭を搭載する能力があるかどうかは未知数である。
しかし、国防問題においては最悪の事態を想定するのが常識である。
我々は如何にして北朝鮮の核ミサイルによる攻撃から身を守る事が出来るのか?
国際関係論の常識から言えば、日本のやるべきことはきわめて単純であり、既に結論が出ている。
一言で言えば、北朝鮮に対して広義の抑止力を持つ事である。
広義の抑止力は、三つに分けて考える事が出来る。
1、敵基地攻撃能力
2、ミサイル防衛網(MD)
3、報復力(狭義の抑止力)
この内、2の「ミサイル防衛網」に関しては、未だ技術は完成しておらず、多額の支出が見込まれるにもかかわらず、その信頼性は必ずしも高くはない。
つまり、北朝鮮から飛んでくるミサイルを100発100中で落とす技術は未だに完成されていないのである。
そこで、緊急の課題としては、敵基地攻撃能力と北朝鮮への報復能力を日本が持つ事である。
ミサイル防衛技術は長期的に開発してゆく事が重要である。
しかし今日の国防を100%ミサイル防衛のみに頼る事は出来ない。
まず「敵基地攻撃能力」とは?、北朝鮮のミサイル発射基地を事前に攻撃してその能力を壊滅させる日本の攻撃能力の事である。
北朝鮮の日本に対するミサイル発射が明々白々の脅威となった場合、日本はミサイルを発射するなり、航空機による爆撃をするなりして、北朝鮮のミサイル基地を壊滅させなければならない。
今日の技術で言えば、巡航ミサイルのようなピンポイントの攻撃の出来るミサイル技術が最適であろう。
報復能力というのは、事前に敵の攻撃を防げなかった時に日本が北朝鮮に巨大な被害を与える軍事的な報復能力を持つということである。
国家が、合理的な行動者である限り、自国が壊滅的な被害を受けるならば、それを引き起こすような侵略行為は起こさない。
事前に敵のミサイル基地を攻撃できればよいが、もし今後、北朝鮮がミサイルを地下サイロに格納した場合は、事前の攻撃態勢を察知する事は殆ど不可能となる。
この場合は、敵基地攻撃能力を日本が持っていても、それを発動させる機会を失うことになる。
防衛の最も古典的な方法とは、狭義の抑止力を持つ事であり、抑止力とは報復力のことであり、報復力とはいざという場合、敵に壊滅的打撃を与える攻撃力の事である。
それ故に、「専守防衛論」は、まったくのナンセンスなのである。
何故なら、「専守防衛論」では敵国に対する攻撃力を持つ事が完全に禁じられているからである。
敵国に対する攻撃力がなければ、報復力は存在せず、報復力がなければ、抑止力も存在しないのである。
つまり抑止力とは、自国の防衛のみに限定して発動される攻撃力の事である。
つまり、日本が北朝鮮による攻撃を受けた場合、一挙にピョンヤン全市を壊滅させる程の攻撃能力があれば、北朝鮮といえども日本に核ミサイル攻撃を仕掛けてくることは、絶対に有り得ないのである。
北朝鮮が如何に、合理的な行動者であるかは近年のその実績から言ってもまことに明らかである。
北朝鮮の外交行動はまことに冷徹であり、巧妙であり、そして合理的である。
金正日は決して狂気の独裁者ではない。
【麻生発言は正しい】
麻生太郎首相は、「法理上、日本は敵基地攻撃能力を持つ事が出来る」と述べた。
これは全く正しい認識である。
麻生首相は26日夜、北朝鮮の核実験実施を受け、自民党内に敵基地攻撃能力を持つべきだとの見解が存在する事について、「一定の枠組みを決めた上で、法理上は攻撃できるという事は、昭和30年代からの話だ」と明言した。
首相周辺によれば、これは従来の政府見解の範囲内での発言である。
1956年当時、時の鳩山一郎首相は、「他に手段が認められる限り、誘導弾などの基地を叩く事は法理的には自衛の範囲に含まれ、可能であるというべきものだ」と政府の統一見解を発表している。
麻生発言はこれを踏襲したものである。
43年経って、この発言は我々に何をすべきかを明確に指し示している。
鳩山一郎に関しては、様々な評価があるが、この政府統一見解は極めて高く評価されてしかるべきだろう。
鳩山幸夫民主党代表も、まさかこの祖父の否定する事は出来ないだろう。
【日本海海戦の日に思う】
104年前の今日、明治38(1905)年5月27日、日本海軍は東郷平八郎連合艦隊司令長官の指導の下、ロシアのバルチック艦隊を壊滅させ、空前の大勝利を達成した。
104年前の日本から見れば、今日の日本の国防のていたらくは誠に直視に耐えない。
明治人は今日の日本の国防の堕落ぶりを一体、どのように慨嘆するのであろうか?
会戦に先立って、明治天皇の御下問に対し、東郷司令長官は「誓って敵艦隊を撃滅し、以って、宸襟(しんきん)陛下の御心を安んじ奉ります」とお答えしている。
この発言が完全な断言である事に注目したい。
寡黙で大言壮語しない東郷平八郎がこの場では、断言しているのである。
現在ならば、「・・・するように全力を尽くします」とでも言うところであろう。
「・・・するように努力する」とは既に失敗した場合の事を考えた言い訳である。
つまり、「全力は尽くしましたが、上手くいきませんでした」という言い訳が常に背後に控えているのである。
過日の小野田寛郎先生の講演会で、小野田先生はこのような言葉遣いを最も嫌悪するとおっしゃっていた。
企業が不祥事を犯す。
その折、責任者が出てきて記者会見で「今後このような事が起こらないように全力を尽くしたいと思います」というような事を必ず言う。
小野田先生は、「この時何故?『このような不祥事は二度と起こしません』と断言しないのだ?」と怒りを顕わにされていた。
断言すれば、発言者は自らの退路を断つことになる。
現代の日本人はそれが怖くて断言が出来ないのである。
日本海海戦に臨む当時の日本全国民の決意というものを思い返してみたい今日一日である。
補足; 【 日本が持つべき抑止力について 】
核兵器に対する抑止力は、核兵器でなければならない、というのが常識である。
しかし、北朝鮮の核に対する抑止力としては、必ずしも核兵器でなくとも可能であると私は思っている。
北朝鮮の核戦力は現状のところ、極めて小さいのであって、日本が通常弾頭のミサイルを十分に保有し、北朝鮮の首都ならびに主要軍事基地を一挙に破壊できる能力を持つならば、それで抑止力としては十分である、
しかし、それはあくまで2009年5月の時点での情勢判断である。