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追悼・立川談志

投稿日:2011,11,22

英語でTPPの危険性を発信しました。是非、英語圏の方々(特にアメリカの一般国民)にこの声が届くよう…、拡散に御力添えください♪》 
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【追悼・立川談志】

立川談志が逝った。
また世の中が少々淋しくなった。
個人的に面識があったわけでもないので、敢えて敬称は略させてもらう。

立川談志は勿論、優れた落語家であったが、それ以前に、彼は世界一の落語好きであった。

私の趣味から言うと、談志の話芸はあまり好きな方ではない。
落語は確かに上手かったけれど、私に最も印象的だったのは、この人が本当に落語が好きな「世界一の落語ファン」であったという事だ。

私には、彼の落語よりも、落語について語っている時の彼の方がはるかに魅力的であった。
かつての名人について語り、落語の凄さや素晴らしさについて語る時の談志は、実に生き生きとしており、落語を演じている時よりもむしろ輝いて見えたものである。

以前、こんなテレビ番組があった。
スタジオに大きく引き伸ばした落語家3人の顔写真が飾られている。
3人とは、圓生・志ん生・文楽の3人である。
立川談志が、この3人の大きなパネルに一人ずつ語りかけながら、落語の芸談をやるのである。
「ねぇ、志ん生師匠、あぁー火焔太鼓は良かったですねー・・・」
「圓生師匠、昭和の大名人でしたなぁー・・・」
といったような調子で、既に他界していた3人の名人に談志が語りかけるのである。

これが何とも素晴らしい番組だった。

この人が落語をどんなに愛しているか、という事がヒシヒシと感じられた。
同じ落語ファンとして、実に嬉しかった。

立川談志の名言に「落語は人間の業の肯定である」というのがある。
けだし名言ではあるが、付け加えれば、人間の哀しく卑しい業を肯定するばかりでなく、それをユーモアで軽く包んで笑い飛ばし、更に明日へ向けて前向きに生きてゆく勇気を与えてくれるのが落語である。
上質の宗教家の御説教や説法とは、そんなものであるが、落語は立派にそれと同じような役割を果たしている。


落語はシェイクスピアやモリエールの演劇に勝るとも劣らない日本人が世界に誇るべき立派な文学であり、演劇である。
(落語は一人芝居である)
日本人は凄い文芸を育て上げて来たものである。

アメリカやヨーロッパに、「スタンドアップ・コメディアン」というのがいる。
一人で出て来て、単発のジョークを繰り出し、謂わば日本の漫談のようなことをやる芸人である。
面白い事は面白いが、ストーリーのある話があるわけではないし、ようは「小話」の連続である。

しかも、スタンドアップ・コメディアンは、二度と同じ話はできない。
同じ話を聴いては、観客がしらけてしまう。
アメリカでは、ジョークを作る人と語る人は既に分業になっているようである。
スタンドアップ・コメディアンは、謂わば、江戸時代における落語家の原点のようなものである。

これに比べると、日本の落語が如何に凄いかがよく分かる。
古典落語のストーリーを、観客はよく知っているし、どこで笑わせ、どんなオチがあるかまで熟知しているが、その知っている話を上手に語るのが聴きたくて人は寄席に足を運ぶのである。
謂わば、シェイクスピアの古典劇や近松の古典劇を見るような具合である。

ストーリーテラーがその話芸だけで、プロフェッショナルとして飯を食ってゆくというのが落語の世界である。
こんなに多くのプロのストーリーテラーを抱えている国は、世界広しと言えども日本しか存在しない。

ドイツには、グリム童話を語る、プロの女性のストーリーテラーがただ一人存在するそうであるが、これはドイツにおいて落語家に匹敵する唯一の存在であろう。
日本には、古典落語というものが何百もあり、しかもそれを語るプロが真打ち以外を含めれば、何百人も存在しているのだから、日本は凄い国である。
「講談師」や「浪曲師」という語り芸の芸人さんたちを含めれば、もっとの数にのぼるであろう。

また、古典を語り続けるだけでなく、新作落語というものもあり、50年後100年後200年後には古典になるかもしれない新しい落語が今日も作られている。
これもまた素晴らしい事である。

一人何役もこなす落語家は、まさに超一流の俳優でもある。
自ら演出し、自ら演ずる一人芝居である。
しかも、使う小道具といえば、手ぬぐいと扇子だけで、これで人間生活の全ての場面を表現してしまうというのだから、恐ろしい程の芸である。
それだけに、下手な落語くらい聴いていられないものはない。
下手な芝居は見られても、下手な落語は聴けないものである。

ともかくも、そんな凄い落語の世界に惚れて惚れて惚れぬいたのが、談志というひとであったと思う。

落語の世界から、何かの間違いでこの世に生まれて来てしまった人が、また落語の世界に帰っていったというような感じがしている。

心からの御冥福を祈る次第である。





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外国語をどう速習するか? ― 最近、寄せられる質問に答えて

投稿日:2011,07,05

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 以前から、「外国語をどう学べばよいか」といった相談をよく受けます。
最近では、急遽、外国に転勤することになった、それも英語圏以外に、といった方からも、相談を持ちかけられます。

 中には、旦那さんが転勤するので、それに動向しなければいけない主婦の方などからも、相談を受けることがあります。

 英語圏への赴任ならば、然程、問題はないでしょうが、それ以外の言語圏への赴任となると、大きな不安が伴うようです。

 実は、「語学の速習法」などというものは、本当はないと思っています。
語学の上達は、だいたい学習に投入される時間とエネルギーに正比例します。
最も、外国語学習にも、数学などと同様、天才という人たちがいますが、この人達は例外ですから、我々の学ぶべき実例にはなりません。

 若くはなくて、そこそこいい年になって、全く知らない言語の話される外国に行くことになったら、どうしたらよいか。
私自身だったら、こうするという方法を考えてみます。

 例えば、私がインドネシアやタイに、長期赴任することになったら、どんな風にその国の言語を勉強しようとするでしょうか。

 先ず、最も基本的な単語を100くらい、徹底的に丸暗記します。
数の数え方も、必要です。
挨拶の文句や買い物に必要な言葉、などを徹底して頭に叩き込みます。

100の言葉を覚えたら、それを200、300、500くらいにまで増やします。

先ず、500くらいの単語を覚えれば、最も基礎的な日常会話は可能になるはずです。

後は、とにかく日常の中で、その言葉を多く使うことです。
周りには、ネイティブ・スピーカーがあふれているわけですから、誤った表現をしてもらった時には、必ず直してもらうようにします。
常時、モバイル機器か手帳のようなものを持ち歩いて、新しく覚えた単語や、修正された表現は、記録しておくようにします。
時間を見て、それらの記録を繰り返し、復習します。

 単語の数や、表現法の数を増やしながら、最も重要な文法の基礎だけは押さえておく必要があります。

その言語では、過去や未来をどう表現するのか、とか、「仮定」の表現をどのようにするのか、とかいったことは、非常に大事になってきます。

 ある程度、文法の基礎中の基礎と、マスターした単語や表現の数が増えたなら、その時点で、私だったら、テレビやラジオのニュースを徹底的に聞き取る訓練をします。

そして出来れば、それと並行して、政治や経済の新聞記事を読解する努力をします。

これにはおそらく、個人で家庭教師を雇うことが最善の方法だと思います。

量は少なくてもよいから、1つの記事や文章を、徹底的に理解します。
出来たら、暗記するくらいになるとよいでしょう。

一点の疑問もないように、完全に理解しなければいけません。
少しでもわからない所や、曖昧なところがないように、完全に1つの文章や記事を理解することが大事です。

こういったことを続けてゆくと、多分、丸2年もその国にいれば、語学学習者としては中級レベルには到達することができると思います。


 多分、大事なのは、外国語学習を、苦難とは考えずに、アミューズメントと考えることですね。

 つまり、自分の母国語と異なる外国語の学習を、面白いと感じることができれば、苦労ではなくなります。

時間はかかりますが、楽しみになります。
そう思えるかどうかが、実は、語学に上達できるかどうかの大きな分かれ道なのだと思います。

 また別の言い方をすれば、外国人なのですから、どんなに努力をしても、所詮、ネイティブ・スピーカーのように、完璧にその言語を操れるようにはなりません。
所詮、「外国語は外国語である」と初めから、大きな諦めをもっていることも大事です。
 そうでないと、どんなに勉強しても、挫折感だけに悩まされることになります。

 言語によって、難しいポイントは異なってきます。

それは母国語と外国語との距離とも関係します。

イタリア人が、スペイン語を学習することは、酷く簡単なはずです。
また、ドイツ人がデンマーク語を習得することも、然程、難しくはないでしょう。

しかし、日本人がドイツ語やロシア語を学習しようと思えば、単語の記憶以上に、大きな壁として立ちはだかるのが「文法」です。

文法を正確に理解することなしに、ドイツ語やロシア語を読み書きすることは不可能です。

 英語の文法は、極めて単純ですので、ドイツ語やフランス語に限りません、他のヨーロッパの言語を勉強しようとした場合、文法の難解さが大きな壁になります。

しかし、そこで怯むことはありません。


かつて、私がアメリカでロシア語を勉強していた時に、幼少時にロシア革命でアメリカに亡命してきたロシア人の老教授が私にこう言ってくれたことがあります。
「ロシア語の文法は非常に複雑なように思えますが、全ての変化は、小さな文字で書けば、この紙一枚に収まります。」
そういって、教授は、文法の変化表を、大きな紙一枚に表記したものを見せてくれました。

それは、A3版が2枚くらいの大きさで、非常に小さな字でミッチリ書かれているのですが、確かに、「あぁーこれだけ覚えればいいのだなぁー」という安ど感もあります。

「ロシア語の文法法則は、無限ではないのだ。有限であり、目に見えるこの大きな紙一枚をマスターすればよいのだ。」と思うと、精神的に楽になります。

こういったことは、どの言語にも当てはまるはずです。


 英語と並んで、支那語には殆ど、文法らしい文法がありません。
支那語の達人に聞くと、とにかく、様々な表現法や単語・熟語の数を増やしてゆくというのが、学習法のようです。

 文法の学習ではなく、ここの表現法に習熟してゆくということが、文法が簡素な言語の学習法の王道のようです。

 ドイツ語やロシア語のような文法的に難解な(少なくとも我々にはそう思える)外国語を勉強する場合には、一つの救いがあります。

私の一般的な印象では、文法的に複雑な言語ほど、日曜用語に必須とされる単語の数が少ないことです。

 例えば、これは以前読んだ本なので正確ではないかもしれませんが、
新聞や雑誌に出てくる言葉の90%をカバーするのに、単語をいくつくらいマスターしなければならないか?という基準があります。

 フランス語やドイツ語では、5000語マスターすれば、90%のラインを超える事が出来ます。
これに対して、文法が単純な英語では、このラインが確か、8000語くらいのはずです。

 つまり、言語というものもバランスがとれていて、文法的に比較的単純な言語においては、単語の数を多く習得しなければならない。
文法的に複雑な言語においては、逆に、習得すべき単語の数はそれほど大きくなくてよい。
何か、そんな法則があるように思います。

 これは言語学者に聞いてみないと分かりませんが…。


 最近は、外国語学習においても、音声や映像の教材が豊富に手に入りますので、これは非常に強い味方です。
いつでも、どこでも、やる気さえあれば、勉強が可能です。

 現地に赴任する前から、挨拶の言葉くらいは、マスターする事が、どんな忙しい人にも出来るでしょう。

外国駐在が楽しくなるかは、私の見たところ、語学能力というよりは、寧ろ「パーソナリティーの問題」なのではないでしょうか?

個性豊かで、異文化に対する許容性があり、異文化との差異を楽しむような心境になれば、それは語学能力以上の、「現地への適応力」への源泉となります。


行きたくもない国に、突然、会社の都合で行け、と言われた方には、大いに同情しますが、
どうせ赴任するなら、それを「負担」とのみ考えるよりは、人生の新しい地平線を切り拓くチャンスと考えることができれば、貴方は既に、勝ち組の一人になったといえるでしょう。

 最近は、相談を頂いた方に、こんなお答えをするようにしています。
人それぞれ、状況色々ですので、お役にたつかどうかは分かりませんが・・・・・・・。


最後に一言!

日本語を勉強している欧米人が、どんなに苦労しているかを知れば、我々も非常に気が楽になります。
全く異なる文法と、2種類の表音文字の体系と、最低3000くらいの表意文字(漢字)をマスターしないことには、日本語の読み書きは不可能です。

モンゴル人やトルコ人は、同じウラル・アルタイ語系の言語なので、日本語のマスターは比較的容易だそうです。
ただし彼らにとっては「漢字」が大きな障害となっています。
 逆に、シナ人は、文法は全くことなりますが、漢字という共通項があるので、これまた別の意味で、日本語の習得が比較的早いようです。

 我々の側からすれば、以前、トルコ語の先生に聞いたのですが、日本人がトルコ語を学習することは、比較的容易だそうです。
語順にしても、「私は大阪に行く」という日本語と全く同じ語順で話せばよいのだそうです。

ですから、日本語に近い言語(これはあまり多くはないのですが)を勉強するのなら、日本人も語学が得意ということになるでしょう。





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俳句 - 夏至の日、立葵 

投稿日:2011,06,22


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本日は夏至でした。
一年で一番、昼の時間が長い日です。

まだ梅雨はあけませんが、東京でも、陽光が燦々と降り注ぎ、暑い一日でした。
その強烈な陽光の下で、花盛りをむかえているのが「立葵(たちあおい)」です。

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近くの散歩道に沿った空き地に、派手な色で咲き誇っています。

特に、人が栽培するような花ではなく、野草として空き地に自生しているような花です。
以前の私は、立葵は、何か下品な感じがして好きではありませんでした。

しかし、よく見ると、中々に優雅なところもありますし、何よりその強い生命力に惹かれます。
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最近、私が詠んだ立葵の句を紹介させて頂きます。


【 立 葵  (たちあおい)】

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『 立葵 育てる人も なく育つ 』    厳喜 
 

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『 立葵 赤白その他 奔放に 』      厳喜 


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『 苦にされず 愛されもせず 立葵 』   厳喜   


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 『 風来れば ゆらゆられおり 立葵 』      厳喜  


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 『 立葵  十二三本  空地角(あきちかど) 』       厳喜


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 『 立葵 色とりどりの 盛りかな 』        厳喜  


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 『 立葵  夏至の正午の 陽光に 』      厳喜 


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 『 よく見れば  雅(みやび)となりぬ  立葵 』      厳喜  


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 『 立葵 人知らぬ間の  盛りかな 』      厳喜  


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 『 有る無しの  如くに咲くや  立葵 』      厳喜   

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 『 白きかな  夜目にひときわ  立葵 』      厳喜


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 『 ほかされて なほ微笑(ほほえ)みて  立葵 』     厳喜 


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 『 近道の  空地(あきち)の 隅(すみ)や   立葵 』       厳喜  


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 『 立葵  咲き零れ  咲き零れつつ 』       厳喜  


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超大恐慌の時代 』 藤井厳喜・著 (日本文芸社)

 著者もビックリの凄いタイトルですw(><) (表紙もインパクト…)
一時、候補になっていたタイトルに『世界大破産』というのもありました。(←これを見た時、流石にふきだしましたwww)

 世界経済を冷静に観察すると、日米欧中、みな揃って、景気が下降していることが分かります。
特に日本においては、日本銀行と民主党政権がデタラメな経済政策を実行しているので、このままでは二番底に陥ることは確実です。
3・11の東日本大震災と、福島原発事故は、事態を更に悪化させてしまいました。

 リアルに世界経済の現状を分析した本ですが、勿論、日本が最後のババを引かない為にどうしたらよいのかの対応策についても論じています。

分かりやすく、図表もたくさん入れてありますので、経済が苦手という方も是非、手にとって、読んでみて下さい。
2011年に入ってからの中東騒乱も含む、最新情勢までカバーしてあります。


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畏(おそ)る可き天の警告

投稿日:2011,05,16

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「畏(おそ)る可き天の警告」

(※ 以下の本文は、既に発行された國民新聞5月号への寄稿文をNET上でも公開するものである。)


 東日本大震災と福島原発事故の全ての罹災者の方々に、心よりのお悔やみとお見舞いを申し上げると同時に、一日も早い復興をお祈り申し上げる。

 悲惨な罹災者の現状に同情を覚えつつも、同時に心中深く感じたのは、神々の振るう大鉈は悲情であるという事だ。

 筆者は元来が宗教的な人間ではない。
しかし平成23年3月に日本を襲った大天災は、正に天が日本に下した災であり、神々の世界から日本人への警告であると思えてならない。
日本人の今の有様、今の生き方を改めよ、との天からの啓示である。

 畏(おそ)る可き天の警告を畏(かしこ)み、傅(かしず)いて吾々は受け入れることが出来るのだろうか。

 復興の必要は言うまでもないが、復興の前に、従来の日本人の生き方を、それは原子力発電という技術の利用も含めてであるが、反省しなければならないのではないか。

経済効率至上主義や技術過信は、究極的には唯物論につながる「人間の生き方」であるが、それらへの根本的反省なしに、単に「旧に復する」事のみに専心する様では、日本の将来は益々危ういものとなる。

 天は日本人に警告を発し、その警告を通じて人類に黙示したのではないのか。
人類の文明の在り方そのものの転換を、示唆したのではないのか。

 では何故、日本人が、東北がその警告の対象として選ばれたのか。
神は、人類の中で最も劣悪な者ではなく、最も優良なる存在を選んで、敢えて巨大な試練を課したのではないだろうか。
神は日本民族が必ず正しい道に覚醒し、新しい文明の先駆者となる事を確信して、この使命を日本民族に課されたのに違いない。


 筆者は大正12年(1923年)の関東大震災もまた天から日本民族への啓示であり、黙示ではなかったのかと推察している。
あの天災を当時の日本への天界からの警告と捉え、日本の有り様に根本的反省と改革を加えていたら、大東亜戦争の敗戦は避けられたのではないか、と思うのだ。
あの美しい大日本帝国を亡ぼさずにすんだのではないか、と想像力を逞しくしているのだ。

 1905年、日本は日露戦争に勝利し、世界の一等国となった。第一次大戦にも参戦し、日本の国力は更に伸張した。
その後の1923年に関東大震災が起きた。
その22年後、1945年日本は未曽有の大敗戦を迎える。

今思えば、関東大震災は、日露戦争の勝利と大東亜戦争の敗北の丁度、中間で起きている。

あの時、日本人が明治維新以来の急速な発展の歪みを正し、政治・経済・軍事機構のオーバーホールを実行していたなら、敗戦という悲劇を回避する事が出来たのではないか。
素晴らしい帝国を亡ぼさずにすんだのではないか。筆者はこの思いに捕われている。

明治初期に来日し、日本陸軍の将校教育の基礎をつくったドイツのメッケルは、日本軍人の欠点として、希望的観測に依存しすぎる事を挙げている。
聴く可き言葉であると思う。


 東日本大震災の教訓を正しく生かさなければ、私達は一層、酷い敗戦にやがて直面する事になるのではないだろうか。 




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息子の結婚式準備 ― 長いカトリックの結婚準備

投稿日:2011,05,13

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30歳の長男が、今年9月に結婚の予定です。

今回も、結婚式の準備の為に、メキシコのカトリック教会に行って、神父さんと打合せを行ないました。

 私の息子は、妻がメキシコ人の為、日本人とメキシコ人のハーフで、カトリック教徒です。
花嫁さんもメキシコ人で、当然の事ながら、カトリックです。

正式に婚約をしたのは昨年の9月で、その時から、結婚式は今年2011年9月という事に決めていました。
2人が知り合ってから婚約までに足掛け3年くらいの時間が経っているようで、更に、婚約してから結婚までに1年をかけて準備するという、慎重さです。

息子や娘の若い友人達を見ていても、一般にカトリックの人達は、結婚を決め、結婚式を挙行するまでに非常に長い時間をかけて慎重に事を運ぶようです。
4年、5年くらい付き合って、正式に婚約をするというカップルも必ずしも珍しくはありません。

 実は昨年の9月にも私は、メキシコに行ったのですが、その時に、お嫁さんになる方の御両親も招いて、正式に両家で婚約を取り交わしました。
勿論、その前には本人同士が結婚を約束している訳ですが、正式の「婚約」の決定は、9月に行ないました。

これが中々に大変で、本当は私が花嫁さんの実家に赴かなければならないのですが、私のメキシコ滞在の時間が限られている為、先方のご両親と妹さんと花嫁さん御本人さんが、丸一日を費やして、私のメキシコの家に来てくださいました。
正式のディナーを整えたテーブルの席上で、私が先方の花嫁さんの父親から、正式の婚約許可をもらわなければなりません。

勿論、先方も結婚を内諾した上で来られているのですが、日本で言えば「結納の儀式」のようなものですが、メキシコでは、仲人さんを介さず、花婿の父親が、花嫁の父親に、正式に結婚の許可をもらわなければいけないのです。
私も、スペイン語で、両家の家族の前で、少々の演説めいた事を行ない、先方の父君に、結婚の許可を求めました。

面白い事に、息子が許可を求めるのではなく、息子の父親である私が許可を求めなければいけないのです。

勿論、先方は、「はい」「Si」と答えてくれて、滞りなく婚約許可は下りました。

しかし、この時は和やかな中にも一種の緊張感が伴い、それはとても大事なセレモニーであったと思います。

その「Si」と花嫁さんの父親がこたえてくださった時に、その場の緊張感が一瞬に溶けたのが分かりました。
父親は、娘を抱き寄せて、娘さんは父親のほほにキスをして、一挙に場は和やかな雰囲気になり、誰もが誰もと握手を交わす事になりました。

その後、楽しくバーベキュー・パーティーを行ない、ワインを飲み交わした訳です。

mexi-1.jpg

そもそもカトリックというのは、「儀式」を重んじる宗教です。

精神は勿論大事ですが、その精神を表現する為の儀式も厳格に執り行うというのが、カトリックという宗教の非常に良いところだと思います。
「心は形を求め、形は心を進める」という中々、素敵な言葉を以前、仏具屋さんの宣伝で見た事があります。
カトリックの話をするのに、仏具屋さんの宣伝文句を引用するのは適当でないかもしれませんが、成る程、この言葉は中々よく人間の心理をついています。
人間は心が大事だと言いますが、その心が外に表れなければ、そして具体的な形を取らなければ、本当にその心が世の中に実現したとは言えません。
また、例え始めは心が伴っていなくても、形から入る事によって、その形のあらわしている心に到達するという事もしばしばあります。
仏教でも、写経をしたり、様々な修行をしたりするというのは、形から心に入るという事でしょう。

私の見た所、プロテスタントとカトリックを比べると、プロテスタントの方は、やや心重視で形を軽視しているようなところが見受けられます。
又、プロテスタントから言えば、恐らくカトリックは形式にとらわれ過ぎるという批判にもなるのでしょう。


さて、結婚式の1年前に、両家の間で結婚の約束が成された訳ですが、今回、私がメキシコに行った大きな理由は、今年の9月に結婚式を執り行う神父さんとお話をする事でした。
これも教会における結婚式に向けての大事なプロセスです。

これをスペイン語では、「プレセンタシオン(英語で言えば、プレゼンテーション)」というのだそうです。

教会に集まった人々は、花嫁、花婿以外に、12人もいました。
先ず両家の両親が4人、両家の兄弟が3人、その他、5人は、花嫁と花婿の友人達でした。

結婚式を執り行う神父さんに先ず、花嫁と花婿が呼ばれて、2人がどのようにして知り合い、どのようにして結婚をする事になったかの経緯を簡単に説明します。
その後に、友人達が「証人」として呼びこまれ、花嫁と花婿の言葉に間違いがないことを、証明します。
最後に、両家の両親が、神父さんの部屋に呼ばれて、最終的な結婚の確認を行なうというもので、時間は全体で45分程かかりました。
百科事典のように立派な大きな署名簿に両家の関係者が、皆、自筆でサインをして、ようやくこの大事なプレセンタシオンは終わりました。

勿論、結婚を祝福するものばかりで、反対する者は一人もいませんので、何の問題も無く、事はスムーズに運んだのですが、
やはりこの神父さんとの面談と、両親や友人達の証言というのは、どうしても結婚式の為に通らなければならない大事な関門なのです。

私が今回、メキシコを訪れた主な理由は、このプレセンタシオンに参加する事であったと言っても過言ではありません。

カトリックの結婚式は、中々に手間のかかる、そして形式を重んじるものであるなぁーと、つくづく感じた次第です。


メキシコ人の殆どはカトリックですが、それでは全てのメキシコ人がこんな慎重なプロセスを経て結婚をするのかと言えば、全くそうでもありません。
正式に婚約、結婚をするのは、面倒くさいというので、単に同棲しているカップルもいますし、結婚届けだけを出して、教会で結婚式をあげないというカップルもいます。

そもそもメキシコでは「結婚式」という場合、2種類の結婚式があります。
第一は、教会で神父さんのもとで行なう結婚式であり、第二は、政府に結婚届けを出すという意味での結婚式でもあります。

教会での結婚式は、日本人の皆さんもだいたい想像できるものです。
面白いのは、2番目の「結婚届け」を出す方の結婚式です。
これはこれで大事なセレモニーになっており、多くの友人や両親が集まり、そこに政府の戸籍係の人物が大きな署名簿を持ってやってきます。
2人が結婚を誓って、結婚届けを出した後に、集った多くの人々が皆、自筆で署名して、それを承認し、それによって法律上の結婚が完成するというわけです。

私は、義理の弟の結婚式に出たのですが、先ず、政府への届け出という意味の結婚式を行ない、その次に、教会での結婚式となりました。
この政府への結婚届け自体が、中々に儀式としては、緊張感を伴うセレモニーでもありました。
結婚する当人たちが、市役所や区役所に行って、婚姻届を出すというような簡単なものではないのです。
ネクタイを締めて、いかめしい顔をした戸籍係が、革製の立派な結婚署名簿を携えて、家を訪れます。
そしてその場に集まった人、全ての署名を求めるというので、これもまた中々に厳かな儀式でした。
この結婚届けを出すという意味での結婚式を、スペイン語では「シビル(civil)」の結婚式と呼んでいます。

このシビルの結婚式は、昔のソ連邦の結婚式を私に思い起こしました。
ソ連時代は、当然、宗教は公的には否定されていたわけで、結婚式は市長なり、行政の長の前で、両人が書類にサインをする事で行なわれていたのが普通であったようです。
まぁー、全く宗教や神様が介在しない、謂わば「人前結婚式」であった訳です。
今日でのロシアでは、ロシア正教が復活し、再び教会での結婚式も一般的になったと聞いています。


 今回のプレセンタシオンにしても、昨年9月の「婚約のセレモニー」にしても、私にとっては、1つ1つが大事な異文化理解のプロセスでした。
これに比べると、今日の日本人は、結婚式に限らず、生活一般の中で、もう少し形式や儀式や「かたち」というものを重んずべきではないかと、少々の今日の日本への反省の念も生じてきました。

 9月中旬には、息子の結婚式の為に又、メキシコを訪れる予定です。




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黒猫ノラの【Catch As Cats Can ! 】第2回 民主党政権破壊の 「最終兵器」与謝野爆弾、炸裂!

投稿日:2011,02,02

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黒猫ノラの【Catch As Cats Can ! 】第2回


nora.jpg

 ※ シリーズ第1回は此方⇒ http://www.gemki-fujii.com/blog/2010/000701.html 


ノラ: nora-s1.jpg   最近、GEMKI先生は怠け癖がついて、ブログの更新をちっともしていないので、久しぶりに、おいらが空白を埋めてやるとするか…。
チッ、、ホント、手のかかる、人間だぜ!!


 白猫ミャア:mya1.jpg  でも、ゲンキ先生は、帰国後も地方出張が続いていて、とっても忙しいらしいですよー。
 こないだも、新幹線の中で目覚めたら、一瞬、アメリカ行きの飛行機に乗っているのと勘違いして、「ここ、何処」状態になってしまったらしいわよ。
 時々寝ぼけて、いきなりスペイン語で話しかけてくる時あるから、よっぽどくたびれてるのね。
偶には、ノラちゃんも手伝ってあげてね。
 

ノラ: nora-s1.jpg 「忙しい、忙しい」と言って、おいらが幹事の新年猫会議に顔出さなかった癖に、
 他の町の猫祭りでは愛嬌をふりまいて、美味しい焼酎まで猫好き仲間(の人間達)と一緒に呑んでいたという黒ーい噂も入っているんだがニャ…。

2011nekomaturi1.jpg



 ところで、おいらが今日、語りたいのは、あの与謝野馨大センセーの事なんだニャ。

 自民党を裏切り、たちあがれ日本まで裏切って、民主党政権の財務大臣に就任した与謝野さんを批難する声は多いよニャ。

 そりゃぁー、表面だけを見ていれば、その通りなんだけど、

おいらが永田町の猫仲間から仕入れた情報によれば、真実は全く違っているンだニャ。

 白猫ミャア:mya1.jpg  最近、世界を動かししつつある「ソーシャル・ニャンとワーク」の事?

益々、注目よね♪
 教えて、教えて!
 私、後で「にゃんと・りークス」に書きこんでおくから!!


ノラ: nora-s1.jpg  まぁ、そう興奮しないで…。

 まぁ、与謝野大センセが批難されるのは、当然だがニャ。
 だけど「自称・保守派」の日本人の中には、「たちあがれ日本」やその代表の平沼先生まで批難する声があるけど、これは全く考えの浅い勘違いなんだニャ。


 白猫ミャア:mya2.jpg  えぇ、どうして、どうしてニャァ。
      シュッ、しゅぷれひこーーーる! だっけ? 


ノラ: nora-s2hugya.jpg  じゃ、なくって…。

  そう何でも脊髄反射で興奮しやすい、単純な頭じゃ、真実は見えてこないニャ。

 実は、与謝野大センセは、平沼代表が民主党政権を沈没させる為に放った「人間魚雷」なんだニャ。

 今や、「人間魚雷」が巨大空母「民主党菅政権」に命中して、流石の巨大空母も今や急速に沈没しつつある!って訳さ。


 何しろ、与謝野大センセーは、財政再建の増税派だから、この不況の最中に、消費税率アップを言い始めて、民主党支持率は与謝野さんが張り切る度に、急降下してるんだニャ。w

 御本人は、「国士様」か「HERO」のつもりで、悲壮な決意で発言しているんだろうけど、周りから見ると、お笑いだニャwww。


 つまり、与謝野大センセーが頑張って、張り切れば張り切る程、国民の民主党離れは進んでいく訳だニャ。
 全く、天然工作員そのものだニャ。(笑)

 こんな天然工作員の破壊分子を何を勘違いしたか、抱え込んでしまった菅直人首相も、相当な脳天気だニャ。

 民主党の反菅派の人は、「何であんな奴を財務大臣にしたんだ!
 これじゃ4月の地方選挙はボロ負けだよ!」と、地団駄踏んで悔しがっていたよ。

 やっぱり「ペット増税」なんて言い出していた民主党の、猫の祟りだニャ。w


 それにしても、大きな包容力で、与謝野大センセーを自民党から引き抜いて、最後は巧く操って、その気にさせて、タイミングを見計らい、民主党政権破壊の為に、菅内閣に送り込んだ、平沼先生の大策略には、流石のおいらも驚いたゼ。

 勿論、平沼先生は、そんな事はおくびにも出さず、与謝野大センセーが勝手に「たちあがれ日本」を離れていったというフリをしているけれど、やっぱり大役者は違うね。

 最高の策略を実行しておいて、その策略の跡すら残さずに、知らんぷりをしているというのが、超一流の戦略家なんだニャ。

 そもそも、たちあがれ日本の結党の目標の1つが、「民主党政権を破壊する事」だったんだニャ。

 「たちあがれ日本」は小さな党だけど、見事にこの目標を達成しつつある!
平沼先生の大戦略には、流石のおいらも舌を巻いたゼ。
しかも、策略を策略と思わせないところが、超一流だニャ。

 「大賢は大愚に似たり」なんて諺があるけれど、今の状況にピッタリかもしれないニャ。

 与謝野大センセーの方に捧げる諺があるとすれば、「策士、策に溺れる」という諺だニャ。


今や、巨大空母民主党の中で、与謝野人間魚雷は大爆発!

火薬庫にも火がまわって誘爆し、今や、沈没寸前!




 まぁ、西洋の歴史で言えば、「トロイの木馬作戦」というのもあったし…。(笑)

 最強の自爆兵器になってしまったという訳だニャ。


白猫ミャア:mya2.jpg うわぁー凄い!凄い! し、、知らなかった♪

 「にゃんと・リークス」に早く報告なきゃぁーーー!
 

ノラ: nora-s1.jpg  こんな程度で驚いていたらダメだよ!

  実は、まだ、おまけがあるんだよ。


 日本経済を悪化させて、内閣の支持率を急降下させる、もう一人の「天災(才)」秘密兵器を菅内閣は抱え込んじゃっているんだよ。


白猫ミャア:mya2.jpg そ、それって誰?


ノラ:nora-s2hugya.jpg  ふふッ、言っちゃっていいのかニャ。

 御高齢にもめげず、官房副長官に就任して、これまた「ヤル気満々」の藤井裕久さんが、その人さ!

hujiihirohisa-1.jpg

 この人は、大蔵省出身の財政再建派で、増税の為に、とにかくヤル気満々なんだニャ。

藤井副官房長官には、誰にも負けない凄い実績があるんだニャ。

 彼が、細川内閣の大蔵大臣になった時(93年8月)と、鳩山内閣の財務大臣になった時(09年9月)、その直後から、日本経済は急落して、株価も真っ逆さまに下がっていったんだニャ。

 誰も敵わない、最凶の破壊実績だニャ!

 それはGEMKI先生と渡邉哲也さんの共著『日本はニッポン! 金融グローバリズム以後の世界 』の298から301ページ「黒いセーロン: 日本経済悪化の最大の戦犯は、藤井裕久元財務大臣」という特集コラムの中にグラフ入りでシッカリと詳しく出ているので、見れば皆んなも真っ青になるニャ!
 念の為!




白猫ミャア:mya2.jpg  民主党支持者の人達にも教えてあげたいような情報ね!

 
黒ノラ : norass.jpg ところで、与謝野大センセーは、あの有名な歌人、与謝野晶子さんの御孫さんなんだよニャ。

 与謝野晶子さんには、日露戦争に出征する弟に贈った「君、死にたもうことなかれ」という有名な詩があるんだけどニャ。
 歴史教科書にも出てきたような、有名な詩だニャ。

 このパロディーを、おいらの猫の友だちが、「にゃんと・リークス」に投稿してくれて、流行っているので、ここで紹介しておこう。


 【与謝野センセー、 君、死にたまうことなかれ】

 君、死にたもう ことなかれ 
 あぁ与謝野さん 君を泣く 
 ガンに身を病む 君なれば 
 枯れたる声を なお枯らし 
 街頭演説 哀れなり 

 君、死にたもう ことなかれ
 名門生まれの 君なれど 
 東京一区は 激戦区
 心なやまし 身を削り 
 ガン病むまでに 努めしが 
 政治の道の 厳しさよ 
 君、死にたもう ことなかれ 


         (作者: 詠み猫しらず)





ノラ: nora-s1.jpg  与謝野大センセー、どうぞ、御身体をお大事に。
 

白猫ミャア:mya1.jpg 中華丼、シッカリ食べて、頑張ってくださいねー。






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アメリカ人の猫観?: 映画『ガーフィールド ザ・ムービー(実写版)1・2』論評

投稿日:2010,12,12

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 今年の9月にメキシコに行った時、モントレイという北部の大都市のペット・ショップや町で出会った猫が、Garfield(ガーフィールド)にあまりにそっくりなので驚いた。

mexico-cats1.jpg

mexico-cats2.jpg

毛並みの色も明るい茶色(濃いオレンジ色)で、そっくりだが、何よりもちんくしゃの顔がそっくりなので驚いてしまった。
両眼と鼻がほとんど一直線に並んだような顔は、まさにガーフィールド、そっくりだった。
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 きっとガーフィールドの作者、Jim Davisは、こんな猫を見て、ガーフィールドのキャラクターを創り上げたに違いない。

mexico-cats4.jpg


 日本でもそこそこHITした実写版の映画『ガーフィールド ザ・ムービー 』と続編の『ガーフィールド2 (特別編) 』は、たわいないエンターテイメントの映画だが、この映画や原作となったガーフィールドの漫画を通じて、日本人とアメリカ人の「猫観」の違いがよく分かるのではないだろうか。

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 ちなみに、ガーフィールドの漫画は、1980年代に一度、日本で翻訳出版されたが、本国とは異なり、全く人気が出なかった。



 ガーフィールドは41の種類の新聞で1978年に連載がスタートされ、たちまち人気が爆発!
私が当時、カリフォルニアで暮らしていた頃に新聞連載が始まり、流行っていたようで、時々、新聞を読む時に目にしたものだった。

現在、世界で2600以上の新聞に100カ国語以上で連載され、2億6000万人以上の読者を持っているそうだ。
単行本の発行部数も全世界では1億3000万部を超えるという。



しかし、何故か日本では人気がなかった。
あまりメジャーにはならなかった。

ガーフィールドの作者自身も、「日本ではあまりHITしないだろうし、理解されにくいだろう」と当初から語っていたくらいだ。

 一つには、社会風刺の色合いが濃い漫画なので、アメリカ社会の細かな実情が分からないと理解しにくいという面もあるだろう。

garfield-manga1.jpg

しかし、これは、他の外国でも同じはずである。


大きいのは、おそらく猫に対する見方の違いなのではないだろうか。

 ガーフィールドは、怠け者で、大食いで皮肉屋でいたずら好きである。
そして、かなりシニカルなキャラクターとして登場している。

 いたずら好きという点は、ともかく、他のキャラクターは、日本人が猫において見出す好ましいキャラクターとは決していえないだろう。

日本人にとって猫とは、先ず、何よりも「可愛い動物」である。

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適度に神秘的であり、貴族的であり、優雅であり、ネズミをとってくれる役立つ存在でもある。

 ガーフィールドは、先ず、ネズミは捕らないし、肥っていて、決して美しくはない。
シニカルな性格も、日本人の猫好きが必ずしも好感をもつところではないだろう。

よく考えてみると、アメリカの映画やアニメの中で、猫の人気者というのは、そんなに多くは無いようだ。
アニメでは、「トムとジェリー」のトムが有名だが、彼は極めて陽気でネズミを追いかけるのに忙しい単純なキャラクターとして誕生している。

何しろアメリカのアニメ界では一番の人気者が、ミッキーマウスというネズミのせいか、猫はやや肩身が狭いようだ。

日本の猫の代表は、サンリオのキティーちゃん、ドラえもん等だが、キティーちゃんは、単純に超可愛い存在である。
 ドラえもんは、長靴をはいた猫、よろしく、子供の夢を叶えてくれる信頼できる友人である。

およそ「ガーフィールド」的ではない。


【『ガーフィールド ザ・ムービー
 


続編【ガーフィールド2 (特別編) 】のイメージ



 ガーフィールド映画のストーリーは、家族向けのエンターテイメントだが、
ガーフィールドの性格自体は、かなり捻くれており、大人が渋さを感じるような性格設定である。

ここら辺が中々、日本人には受け入れがたいところなのではないだろうか。


オリジナルの漫画自身はもっとワサビのきいた皮肉なものが多い。

実写版の映画は、日本人にも馴染みのある「ディズニー化されたファミリー向け」の内容に、創り上げられている。
漫画のタッチとは大分違うのである。



 それにしても、実写にCGを組合わせるという手法が、見始めた時は不自然に感じられたのだが、映画が進むにつれて、全く違和感がなくなってくる。

garfield-movie2.jpg
この手法は中々見事であると思う。


   アメリカの新聞連載漫画は日本とは全く違う。
4コマ漫画というのは、日本で発達した独自のカテゴリーである。

アメリカの漫画は、ほのぼのとした「サザエさん」的なものは少なく、風刺やアイロニーが基本である。

 読み終わって、思わず大人が「ニヤッ」と笑うようなものが多い。
また、特に「ヒトコマ漫画」の風刺には、日本の漫画にはない、独特の素晴らしい切れ味がある。
日本の社会時評的な「ヒトコマ漫画」のレベルは、アメリカに比べればはるかに劣ると言わざるを得ない。
1コマ漫画においては、発案者と漫画家が別である場合が多い。
そのくらいに専門化した世界である。

1コマ漫画の辛辣な社会風刺はアメリカの漫画文化特有のものであろう。


 ちなみに、数年前の事だが、産経新聞紙上に連載されている「ピーナッツ」(チャーリー・ブラウンやスヌーピーが登場する漫画)の翻訳に全くの誤訳があった。
翻訳しているのが、シェークスピア専門のK大学の英文学者だったので、誤訳もやむを得ないだろうと思った。

現代アメリカのトリビアを知らないと、翻訳できないような内容だったのである。
こういった問題は、翻訳に常につきまとう問題である。


 昔、アメリカの推理小説を大量に翻訳している、ある日本の小説家が、自ら告白していたが、はじめ「イエローページ」という言葉が小説に登場してきた時に、その言葉の意味が全く分からないで困った、との事であった。
この作家は、「イエロー・ペーパー(センセーショナルな三流新聞)」という言葉があるので、それに類似した「くだらない新聞や雑誌」だという意味だと類推して、翻訳した、との事であった。
今なら日本人でも「イエローページ」という言葉の意味は知っている。
「電話帳の広告欄」の事である。
これは最近、アメリカ英語から日本に入って来た言葉である。

この作家の方は、アメリカに行って、初めて「イエローページ」という言葉の意味が、実物を見て理解できたそうだ。
「あぁーなんだ、こういう事だったのか」という訳である。

当時の英和辞典には、かなり大きなものでも、このアメリカでは日常用語である「イエローページ」の解説が載っていなかったのである。


 ちなみにアメリカにいる頃、私の事を「ガーフィールドに似ている日本人」と呼んだアメリカ人がいたが・・・、私はそれ程、ラザニアは好きじゃないよ・・・。(苦笑)



↑↑↑ きっと、こういう種類の猫がモデルなんだろね。




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9・11以降、リーマンショック以降のアメリカ人の崩壊感覚:映画『2012』論評

投稿日:2010,12,11

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 『2012』は、最近、多くなった「人類破滅」テーマのSF映画である。



■ 『2012』公式サイト: http://bd-dvd.sonypictures.jp/2012/ 

 メソ・アメリカ文明であるマヤ文明の暦が2012年で終わっているという話が全体のストーリーの伏線になっている。



少々、長いけれど、見て損のない映画だと思う。

 第一の印象は、9・11同時多発テロ以降の、そしてリーマン・ショック以降のアメリカ人の終末観と崩壊感覚が非常によく表現されている映画である、という事だ。
9・11は、政治的な崩壊感覚をアメリカ人に味あわせたが、直ぐに、対イスラム過激派の戦いに討って出たアメリカは、それなりに自信を回復する事が出来た。
 しかし、イラクやアフガニスタンでの戦いが長引くにつれ、再び自信喪失に陥りつつある。

 2008年9月のリーマン・ショックから始まり今日に至る、長期の、しかもかなりシビアな経済不況は経済的な崩壊感覚をアメリカ人に味あわせているのではないか。

 この映画のCGを使った特撮の見どころは、都市の巨大なビルが次々に崩壊してゆくシーンである。
これはまさに9・11のワールド・トレード・センターの崩壊を思わせる。

これに加えて凄まじいのは、大地に巨大な亀裂が走り、地殻そのものが崩壊してゆくシーンである。
更に巨大な津波が大都市を、そして人間が住む大陸そのものをのみ込んでゆくスペクタクルにも、思わず固唾をのんで見入ってしまった。

こういった崩壊シーンに、リーマン・ショック以降のアメリカ人の崩壊感覚がよく表現されているのではないだろうか。

 つまり、自分たちが今まで依存していた安定した社会の仕組みそのものが崩壊してゆくという恐怖感である。




 人類破滅のストーリーは、途中から旧約聖書の「ノアの箱舟」の筋書きに類似してくる。
つまり少数の人間が「ノアの箱舟」上の巨大な艦船に乗り込み、洪水に覆われてしまった地球上でサバイバルする、というシナリオである。

やはり西洋人は、キリスト教の「ノアの箱舟」の伝説が忘れられないのであろう。
最後は、ハリウッド映画らしく、人類の再生への希望というところで終わっているのだが、人類の大部分は滅亡してしまうという大悲劇でもある。


 この映画でも、いくつかの「ハリウッド映画の御約束」は守られている。
第一に、主人公は平凡で社会の主流からチョット外れた人間だが、いざとなればこの人物がスーパー・ヒーローに変身する。
平凡な人間がヒーローになる、というのもアメリカ人が大好きなストーリーである。

第二に、アメリカ大統領は、如何なるピンチにも動じない立派な「戦う人格者」であるという点である。
この映画の中では、年配の黒人の大統領であるが、彼は「ノアの箱舟」に乗る事を拒否して、国民に真実を知らせ、国家と共に滅んでゆくというヒーローである。

第三に、家族愛の大事さという御定まりのテーマもシッカリ組み込まれている。

 娯楽というには、少々シリアス過ぎる映画だが、我々をのみ込みつつある政治的・経済的、そして社会的混乱の巨大さを予感させるようなところがあり、私としては大いに楽しんでみる事が出来た。



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黒猫ノラの【Catch As Cats Can ! 】第1回 「武士道」とは?「葉隠」とは?

投稿日:2010,12,06

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ブログでのコラム、新シリーズ!
黒猫ノラの【Catch As Cats Can ! 】第1回

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gemki-s1.jpg : コラム・新シリーズ、【Catch As Cats Can ! 】いよいよ誕生です。

「Catch As Cats Can ! 」というのは、日本語で「猫のように捕まえろ!」というような感じです♪
NHK捏造事件と無制限戦争の時代 』で登場(書籍デビュー)しました、
私の助手を気が向いた時にだけ、シャッ!!と登場して、いつの間にか去ってゆく黒猫ノラちゃんに、登場いただきます。

というより、このブログの場で、藤井が猫の手を借りたい時に、猫のひたいほどの小さなコラムを書いてもらう事にします。

でも、彼、ノラちゃんのあまりにシニカルな見方に、私は必ずしも賛成は致しませんが・・・。(笑)
まぁ、あくまでノラちゃんが気が向いた時だけの、連載シリーズです。
(いつまで続くやら…w)

さて、そろそろ私は楽をしたいので、ノラちゃんにバトン・タッチしてもらいます。


コラム・シリーズ、第1弾タイトルは、にゃにゃんと、 「武士道」とは?「葉隠」とは? …だそうです。
第一回目から、えらく渋いテーマだね。

さて、ノラちゃん、後は任せたよ。(笑)


ノラ: nora-s1.jpg  さぁーって、と。

 最近、ゲンキ先生は『猫は犬より働いた 』という本をえらく感心して読んでるようで、絶賛してたけど、まさか猫に代わりにブログを担当させて、犬より働かせる気じゃにゃいだろうなぁ…。

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巧くのせられて猫だましにあわないよう…しにゃいとにゃぁ…。w


 さてっと・・・最近、国際政治の話に絡めて、「武士道が●●●」「葉隠がどうの…」という論議を声高にしている不思議な人間がいるんだよニャ。


おっしゃっている事が、あまりに事実とかけ離れ、「メルヘンチック」なのに大変感動しています。(笑)

 そもそも、武士道というものを、「葉隠」で代表させていいかどうか?という自体が疑問が残るけどニャ・・・。

 例えば、「葉隠」の武士道と、明治になって書かれた新渡戸稲造・著の『武士道』には非常に大きな隔たりがあります。

 まぁ、それはさておいてもよいでしょう。

仮に、「葉隠」に表れたものが純粋な武士道である、と定義したとしよう!

この「葉隠武士道」なるもの、ハッキリ言って、平和主義とは全く無縁のものであるばかりでなく、
寧ろ「平和主義の対極にたつモノ」なんだよニャ。

また、非常に思想的に言えば、狭くて極端な思想なんだニャ。

例えば、釈迦や孔子も全く評価しないというのが、「葉隠武士道」なんだ。

理由がこれまた凄い!

単純明快で凄い!

それは、「釈迦や孔子が、鍋島家を知らなかったから」というのです。

だって、「葉隠武士道」の忠誠の対象は、「鍋島家のお殿様」ですからねw。

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 そして、平和主義の対称であり、寧ろ、「軽挙妄動をよし!」とするところがあります。

「主君が辱められれば、前後の見境も無く即座に行動を起こして、自らの主君を辱めたものを一直線に殺しに行く」、というのが「葉隠武士道」が最も推奨するところの「行動」なのであります。

ブットブよニャ(笑)。


 例えば、「葉隠」の著者(語り部)、山本定朝は、元禄時代に起きた「赤穂浪士の討ち入り」だって、否定しています。

理由は簡単で、「討ち入りの前に、吉良上野介が病死してしまったらどうするのか?」、というのです。

深慮遠謀をめぐらせた大石くらのすけを山本定朝は、全く評価していないのだニャ。

もし討ち入り前に、吉良が死んでしまえば、仇討の可能性は永久に失われてしまう。
深慮遠謀をめぐらせた赤穂浪士の行き方を、定朝は「上方風の打ち上がりたる武士道なるべし(上方風の思いあがった武士道にちがいない)」と言って批難しているのです。


 定朝が最も望ましいというのは、自らの主君が辱めを受けたならば、前後の見境なく吉良上野介の首をとりに行く為に「暴発する」のが正しいというのです。
その企てに例え失敗しても、それは武士としての最大の名折れではない。
それは、運悪く目的を果たせなかった、というだけの事である。
仇討の機会を失ってしまえば、これは取り返しのつかない永久の恥辱となる。

だから、吉良暗殺という目的を達成できるかどうか、という合理主義はどうでもよい事であり、即座に行動を起こす事が純粋な武士道であると、山本定朝は主張しているのです。


nora-s2hugya.jpg えぇーーーー、でしょ。

これが、どうやったら平和主義と結びつくのかな?
核兵器を保有しない事と、どう結び付くのかにゃ?

nora-s1.jpg どうやら武士道と核兵器保有の否定を主張されている人間って、どう見ても、「葉隠」をちゃんと読んでいないようですね。


「あぁーあ・・・。(;一_一) (イタイイタイ…)」と、隣の猫も、言ってたニャ。(笑)


gemki-s1.jpg 藤井: そう言えば、鍋島家は「化け猫騒動」で有名だったよね。
   にゃるほど、どうもノラには特殊な情報ルートがあるらしい・・・。ふむふむ…。



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猫も反対するペット増税!- 猫は巨悪を許さない!!

投稿日:2010,12,03

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【藤井厳喜・12月の講演会の御知らせ】

★ 出版記念講演 『日本はニッポン』 ― ユーロ崩壊、1ドル70円台の世界にどう対応するか?

 日時: 12月4日(土) 18時から20時30分
 場所: 文京シビックセンター3階会議室
 受講料: 4000円
 講師: 藤井厳喜&渡邉哲也
 申し込みCFG事務局 info.cfg.future@gmail.com 


★ 藤井厳喜アカデミー『国民の為の政治学』特別公開講座 

 日時:12月5日(日) 18時頃から20時30分
 場所: 文京シビックセンター3階
 受講料: 5000円
 講師: 藤井厳喜

 既に「国民の為の政治学」(全12回)を学んだ方を対象に、より、実践的で高度な集中講義を開催致します。是非、質問を持ってのご参加を!

 両、講演会とも、会場にて『日本はニッポン! 金融グローバリズム以後の世界 』のサイン会も行っております。



 昨夜は久しぶりに、深夜、「キャッツ・ストリート」で地域猫さん達に餌をやったりしながら、猫ちゃん達と遊んでました。

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小さな路地に6匹くらいの猫が生息しており、主に、その通り(通称:キャッツ・ストリート)の人達が面倒をみているのですが、私も時々、御手伝いしています。

 この猫達のお陰で、随分、人間同士の会話も弾みます。

ここら辺の猫の面倒を見ている中心は、一人でやっている小さな居酒屋のおかみさんで、猫が機縁でちょいちょい、この店に寄るようになりました。

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ちなみに、私は、居酒屋のみならず、食事や買い物は、なるべく猫を可愛がる人達の御店を利用するように心がけております。

 猫が地域のコミュニティーの接着剤になっている訳ですね。
コミュニティーが猫を可愛がれば、猫もちゃんと御恩返しをしてくれているのです。


 ランちゃんという黒猫が私からすると、中々の曲者で、一番、面白い。
私が以前に「くしゃみ猫」(町でのあだ名)とよんで御紹介した猫も、このグループの一匹です。
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本当の名前は、「カグちゃん」です。かぐや姫の「カグ」です。
中々、素敵な名前ですね。
またチッチという、漫画のチッチにそっくりの猫もいます。

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 深夜の路地裏のひそかなミーティングですが、猫達は流石に情報ツウです。

なんと、あの「民主党」が、ペット増税を検討中との情報に怒りを露わにしていました。

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 猫だけではない、全ての動物を愛する人達はこの民主党の暴政、悪政を断固として粉砕しなければなりません。

「税金をかければ、ペットの飼育に責任を持つようになる」というのが、民主党のペット増税の理屈だそうです。
だったら、子供の虐待を減らし、責任をもって育児・教育を親に行なわせる為に、「子供増税」をやったらどうですか?
つまり、子供一人当たりいくらの人頭税をかけるわけですな!(怒)
 そんな事をしたら、子供の虐待が増えこそすれ、減る事は絶対に無いでしょう。
だから、民主党は子供手当てを出す事にした訳でしょう。

この理屈が如何に間違っているかが分かります。


 し、しかも、増税したその収入で、
な、なんと、飼い主のいない動物の殺処分を行なうというのですから、
残酷極まりない悪法です。


 随分前から、ペットではなく、コンパニオン・アニマルという言葉が使われるようになりました。
多くの人達にとって、動物は単に一方的に可愛がるペットではなく、人生を共に歩むコンパニオンなのです。
(パーティーとかに出てくる、女性ではありませんよ!註)

 コンパニオン・アニマルということは、即ち、家族の一員であるという事です。
そういう意識を拡大し、人間の品性を高める事によって、動物遺棄の問題は解決されるのであって、ペット増税は絶対に動物愛護に逆行した悪法です。

未だに、党内で検討中との事ですが、この段階で早目に潰しておかないと、何がおきるか分かりません・・・・・・!!!!!!!!!!! と、

昨夜・・・深夜に会った猫達が言っていました。


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 来週から猫達の声をお伝えしたいと思います。こう御期待を!




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谷中、猫町、坂の町 ― 猫に優しい町と猫ART

投稿日:2010,09,29

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 「谷中、猫町、坂の町」と書きましたが、実は本当はこれは、「谷中、寺町、坂の町」なんですね。

最近は、「谷根千(やねせん)」とか呼ばれて、谷中・根津・千駄木の辺りは、気楽な下町の観光地、もしくは散歩コースとして人気があります。
東京の中でも、明治から昭和初期の戦前の東京のにおいを残している町です。

 「谷根千」などと呼ばれて人気が出る前から、私は、ここら辺をぶらぶらするのが好きでした。
如何にも東京の下町の雰囲気が残っていて、細い路地が縦横に発達している。

 そして、そういった路地には、多くの猫が生息しています。
勿論、飼いネコもいるのですが、地域共同体が何となく一緒に面倒を見ているというような猫達も多いようです。

「谷中・猫マップ」なる周到な取材に基いた猫地図本もシリーズで発行されているくらいです。

 美しい絵で実に詳細に、路地路地の猫の生態が描かれています。




 こういった地域を歩いてみると、実際、猫にとって住みやすい町は、人間にとっても住みやすい町である事が分かります。

猫に優しい町は、人間にやさしい町であるし、逆もまた真なり。

人間にやさしい町は、自然に猫に優しい町にもなるようです。

如何にも近代的な都市計画で出来た町とは、正反対の極にあるのが、谷中あたりで、関東大震災にも、大東亜戦争の戦災にも生き残ったような、旧い道筋と街並みが残っています。

そこに、「野良猫」ではない「地域猫」(地域の共同体の人達が一緒に面倒を見ている猫)が、悠々と暮らしています。

 近代主義的な防災の概念から言うと、こういった木造住宅の細い路地が、入り組んだ町並みは、地震や火災に大変弱く、近代的な都市計画が必要である、というような事がよく言われるのですが、住みやすさというものは、またそれとは全く別の事のようです。

 この地域の住民は、お年寄りも多いのですが、意外に若い人、又、欧米系の若い外国人が多く、住んでいます。
以前、日暮里の夕焼けだんだんのところで、まさに夕焼けを見ていたのですが、仕事帰りの白人の若者が多いのに、大変、驚きました。

 谷中辺りのごくごく日本的なアパートや貸家を好んで住む人達が多いようです。
六本木の高級マンションは、パリやニューヨークのそれと、大して違わないのでしょうが、本当に日本的な暮らしを味わいたいと思えば、谷根千の地域は、大変魅力的な居住空間を提供してくれます。

 この地域には、外国人を主にお客さんとしている昔風の日本旅館が何軒もあります。

世界的に見ても、猫が住みやすい町は、人間も住みやすい ― というのが、私の「都市理論」なのですが、これを最も実証してくれているのが、身近なところでは、谷中の地域だと思います。


 実は最近、「ネコウヨについて話を聴きたい」という海外の人からの問合せが結構、あります。

今回は、たまたま、東京在住のアラブ系のジャーナリストの方が、私の英語での発信を見て、「是非、ネコウヨについてインタビューして欲しい」と申しこんでこられました。

ネコウヨについて語るのは勿論、やぶさかではありませんが、どうせなら、日本の猫文化についても、より深く理解してほしいと思い、猫町である谷中の地域を案内したいと思いたちました。


 イスラム教の創始者・モハメッドが大変、猫を可愛がった、とかで、アラブの世界にも猫好きは多いようです。
イスラム教の寺院(モスク)には、猫は出入り自由ですが、犬は出入りが禁止されているようです。

猫は、ネズミを取り、食料を守り、伝染病を防ぐ等、人間に大変、役立つということも高く評価されているのは勿論、犬には狂犬病という恐ろしい病気があります。
特に、アラブ世界のような熱帯地方では発生しやすい病気で、今日と言えども、未だに根絶された訳ではありません。

どうやら、そんな事も有り、猫はモスクに入れても、犬はモスクに入れてもらえないようです。

外国人を案内したい、という事もあり、谷中地域でも、猫のいる上品なレストラン・喫茶店である、「猫町カフェ29」に行ってきました。

実は、カフェ29は、以前、本や雑誌で読んだ事があり、是非とも行ってみたい場所だったのです。

色々、取材の準備の打合せなどもしながら、食事とお酒を頂いて、大変、楽しい夕刻のひと時を過ごしました。

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 先ず、酒好きの私から言わせると、この店には、熊本の熊焼酎の美味しい銘柄が何種類も揃っています。
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加えて、食事が大変、美味しいのです。

それも、この御店でしか味わえない、熊本の食材を使った独自のお料理やお菓子が、我々の舌を魅了します。

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 お店の猫ちゃんは、室内に3匹、外に1匹ですが、皆んな、個性的で可愛いのは勿論、オーナー・ファミリーの家族の一員として、我々、御客さんを楽しませてくれます。

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 更に、この店に置いてある猫グッズが、誠にユニークで、質が高く、また種類も多い事に驚きました。
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店長兼、シェフは、上村賢士さん、店のマネージャー役とお見受けしたのが、そのお姉さんの上村美鈴さんです。
美鈴さんは、絵本の編集者・プロデューサーでもあります。

お店には、美鈴さんのプロデュースされた絵本が(猫以外のものも含め)何冊も置いてあります。

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猫を売り物にするというのではなく、美味しいレストランに自然に家族の一員として猫もいる、というスタイルの素敵な空間です。

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 人が、猫の頭をなでる事は多いと思いますが、この晩、私ははじめて、猫に頭をなでられました。

 私の頭を撫でてくれたのは、ダイちゃんという1歳の雄猫です。


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私の髪の毛のふわふわした感じが気に入ったらしく、何度も撫でたり、じゃれたり、カブッチョまでしてくれました。


 こういった場所に行っても、私は猫にはあまり媚びないで、自然体でお付き合いする事にしています。

大体、呼んでも直ぐ寄ってこない、というのが猫の本性で、
呼んで直ぐにやってくるのは犬です。

猫はそもそも、貴族的で気まぐれで、向こうが気にいった時にしか寄ってくれません。

こちらが自然体でいれば、猫の方は、ちゃんと猫族の人間を見定めて、向こうの方からやってきてくれます。

この信頼関係が、また、猫的で、実に楽しいのですね。

そんな事を、また実感できた夜でもありました。

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「夜来風雨声 花落知多少(やらいふううのこえ はなおつることしるたしょう)」― メキシコより

投稿日:2010,09,02

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「夜来風雨声(やらいふううのこえ) 花落知多少(はなおつることしるたしょう)」


   春暁(しゅんぎょう) 

   春眠不覺暁 
   處處聞啼鳥 
   夜來風雨聲 
   花落知多少 

 
 丁度、『唐詩選』を繙いており、孟浩然の有名な「春暁」を読み終わったばかりの時に、似たような風情に遭遇した。

季節は初秋であり、場所はメキシコである。
しかし、この風情と「春暁」の詩の趣きは、極めて類似している。
漢詩の普遍性ということにも、思いを馳せた。

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 小さな庭だが、ブーゲンビリアが美しく咲き誇っている。
昨日は夕方から雷雨となって、風も随分、吹いた。
朝、目覚めると、花がどれほど散ったものか気にかかる。

 ブーゲンビリアの咲いている庭は、パティオ(中庭)を抜けた所にある。
母家からは直接見えないので、パティオのアーチ型の門を潜(くぐ)って自らの目で確かめに行った。

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 芝生の上一面に、ブーゲンビリアの花片(はなびら)が、目も鮮やかに散っている。
さ緑の絨緞の上に、真紅の花片が、ゆたかに散り敷かれている。

 惜しみなく、強(したた)かに散っている。

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 ブーゲンビリアの紅は、躑躅(つつじ)の赤をなお戦列にしたような色合いである。

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 【 朝芝や ブーゲンビリア一面に 散りて二色の 絨緞となる 】
                         厳喜 


 ブーゲンビリアはメキシコでは、四季咲いている花である。

七月・八月はメキシコでは雨期で、九月上旬にもよく雨は降る。
ただの雨ではない。
日本の夕立を数倍激しくしたような雷雨であり、豪雨である。
雷雨には時に雹が混じる。

以前、親指の頭ほどもある雹に降られて往生したことがある。


 扨、これ程、異なった環境でも、孟浩然の詩は感動を呼び起こす。
日本人なら「春暁」の詩が一番切々と感じられるのは、櫻が散る時期であろう。

散る花に、林檎や梨の花を連想する民族もあろう。

 鳥といい花というが、種類が特定されている訳ではない。
それ故、この詩は、春という季節から離れてすら、鑑賞が可能なのである。
(雨がほとんど降らないアフリカ・中東や中央アジアの乾燥地帯等を除けば、この詩は地球上多くの地域で観賞可能なのであろう。)

つまり、この詩には普遍性が備わっているという事である。
漢詩にはこのようにグローバルな「汎用性」があるものが結構、多い。

しかしここに、素晴らしさと同時に、問題も存在する。


 それは、自然描写が余りに抽象化されていることである。
それは唐代の孟浩然の詩において、そして李白や杜甫の詩においても、自然が既に抽象化された「モノ」として捉えられているという欠点である。

山といい、川といい、島といい、花といい、これらの言葉が、既にパターン化された記号としてしか機能していないのではないか。

つまり、自らの皮膚感覚で自然が捉えられていないという弱点なのである。


 さて、短所は短所として、しかし「春暁」が古今東西の名吟であることは認めなければなるまい。
この詩は五言絶句という形式で、五つの漢字が四行、つまり二十字の漢字だけで成り立っている。
題字を数えたとしても、たった二十二字である。
それで、これだけの内容が伝えられるのだから大したものである。

  これにはやはり、漢字の力の凄さを感じない訳にはいかない。
漢字の力の中でも、特にイメージを喚起する力の強さである。


 日本の俳句は十七文字で成り立っていて、世界最短の定型詩であると言われている。
五言絶句の二十文字は、恐らくこれに継ぐものであろう。


 この詩の意味は単純なようだが、最後の一行には少々解説が必要である。

「花落知多少」は、「花はどれ程散っただろうか(分からない)」であり、「花は多少は散っただろう」ではない。

大体、日本語の多少は少ない方に重点が置かれている。
漢語の多少とは意味が違う。


『唐詩選・上』(新訂中国古典選・朝日新聞社・高木正一解説)によれば、

――― 「知」の字、その下に疑問詞をともなう時は、ほとんどこれを反語によみ、結局は「不知」の意味になること、詩にはしばしば見うけられる誤報である。

――― 多少は、どれほどという意の疑問詞。

 だそうである。


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 「花落知多少」の訓読は、「花落つることの多少なるを知らんや」と反語風に読み下すのが適当なのであろう。
漢語は所詮外国語、漢字に引かれていい加減に解釈することは、厳に慎まねばならない。


「春暁」を俗な日本語に訳してみた。


  春の眠りは朝知らず
  鳥の啼く声ここあそこ
  ゆうべ聞こえた風と雨
  花はどれほど散ったやら


 君莫(レ)笑。

 君笑うこと莫(な)かれ。


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絵本プロジェクト: 打合せ (2)

投稿日:2010,08,10

★ MPJ - 『藤井厳喜の連載コラム』掲載中! 
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 昨日に引き続き、砂澤さんと絵本の打合せ。

夕刻、私がよく散歩する上小岩新水緑道を案内させてもらいました。
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 北海道のスケールの大きい自然を見慣れた砂澤さんの目には、東京の下町の散歩道は、ユニークで興味を引くものだったようです。
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  新水緑道を歩くと今は、百日紅(サルスベリ)の花の盛りですが、百日紅は北海道では見かけない花だそうです。
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百日紅はインド原産で、元来、暑いところを好む樹木なので、北海道にないのは当然なのでしょうが、そんな話も私には小さな発見でした。
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   下町の地域猫も、砂澤さんには珍しい存在(光景)だったようです。
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北海道は元来、寒冷地である上に、保健所による野良猫の処分が厳しいそうです。
下町の地域猫の話しも、大いに盛り上がりました。

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 砂澤さんに贈った一句。

【 積乱雲 越えて北より 来たる人 】   厳喜 

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猫に優しい町― Companion Animal とCommunity

投稿日:2010,04,05

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私が今日・どこで何に参加しているか?今、何を考えているか?、ご興味の方は是非、御気軽にご参加「フォロー」ください。)


猫に優しい町は、人間にも優しい町である。

 「地域猫」という言葉がある。
「野良ネコ」ではない。「地域猫」である。
地域全体の人々が、それとなく、面倒をみている猫が「地域猫」である。

「地域猫」は、みんなに愛され、育まれている。
特定の飼い主がいる訳ではないが、ちゃんとその地域で育てられているのである。
地域猫がいる町は、人間にとっても、住みやすい町であるに違いない。

というのは、その地域に共同体が成立しているから、その共同体意識のもとで、猫は面倒を見てもらっている訳である。

共同体意識がシッカリしている社会は、人間にとっても住みやすいに違いないのである。
地域全体の人々が、共通の意識をもって、猫達に接し、優しくこれをはぐくんでいる。
そんな共同体では、人間と人間の間も、優しいに決まっている。

更に、地域猫は、よき共同体の人間関係を潤滑油のようにスムーズに回転させる役割も果たしている。

猫を通じて、地域の人々が、挨拶を交わし、年齢や趣味の違う人々も、猫を共通の話題に微笑む事が出来る。
当然の事ながら、地域猫がゆったりと暮らせる街は、安全な町でもあるに違いない。

つまり、地域猫こそは、よき共同体のシンボルなのである。

殺伐としたスラム街には、野良ネコはいても、地域猫は生息のしようがない。
これは、日本においてだけでなく、世界的にも真実のようだ。


私のお気に入りの猫ビデオに、『地中海・猫の旅 6500キロ [DVD] 』というDVD映像がある。
環境ビデオ的に、よくオフィス等でも、BGMとして流している。

登場する、都市は、カサブランカ、グラナダ、アテネ、イスタンブールなど。
島は、コルシカ島、マヨルカ島、キプロス島などなど。

10万年前、中東地方に生息していたリビア山猫が全ての飼い猫の起源だそうである。

世界的に、どこを見ても、地域猫が、のんびりと暮している町では人々も、ゆったりと暮らしているように見受けられる。

イスラム教徒も、ユダヤ教徒も、猫を尊重するという点では、同じである。

歴史的に猫は、ネズミを捕え、人間を伝染病から守ってくれてきた。
イヌには残念ながら、狂犬病という恐ろしい病気がある。
地域猫は、存在しえても、中々、地域犬は存在しえないというのは、この病気の為でもあろう。
また、猫は自由で独立した動物だが、犬はその本性からいって、飼い主を必要としているように思われる。
そんなこともあって、野良犬は存在しても、地域犬は存在しないのに違いない。

近年、Pet という言葉をやめて、Companion Animal という言葉を使おうという提案が英語の世界である。
PETというのは、一方的に人間に愛玩される存在であるが、Companion Animal は、人間と対等に近いコンパニオン(同伴者)という意味である。
この言葉は、猫にこそ、最も相応しいもののように思われる。

地域のCompanion Animal がいる町は、Community のある町に違いない。


猫のもつ不可思議さや神秘性は、時折、我々に何らかの啓示を与えてくれるように思われる。

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 花びらの 蝶に飛びつく 仔猫かな   厳喜  

 桜の花びらが、ひらひらと蝶のように舞いながら、落ちてくる。
これに仔猫がじゃれついているさまである。



※ ちなみに、私の本で、登場してもらった、猫キャラのノラちゃんも、私の散歩コースでよく出逢う地域猫の黒猫さんがモデルである。
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【猫好きの皆様との、ネコウヨ・オフ会イベント(猫もふ会)のお知らせ】
 NET(Twitter上)でつい、盛り上がっちゃいました、猫好き仲間のネコウヨさん達とのオフ会を、18日に行う事になりそうです。
此方の詳細は、また決まり次第、ご報告させて頂きます。
(※ 大体、会場となる、猫カフェのオープン時間、11時頃を目処に検討しています。)


【お知らせ】
4月7日、神奈川県の横浜センター南エリアでの、街頭宣伝活動が急遽、中止となりました
宜しくお願い致します。


【どんどん拡散ご協力ください。 (^・x・^) じゃじゃーん! (^・x・^) 】
 「ネコウヨ」バナーが出来ました。ヽ(^。^)丿  
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「The Cat Is Right !!」 猫はいつも右(right)であり、かつ正しい(right)!?
↑↑ 私の友人のカリスマ・フードコンサルタントの松本和彦先生がデザインし、創ってくださったものです。
(※ 松本さんの事は、「ドンと来い!大恐慌 (ジョルダンブックス) 」の特別対談にもご登場頂いたり、最近も映像での対談をして頂きましたのでご存知ですよね。)

 こちらはTwitterページ用の「ネコウヨ」バナーです。
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こちらは、私のTwitterページ「 https://twitter.com/GemkiFujii 」をリンク願えればと思います。
★ ブログ用のミニ・サイズは此方。
blog_neko-mini.jpg

★ Twitter用の正方形タイプは此方。
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是非、此方もリンク用バナーにご活用頂ければと思います。

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絶叫マシン!民主党 ―おQ層インテリ主婦達の大絶叫? (ネコウヨ・バナー発表)

投稿日:2010,03,29

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ウッギャー!!!!!

ひエェーーーー!!!! 

恐ろしい絶叫が、隣の部屋から聴こえてくる。

一度、二度では驚かなかったが、あまりに、耳をつんざくような悲鳴が繰り返されるので、ゴキブリでも出たかと思って、オフィスの隣の部屋をのぞいてみると、私のアシスタントとその友人のもう一人の、お手伝いに来てくれた方が、電話をしながら、絶叫を繰り返しているのである。

まるでジェット・コースターに乗っているような、悲鳴である。

電話で、少々話しこんでは、時折、「うっそ―!!」とか、「えっエェーーーー!!」とか、の叫び声が、離れていても電話から漏れ聞こえてくる。


オフィスの者も、興奮した口調で、「えぇー!知らなかったのぉ??」とか、
「ぐぐ、ググってみてよぉ…」(※Googleで検索する事の意味)と又、叫び返している。(此方は笑いながら…)

・・・・・・・・

一連の電話が終わった後に、オフィスのスタッフに「一体、何事が起きたのか?」を尋ねてみた。

事のおこりは、アシスタントの方に、同窓会の連絡の電話が入って、久々に旧友と話しこんでいた事である。
そこから話が展開し、そのアシスタントの方が、現民主党政権の「子供手当法案」その他の恐るべき体質について、語り始めたのだそうである。

電話の相手は30代半ばの子育て真っ最中の主婦達である。
旦那さんは大手企業に勤めているような、まぁ、世間から見れば、エリートといっていいような人達である。
その奥様方だから、世間の平均以上の常識はお持ちになっているはずである。

ところが、子育て、子供手当を外国人の子供がもらえるとか、外国人参政権法案の事とか、家族解体法案である「選択的夫婦別姓」の事とか、あるいは更に恐ろしい外国人住民基本法(日本人を差別し、外国人を優遇する)のこと等は、この奥様方は、全くご存知なかった。

そこで、うちの事務所の者が、その事を事細かに解説をし始めると、当初は、全く「うっそー!そんなのあるはずがない」と反応する。
次には、「えぇー“自民党の悪そうで古そうな利権がお”のワルソーなおじさん達でさえ、そんな事、してこなかったんだから、新しく変わったばかりの新鮮な民主党の若手政治家がそんなことをするわけがない。」
「いまは、若くて力がないかもしれないけれど、彼らを私達が応援したら、悪人顔の小沢さんを追い出してくれるはずよ!」
と云い募って、抵抗する。

(俗に言う、おQ層の典型的パターンである。)

そこで、アシスタントが論より証拠とばかりに、身近なパソコンで、「先ずは、ぐぐって見てよ」
と、適当な検索ワードを、伝えてみる。


その上で、子供手当法案の話を簡単に、ソフトに、アシスタントが再度、伝えだす。

「自分で発見した」情報を、パソコンの画面上で確認した時に飛び出してきたのが、先ほどの絶叫であった。


詳しく言えば、第一段階目では、まだ検索して出てきた情報の信ぴょう性が信じられず、
「へぇーーー」「えぇーーー」
とか、言って、戸惑いを見せる。

二度目の検索では、
「ちょっと待ってな」「ちょっと、、、待ってて」を繰り返す。

大体が、三度目の検索で、
「あの絶叫」が飛び出すのである。(笑) 

「エェーーーー!」「マジぃーーー!???」
「嘘ぉーーーー」

 「驚き」は瞬時に「怒り」に変わる。

そう、彼女達は、完全に民主党とマスコミに騙されていたのである。

典型的な「おQ層」とも言える。

本来、健全な健全な常識を持った、日本国民である。
皆、おそらくかなり教育熱心なママさんでもあるのだろう。

ところが、考えても見て欲しい。
子育て真っ最中で、忙しい彼女達は、政治ニュースに接する時間は殆どない。
偶に、TVや新聞や雑誌を観ても、当然、こういった「本当の話」は報道されていない。

そこで、ただ今の様な恐ろしい反応を示す事になったのであった。

当然、彼女達の夫達も、働き盛りの年齢であり、超多忙を極めている。
高学歴には違いないが、自分の仕事で手いっぱいで、とても政治や社会の情報収集をする時間は無い。
とすれば、本来、日本の健全な「常識マジョリティー」を形成しているはずの彼らや彼女らが、政治の現実から全く切り離されてしまっている事に何の不思議もない。

マスコミは、民主党と一体となって、民主党の国民生活破壊の政策について、殆ど・・・、全くと言ってよいほど、語ろうとしない。

ちなみに、彼女達は、TVのワイドショー派ではない。
読んでいる新聞は、典型的には「日本経済新聞」だそうで、見ている雑誌は「日経BP」や「anan」「mono」「Pen」等々の生活系ファッション雑誌や、専門情報誌である。


 この日は、連絡を取った、5?6人がほぼ全く同じ反応をとったというから、こういった人々の数は、相当数にのぼると思われる。


 かなりの高学歴のインテリ達が、男女を問わず、民主党政権に未だ欺瞞されているのである。

 気がつけば絶叫である。

 まさに、民主党政権は、遊園地のどんな恐ろしい絶叫マシン以上の絶叫マシンである。


7月の参院選に向けての我々の戦略の1つは、この層の人々に、覚醒してもらうことである。

頭のよい人達だけに、きちんと情報を伝えさえすれば(自ら情報を発見するように誘導すれば)必ずや、民主党の危険な体質に、気がついてくれるに違いない。


所謂、「保守」の人々に拘らないで、より幅広い「常識マジョリティー」(リベラル・無関心層も含め)の人々の覚醒を、促さなければならないだろう。


 思想的にも安心して気が合う仲間と集まって、盛り上がるだけでなく、寧ろ、「それ以外」の畑の人達に、思い切って飛び込んで行って、「常識」という日本人としての共通基盤をベースに、積極的に語りかけてゆくべきだろう


 今回の私が傍で目撃した光景は、ある意味、典型的な今の日本の政治状況の反映である。
そこに、我々の勝利のヒントもある。



【さらにご報告&発表!!第2弾!! (^・x・^) じゃじゃーん! (^・x・^) 】

 昨日、発表させて頂きました!! 「ネコウヨ」バナーが出来ました。ヽ(^。^)丿  

nekouyo.banner1.jpg

↑↑ 私の友人のカリスマ・フードコンサルタントの松本和彦先生がデザインし、創ってくださったものです。
(※ 松本さんの事は、「ドンと来い!大恐慌 (ジョルダンブックス) 」の特別対談にもご登場頂いたり、最近も映像での対談をして頂きましたのでご存知ですよね。)

 私も嬉しく、感動したのですが、早速、大好評!!!! 

 本日は、その第2弾バリエーションをまたまた大発表です。

先ずは、Twitterページ用の「ネコウヨ」バナーの発表です。

Twitter-nekouyo1.jpg

こちらは、私のTwitterページ「https://twitter.com/GemkiFujii」をリンク願えればと思います。

★ ブログ用のミニ・サイズは此方。
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「保守」はもう死語なのか? ― 街頭で感じた実感

投稿日:2010,03,21

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 昨日、3月20日は、午前11時から、午後12時半まで新橋駅前で、街頭広報活動を行いました。
その後、多くの方は、東京ビックサイトの夫婦別姓法案反対の大会に出席されたようですが、私は、拓殖大学日本文化研究所の日本塾の最終回で、全講師が出席しなければならない為、そちらに出席させて頂きました。

 当日、新橋のSL広場で街宣車の上から、演説をし、また、他の方のお話を聞いていて、感じた事を率直に述べたいと思います。

 昨日、土曜日は、ウィークデイと比べて、サラリーマンの人通りは少なく、いつもよりは人手の少ない新橋駅前でしたが、風だけは春の烈風が吹いていました。

少々、奇妙な、誤解を受ける言い方かもしれませんが、私は、街宣車の上で、スピーチをしながら、既に「保守」という言葉のアピールする力が非常に弱まっているのではないか、と感じていました。
今までは、私達のやる活動を、「保守系の市民運動ないしは国民運動」または、「草莽の保守の運動」と自分達で呼んできましたが、自分の心の中で、この「保守」という言葉にやや、違和感を覚えていました。

それは、信念としての保守主義が間違っているという事ではありません。
そうではなくて、「保守」という言葉のアピールする力が、非常に弱まっているのではないか、と感じたのです。
SL広場を通り過ぎてゆく人達に、「保守」を訴えても、その言葉がもう、一般の人達の心に全く反応を呼び起こさなくなりつつあるのではないか、と危惧しました。

まして、NETの世界の人々には、この事は、もっと痛切にあてはまるのではないか、と街宣車の上で、マイクを握りながら、感じていました。

というのも、保守という言葉自体が、既に手あかにまみれてしまったのではないか。
保守というと、何か、小さな立場の違いにこだわり過ぎて、内部分裂や対立をしている、というイメージが、広まってはいないだろうか。

また、実際に、会話をする人々の中から、「保守」という言葉に対する、違和感や時には、アレルギー感覚を、感じる事があります。
これは、決して古い事ではなく、私自身の感覚でいえば、ここ1週間くらいの新しい出来事です。

講演会や、街頭のスピーチで、私自身も、所謂、リベラルな護憲層にも訴える話をしています。
というのも、今の民主党がやっているのは、例えば、外国人参政権法案にしても、人権弾圧法案にしても、明らかに現行憲法違反の政治だからです。

これらの法案に、反対していく為には、従来の所謂、保守層すら越えて、憲法を守りたいというリベラル層まで巻き込んで、反対運動を展開しなければならないのではないでしょうか。

私自身の言葉でいえば、「常識的多数派」「常識マジョリティー」に、目覚めてもらわなければ、民主党政権は、覆せないのではないか、と思いはじめています。

繰り返しますが、私も日本の保守主義者ですし、日本の保守思想が決して悪いという事はありません。
そうではなくて、運動における「保守」という言葉の力が最早、死に体ではないか、と心配しているのです。

「草の根保守」という言い方よりも、「常識マジョリティー」や「日本大好き」という言葉の方が、より多くの人々を糾合できるのではないでしょうか。

今や私達は、「戦後民主主義者」の良識的な部分にまで呼びかけて、マジョリティーを形成していかなければならないと思います。

 そうしなければ、民主政治そのものが、失われてしまう。
そういう決定的な危機に、我々は直面していると、思います。


 この危機に直面して、私が、思いだす政治家は、故・中川昭一さんです。

彼が、心配していた事は、何であったのか。
彼が、生きていたら、やろうとしていた事は何であったのか。

常に、この事を念頭において、行動していきたいと思っています。

 中川さんとは、私自身の主催した日米保守会議や、いくつもの保守系の集会などで、ご一緒させて頂きました。
ある年の憲法記念日、憲法改正を訴える集会には、小学生のお子さんを連れて、いらした事もあります。

楽しく、談笑した記憶が、蘇ってきます。

彼が、日本の為に、何をやろうとしていたのか。
何が、出来ずに他界していったのか。

その事を、軸に、私たち自身が、行動の方向性を統一してゆく事は、出来ないでしょうか。

今、この事を、強く思っています。





 政治的行動のエッセンスは、戦略にあり、戦略の本質は、事の優先順位の決定にあります。
つまり、政治とは、優先順位の決定に他なりません。

現在、我々が心すべき事は、「人権弾圧法案」が通ってしまえば、日本の左翼ファシズムが完成し、民主党左派が自分達に望むようなあらゆる悪法を通す事が出来るようになる、という簡単な事実です。

そして、人権弾圧法案を阻止する為には、夏の参議院選挙において、民主党の議席を大きく過半数割れに追い込む事です。

我々の政治的行動の全ては、今、そこに集中されるべきです。
参院選における、民主党の敗北。
それこそが、最高の優先順位です。

今、その実現のために、あらゆる小異を捨てて大同につくべきであると考えます。

その為には、「保守」という言葉の利用すら、反省してみる必要があるでしょう。

これは、空理空論ではなく、私が街頭の実践活動で感じた実感そのものです。
様々な人々(年齢、職業、立場、環境、男女の別や、社会階層の違いを超えた)との対話を通じて、感じた実感でもあります。

皆さんからの、多数、お寄せ頂きました、御手紙やメール、FAX等々を読ませていただく中でも、同様の事を感じた次第です。

皆さんは、どうお感じでしょうか?


 一緒に、一喜一憂することなく、助け合い、そして、頑張っていきましょう!!!!





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驚愕!!! 天丼屋で見た、「ゆとり教育」の大成果???

投稿日:2010,03,15

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「ゆとり教育」はここまで成果を上げていたのか!?!??
日教組と文部科学省の共闘により、推し進められてきた「ゆとり教育」は、確実に日本を自滅させつつある。

総武線某駅傍の、有名天丼チェーン「て●◎」での実体験である。

二人で、天丼2つと御好みの「季節てんぷら」3種類を頼んだが、新人らしく、いかにも慣れない手つきで注文を入力している。
女性の若い店員さんだ。
応対は親切で一生懸命さは伝わるが、何とこの単純なオーダーを、3回も聴き直しに来た

これでは、注文通りのものは出ないだろう、と心配していると、案の定、注文の品は出てこなかった。

ここで、訂正の注文をする。

またしても、また、間違える。

持ってきた御好みてんぷらには「大根おろし」がついていない。

わざわざ、頼む。

一緒に、「先に」頼んだビールはいつまでたっても出てこない。
付け合わせのサラダも出てこない。

仕方がないから、催促する。
でも、忘れられる。

店は「けっして」混んでいない。

寧ろ、ガラガラといってもいいくらいである。

そこで、他の厨房にいる人達にも聞こえる声で、もう一度、催促してみる。

しばらくしてから、ビールがやっと出てきた。

この店で、こういう事が起きたのは初めてではない。

前回、寄った時も、二人で2つの品を注文して、2つの注文とも間違って出てきた。(泣) 


更に、食べ始めながら、不安なので請求書(レジ用明細)を見てみると、見事に間違っている。 (T_T)

流石に、その事を指摘すると、たまりかねたように店長と思しき男性がテーブルにやってきて、平謝りに謝ってくれた。
御蔭で、50円のキャベツ・サラダだけは1つサービスになった。(笑)。

ここまで何度も間違い続けたから、流石に単品注文の再度、言いなおしたものは、きちんと訂正して出てくるかと思うと、まだ間違えた。(泣)

流石に怒る気さえならず、急いでいるわけでもないので、思わず、笑ってしまった。

「ここまで、間違えるのも中々難しい。芸術レベルですね。」
と、思わず呟いてしまった…。

更に、店を出る時に代金を支払い、領収書を頼むと、先ず書こうとするボールペンからインクが出ない。
私のボールペンを渡して書いてもらうが、
先ず、私が宛名を口頭で、「“まえかぶ”CFGでお願いします」、というと、先ず、その「まえかぶ」という言葉が理解してもらえない。(ToT) 

「CFG」という単純な大文字アルファベットの名前を書き間違えた。
そういえば、前回、「“CFG”の“C”って、どっち向きでしたか?」と、両手で、輪をつくって尋ねられた。

「視力検査、やってんじゃないですよ…!? (T∇T) 」との言葉を、ぐっとのみ込み、「右の方」と答える。

続けて聞かれた「“F”はどっち向きでしたっけ?」
に、「横棒が右の方にでてるやつ」
と、必死で答える。

いやはや何とも・・・。

文科省と日教組の日本解体計画は、着々と進行していますな。

問題は、この若い店員達が、ふまじめではなく、実に真面目で誠実そうに一生懸命やっている、という点である。

つまり、「学力?」という言葉を使うのがはばかられる程だが、ようするに能力が低過ぎるのだ。

明らかに学校教育の結果だろう。

つまり、小学生の児童に、「人」という字と「入」という字の区別を強制するのは、「個性抹殺である。」というのが「ゆとり教育」である。
これから生まれた文字を「ゆとり文字」というそうだ。

つまり、CやFがどっち向いていても気にしないという事だね。
おお、ゆとり教育…。

日本、ここまで来てますか…。

(本当にこれは日本で、夢の中ではないかと思わずにはいられなかった…。)



本来、日本の底力は、ごく普通の勤労者の能力が、極めて高いという事であった。
義務教育が徹底し、国民の知力の底辺が、他の先進国に比べても、極めて高かったのである。
それが、明治以来の日本の急速な近代化や、戦後の経済成長も支えてきた。

その「日本の強さ」がこの30年間、あまりにも脆く、崩壊してきたのである。

やるべき事は、ハッキリしている!

基礎レベルの教育を、義務教育でシッカリ1人1人に身につけさせることである。

早く、昔のまともな教育を取り戻さなければならない。




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「遺憾」とは、これ如何(いかん)?

投稿日:2010,03,08

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 日本の政治家独特の用語に、「遺憾に思う」というのがある。

 例えば、北教組の違法政治献金問題が明らかになり、渦中の小林千代美議員が、「遺憾に思います」と、記者の質問に答えている。

 鳩山首相も又、この問題に関して、「遺憾に思う」旨の発言をしている。

ところで読者のみなさん、「遺憾」という言葉の意味を正確にご存知でしょうか?

日本で最も権威ある辞書と言われる(私はそう思っていないが…)広辞苑は、
「遺憾」を以下のように定義しています。


【遺憾: 思い通りにいかず心残りなこと。残念。気の毒。】


また、講談社の日本語大辞典によれば、以下のようになっています。
【遺憾: 1.心残り、残念。 用例「遺憾に思う」
     2.気の毒。    用例「事故の責任者として、遺憾の意を表する」】

           
 つまり、北教組の違法事件に関して、小林議員も、鳩山首相も
「思い通りにいかず、残念です」
と、言っているに過ぎないのです。

ここには、謝罪や反省の意味は全く含まれていないのですね。

小林議員からいえば恐らく、「不正行為を隠ぺいして巧い事やるつもりだったが、思い通りにいかず、誠に残念です」
と、言っているに等しいわけです。

詭弁を用いるならば、「公明な選挙をやるつもりだったが、思い通りにいかず、逮捕者までだして、誠に残念です。」
という意味だと、強弁出来ない事もない。

ここまで来ると、詭弁術ですな。(笑)


もう一つの可能性は、講談社の日本語大辞典の第2の方の意味ですね。
そうすると、小林議員が言っているのは、恐らく
「(逮捕された仲間が)気の毒です。」
という意味になるのでしょうね。

 あるいは、最大限、好意的に解釈すれば、
「(国民が)気の毒だ」(笑)という意味にならないこともない。w

いずれにしろ、反省と国民に対する謝罪の意味は全くないと解するのが、正しい日本語の解釈でしょう。

自民党の政治家も、大昔から、何か不祥事が起こると、「遺憾、遺憾」を繰り返してきました。

誠に国民を愚弄にした言い草ではありませんか?

彼らは単に、「思い通りにいかず、残念だ」と言い続けていたわけです。

私は、こういった状況を、「遺憾」とは思いません。

日本の政治家から、遺憾という言葉を追放すべきですね!

反省は反省、謝罪は謝罪と明言すべきです。
大体、言葉の意味も知らずに、しゃべる政治家が多すぎます。

たまには、辞書くらい、ひいたらどでしょうね…。



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 特に一昨日に、サイバーテロについての発言後、世界から、膨大なメールが受信され続け、あっという間に、一般の連絡メールとの仕分け作業が必要な状態となっております。
巧く対応していきたいと思っておりますので、宜しくお願い致します。

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アメリカに大統領はいない―アバターとしてのオバマ大統領

投稿日:2010,01,18


オバマ大統領は、アメリカの歴代大統領の中でも、極めて「軽い」大統領である。

obama-mug.jpg

オバマの映像を見る度に、彼のスピーチを聴く度に、彼が如何に「軽量級」であるかを実感してきた。

しかし、彼は単に軽い大統領なのではない、という事にはたと気がついた。

今や、アメリカに本当の大統領はいないのである。
オバマは、「大統領のスポークスマン(広報官)」に過ぎない。
つまり、大統領スポークスマンが、大統領の代行、もしくは代理をしているのが現在のアメリカ政治の実情なのである。

つまり、ホワイトハウスに真の主人公は存在していないのだ。
このような視点から見た時に初めて、オバマ政権というものの本質がよく見えてきた。

共産主義政権風に言うならば、現在のホワイトハウスは「集団指導体制」である。
その集団指導体制の中で、表に出てスポークスマンの役割を果たしているのが、バラク・フセイン・オバマ・ジュニア氏である。
ひとえに、演説の巧みさにより、彼はこのスポークスマン役を割り当てられたに過ぎない。

如何なる政権と言えども、近年はみな、チーム体制であり、ホワイトハウスの機能が役割分担によって成立してきた事は確かである。
レーガン政権は即ち、レーガン・チームの事であったし、ブッシュ・ジュニア政権は、ブッシュ・ジュニア・チームによって支えられていた。
それが今回は、オバマ・チームになっただけ、と考えるとそれは誤りである。

レーガン・チームにおいては、レーガンの存在価値は圧倒的であった。
やはり、彼の思想と人格がモノを言っていた。
比較的軽量政権であったブッシュ・ジュニア政権ですら、重要な最終判断は、大統領自身が行っていたし、大統領個人が最終的な政策決定者であるという実感を国民もまた持っていた。

しかし、オバマ政権はこれとは全く異なる。

大事な政策は、全て集団指導体制により決定され、オバマはそのメッセージを国民に伝える伝達役に過ぎない。
彼は「大統領」の役職を演じている人物に過ぎないのである。

アバターという映画が大ヒットしているが、アバターとは、「化身」という意味である。
本物が存在し、それに対する偽物、代理としてのAVATARが存在する。
NET上では、既に電子上のアイコンとしての「アバター」という用語が使われて久しい。
また、最新のアメリカ映画のタイトルに、「サロゲート」というのがある。(日本では1月22日公開)

surrogate.jpg
このサロゲート(surrogate)というのは、「代理人」という意味である。

インターネットの世界は、アバターであり、サロゲートの時代なのであろう。
映画でいえば、「マトリックス」以来、現実の世界よりも、バーチャル・リアリズムの世界が優位にあるという倒錯した世界観がしばしばテーマになってきている。
インターネット社会が現実から引き離された仮想空間を創っている事への人間の恐怖感の表れであろう。

この点でも、オバマ大統領は初代のインターネット大統領であり、アバター大統領なのでもある。

英語のアクティング・Actingという言葉には、主に2つの意味がある。
「俳優として、ある役を演ずる」という意味(だから俳優の事をActor、Actoressという)と、
「代理役を務める」という意味である。

どちらの場合も、自分が本来そうではないものの役割を演ずるという意味である。

オバマ氏は、「大統領の役を演じている」、そして「大統領の代理役を務めている」人物に他ならない。

彼が、重大な争点の最終的な決断者でない事は確かである。



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【イベント・講演会等のお知らせ】

1) 2010年1月20日 藤井厳喜・単独講演

  第423回 正論を聞く集い 「東アジア大乱の年」
 アジア無制限戦争・最前線!そして最新のアジア情勢について詳しく語ります。

  日時 : 平成22年1月20日(水) 18時30分?20時30分
  場所 : 大手町サンケイプラザ 3階
地下鉄東京メトロ・都営各線「大手町」駅下車 A4・E1出口直結
  登壇 : 藤井厳喜(国際問題アナリスト)
  参加費: 一般 1,500円 学生 1,000円
  主催:  正論の会 TEL 03-3505-6585


2) 2010年1月31日 CFG主催・第3回シンポジウム 【新春特別企画―完全無料】
  「2010年・政治経済展望 ―政局最前線から、今後の経済予想まで」

  日時: 平成22年1月31日午後から、配信開始
  場所:
 (今回は、行事が多数続く為、特別にインターネットでの完全公開スタイルと、変更させて頂きました)
 詳細は、1月31日の本ブログ http://www.gemki-fujii.com/blog/ をご覧ください。
 映像と共に、完全フォローアップを予定しております。
  登壇: 藤井厳喜(国際問題アナリスト・CFG代表)
      山村明義(ジャーナリスト・CFGアソシエイツ)

 配信元のYouTubeアドレスは、
★ 【 Cambridge Forcust Group of Japan.Co 藤井厳喜チャンネル】
   http://www.youtube.com/user/zingrace1213 (登録自由)
 より、全篇、完全公開

 一人でも多くの方に、確実に知って頂きたい重要なメッセージを配信したい為、 今回は新春特別企画と致しまして、全篇完全無料で、公開させて頂くスタイルを取らさせて頂きます。
 是非、一人でも多くの方に、このNET上でのイベントと、その内容について、拡散ください。

 参考: 前回の様子(イメージ映像)
◎ CFG第2回シンポジウム「アジア無制限戦争2.0!情報戦争最前線」御報告[桜H21/12/11]
 http://www.youtube.com/watch?v=9o2Q9BUauCU










映画評論「アバター」AVATAR (1) 内容篇-ストーリー分析

投稿日:2009,12,29


12月のクリスマス・シーズンに向けて公開された人気映画「アバター」Avatar を観る。




ストーリーは単純。
22世紀の地球、某惑星に算出する貴重な鉱物資源“アンオブタニウム”を採掘する為に人類が進出。
ところがこの星には、「未開」の人類に似た知的生物が住んでおり、この“ナヴィ”と呼ぶ「未開土人」を追放しない限り、この資源開発は難しい。
 そこで主人公のアメリカ人男性(元海兵隊員)は「未開土人=宇宙人“ナヴィ”」と地球人のDNAを遺伝子操作によって合成し、作り出されたハイブリッドの肉体「アバター」を与えられ、彼らの内情を探る為に潜入する。

しかし、主人公には自然破壊と住民殺害の下に行われる資源開発に反対するようになり、最後は先住民(宇宙人)“ナヴィ”の反乱軍のリーダーとして、開発企業の軍隊を打ち破り、人類を惑星から追放するというシナリオである。

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全体はSF仕立てだが、映画の内包するメタファーを指摘する事は簡単だ。

宇宙人=未開人=低開発の原住民=前近代=エコロジーの体現者=善

開発業者=先進国の多国籍企業=近代=エコロジーの破壊者=悪

 こうとらえると、この映画の構造とメッセージは極めて単純である。
つまり、「資源を開発する拝金主義者よりも、大自然と供に生きる原住民の方が素晴らしい」という事だ。
 例えて言えば、アメリカン・インディアンが、西洋白人の北米大陸開発(=侵略=植民)を防いでしまう、というような話である。

単純な「勧善懲悪」と善悪二元の映画でもある。

 現実には多国籍企業と、それと組んだ原住民の一部が勝利する事が多いのであろう。

 こういった「開発vs土着」の対立は、様々な文明の様々な局面で繰り返されてきた。
我々が眼前にしている減少だけが全てではないのである。


 私は自分を「縄文人」の生き残りのように感じているが、「弥生vs縄文」の文明間の闘いも、今述べたような文脈で考える事が出来るだろう。

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弥生文明に亡ぼされた縄文人の生き残りが、今も日本列島には生息し続けているのである。

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 注目すべきは、この映画では、「低開発国の土着文化」が「大自然と調和して生きるエコロジーの生活」として、肯定的に捉えられている点である。



アメリカ映画の「第三世界(低開発諸国)観」は過去30年間で大きく変化し、肯定的なものになってきている。

 1979年公開の「エイリアン」では、第三世界は、宇宙を地球を侵略する、残虐で奇怪な怪獣として描かれていた。
(私見では、エイリアンはホメイニ革命を象徴している。)

 インディー・ジョーンズ・シリーズでも、第三世界は、暗黒の存在であり、啓蒙されるべき存在である。
ジョーンズ博士こそが輝かしき「ミスター近代」、「ミスター先進国」なのである。

 「アバター」では価値観は逆転している。
一言でいえば、アメリカと第三世界の関係は過去30年間にこれだけ変化したのである。

 かつて第三世界(低開発諸国)は、アメリカにとっては、嫌悪すべき、出来たら避けて通りたい、理解不能の、いざという時は力で制圧すべき存在だった。
それが、ともかくも共生しなければならない存在と認識されるようにはなっている。

経済的必然として、アメリカは第三世界の資源を、市場を必要としているのである。


(明日は、この映画のコンテンツ産業史、映画産業というビジネスの観点からもう少し述べてみたいと思う。)

海外出張期間、私への連絡が、取りにくい事になりますが、以下のアドレスにご連絡を頂ければ、必ず情報はチェックしておりますので、宜しくお願い申し上げます。

ケンブリッジ・フォーキャスト・グループ事務局e-mail : info.cfg.future@gmail.com









いかにも危うい日本 ― 太平洋を隔て今、想う

投稿日:2009,12,28


久しぶりで太平洋を隔てて日本を見てると、いかにも日本の危(あや)うさがよく見えてくる。
2008年9月以来、世界経済は構造不況に入っている。
どの国も、どの企業も、どの個人も生き延びることに必死である。
はっきり言えば、国家レベルでは、他国を犠牲にしても自国が生き延び、繁栄することが当然の国家目標である。
どの国の国家指導者も皆そう考えている。

それは何も、昨日、今日、始まったことではない。
国家というものが、地上に誕生して以来、繰り返されてきた歴史である。
「友愛外交」は即ち「亡国外交」に他ならない。


最近の嬉しいニュ―スは、コペンハーゲンでCOP15が失敗したことだ。
シナを筆類に低開発国が反対して「合意」を潰してくれたのは、有難いことだった。
日本はとんでもない自縄自縛に陥るところだった。
こういう時は、シナに悪役を演じてもらうに限る。
日本は全く他力本願の好運で、大失敗を回避できたわけである。
しかし、こういう好運は何度も期待できるものではない。


どの国も、鎧に身を個め、兜(かぶと)の緒を引き締めて苦難の時に向かっている。
日本は普段着の丸腰で、鉄砲玉の飛び交う戦場に出てゆこうとしている。

しかも国内を見れば、売国を政策の基本とする政党が政権与党である。

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日本人の「生活第一」はどこへいったのだ?。

民主党の小沢一郎幹事長は、憲法の基本である「天皇に関する条文」さえ理解していない無知無学の徒で、しかも権力欲だけは旺盛である。
亡国の条件は、真に見事に揃ったという可きであろう。

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 日本を離れて、より見えてくる事がある。
感じられる事がある。

 それらをまた発信したいと思う。



 日本では本日、『反日マスコミの真実2010 ―日本を壊す、言論統制と情報封殺システム―(OAK MOOK 327 撃論ムック) (単行本) 』が届いたという、連絡がありました。
早速、見た人達から「非常に充実した特集である」という声を聞き、楽しみにしています。
私も、書いておりますので、是非、『NHK捏造事件と無制限戦争の時代』と合わせて御覧ください。






『イチローと村上春樹は、いつビートルズを聴いたのか―サブカルチャーから見た戦後日本』

投稿日:2009,12,09

同世代の二人が語る、軽妙洒脱な戦後文化論である。

西村幸祐さんが、昭和27年生まれで、杉原さんが昭和26年生まれ。
私は昭和27年生まれであり、全くの同世代なので、共感する部分も多く、本書は一気に読み終わってしまった。

特に、昭和26、7年プラスマイナス5年に産まれた人々には、お薦めしたい好著である。

私は、村上春喜は全く読んでいないし、小説全般に興味が無いので、その部分はやや迂遠に感じた。
しかし、様々な文化現象を同時代に体験しているので、二人の論の展開が、クラス会での会話のように面白くまた、懐かしいものに感じられた。

ただ、二人とも文化現象を見るに際しての冷徹な眼力があり、POPカルチャーを論じても、単なる時の風俗論や思い出話に流されない内容がある。
例えば、アメリカの音楽が世界的に流行るのは、アメリカの軍事力・経済力が強大であるからで、ヒッピー文化の「ラブ&ピース」と言えどもその例外ではない、と論じるあたりなど、中々に硬派の議論である。
杉原さんは、グローバルに売れる大衆文化になる為には、とにかく先ずアメリカで受容されなければ不可能である、と力説している。
冷徹なレアリズムである。

一つだけ、体験的な話題に触れるとすれば、ビートルズの日本公演の記憶があげられる。
ビートルズの日本公演をどのように受け止めたか、という事はおそらく我々の世代のものには一つの大きなメルクマールになるはずである。

西村さんも杉原さんもそれぞれに、ビートルズに憧れ、興奮してその来日を歓迎したようだ。
私は、全く逆で、ビートルズの如き、軽佻浮薄な音楽グループは、日本などに来て欲しくない、と只管に忌み嫌っていた記憶がある。
当時、フランスは、予想される過度の混乱を嫌って、ビートルズの来演を拒否した事がある。
当時のうるさ型の評論家である小濱利得氏と細川隆元氏は、二人の出演する日曜日・朝の『時事放談』で、ビートルズの来日など、拒否すべきではないか、と憎まれ口を聞いて若い人から散々に嫌われていた。
『時事放談』のファンであった私は、この二人のご老人の意見に全く同感であった。

同世代と言っても、これほどに立場や感受性は違っていたわけである。
しかし、ビートルズ来日にどのように反応したかは、その人のその後の人生にもある一定の影響を与える出来事であったに違いない。

ちなみに、私は八年間のアメリカ留学時代にカセット・テープで持って行った古典落語や、廣澤虎造の浪曲や、三波春夫の長編歌謡浪曲を只管、聞きまくっていた。



それが私の大衆文化的感受性の根幹の一部を成している事は確かである。

この本、『イチローと村上春樹は、いつビートルズを聴いたのか――サブカルチャーから見た戦後日本』を読んで、西村幸祐さんと文化的現象についての、そして体験談についての対談をしたくなった。

やがて、機会を見て是非実現をさせたいと思っている。

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ちなみに、この本の表紙は、青一色で、こんなにユニークでオシャレな本の装丁を見たのは初めてである。













「結婚詐欺殺人事件」と無制限戦争2.0(2)―無制限戦争の2重構造

投稿日:2009,11,05


「木嶋佳苗・結婚詐欺事件」を無制限戦争という視点から分析すると、そこには情報操作を中心とする無制限戦争の2重構造が浮かび上がってくる。

第一は、無責任なマスメディアと利益至上主義の企業が、消費者一般に向けて展開している「無制限戦争的情報操作」である。

木嶋佳苗は(90年代前半までのトレンディ・ドラマの世界観や女性FASHION雑誌を中心とする)メディアを中心とする幻想のセレブ生活を現実と勘違いしてしまった人間なのである。
この点においては、彼女は無制限戦争を仕掛けられる側であり、情報戦争の犠牲者であったとも言える。

このシリーズの第1回目でも指摘したように、確かに彼女の「Tokyo」に対する勘違い幻想は決定的なものであった

彼女の高校の卒業文集を見ればそれは明らかである。
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特に、「やっぱりTokyoはすごいと思う。ありとあらゆる楽しみがいたるところに散りばめられている。
いろんな情報をしっかりキャッチして、自分が楽しめる方法を楽しめる方法を見つけられたなら、Tokyoは、いつもドキドキ興奮し続けられる街。
という言葉に注目したい。

地方からの若い上京者が東京に抱く典型的な幻想がここにある。


第二の無制限戦争は、木嶋佳苗が結婚願望を抱く男たちに仕掛けた「詐欺師としての無制限戦争」である。
ここでも詐欺師の本性から言って、全てはカネを巻き上げる為の「情報操作」であった。

彼女は情報操作によって、与えられた幻想を現実にする為に制限のない情報操作によって、その目的を完遂しようとしたのである。
そして彼女の言葉でいうならば、「いろんな情報をしっかりキャッチして、自分が楽しめる方法」とは、インターネットであり、女性FASHION雑誌等のセレブ情報誌であったのだろう。

そして、自分が楽しめる方法の為には、厖大な金銭が必要であり、「それを確保する方法」が結婚詐欺だったのであろう。

それにしても、ここ数年、不景気で、消費が息詰まる中、一貫して女性のセレブ幻想と過剰消費を煽る為のストーリー作りが極めて巧妙に、マスメディアを通じて展開され続けて来た。


一例を取り上げよう。
例えば「お人形EYES」「りかちゃん人形のようなパッチリ目」というのがブームが人為的に造られた事があった。
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過剰なまでの初期の「マスカラ・ブーム」現象と「パッチリ目」競争現象である)
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初めの段階では、巧妙な概念操作、情報操作が行なわれる。
所謂、「パッチリ目」こそが美の基準であり、人気者や成功の必要条件であり、女性にとっての幸福の絶対条件であるというような洗脳工作が行なわれる。
それが同時期に発刊される、殆どあらゆる情報誌、各種女性雑誌で、あたかも新しい世界観のように揃って宣伝されるのである。
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それによって、多くの女性達の心理は完全にマインド・コントロールされてしまう。
一方で、「パッチリ目」をつくりだす為の美容整形やら、化粧品やら、FASHIONやらの様々な商品を提供する準備(開発等)が着々と進められている。
この場合、外国に弱い日本人の心理を利用して、アメリカ、特にハリウッドやビバリー・ヒルズでどんなオシャレが流行しているかという情報が巧みに操作される事になる。
パッチリ目でいえば、最初は新しい「マスカラ」に関わる化粧品メーカーの開発競争、エステ美容業界では「植えまつ毛」が、美容整形外科の業界や輸入業者の間では「日本国内未発売のまつげ育毛剤の新薬」、「女性ホルモン」系の薬、が盛んに宣伝され、紙面に躍る。
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そして理想のパッチリ目に変身し成功した女性の実話ストーリーが、憧れを呼ぶように派手に宣伝される。
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これでブームの仕掛けは完成し、新しい1つの「市場」が誕生する事になる。

ちなみに実際に起きたこの「パッチリ目」ブームの末路は、哀れなものであった。
実際に、「日本国内未発売のまつげ育毛剤の新薬」を大量に長期間使い続けた人達の中から、目の病気(特に緑内障)を発症するものが出現し、酷い場合は突然失明する被害者まで続出した。
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(※ 特に問題になったのは、当時、ブームでよく売れたとされるアメリカ製のJan Marini Skin Research, Inc. ジャンマリーニ・スキン・リサーチ社製造の美容液「Age Intervention Eyelash」という商品に含まれていた成分、「Bimatoprost」(ビマトプロスト)は、緑内障の眼圧を下げる治療薬として使われている成分であるが、視神経を侵し、失明に到る可能性があるものであった。

しかし、マスコミ(特に地上波)はこの被害状況を殆ど取り上げなかった。
特にブームを煽っていたメディアは社会的責任を放棄し、この事を全く報道せずに完全に無視を続けた。

本来、テレビのワイドショーなどには格好のネタのはずであるが、全くワイドショーが取上げる事は無かった。(私の知る限り)
一部の週刊誌が少し報道した事はあっただけのように記憶している。
(それ以降、数としては関係同業種の別の商品の広告が、より安全性PRをした広告の方を「差別化」のように盛んに載せられるようになり、現在に至っている。)

常識的に言えば、これらの被害状況をマスコミが正確に報道すれば、この異常なパッチリ目ブームは終焉に向かうはずである。

ところが現実には、そうはならなかったし、未だにそうなってはいない。
一度、確立された市場は、これらの被害を無視しながら、形を若干変えながらも存続し続けているのである。

ということは、恐らくコンスタントに新しい被害者を生み続けているはずである。

マスメディアは何故、被害の実態を報道しないのか?
答えは簡単であり、マスメディアもまた、この市場の恩恵に預かっているからである。
市場の広告主の声が有力である限り、マスメディアは絶対にこの事を公には報道しない。

男性がこういった愚かな市場の外にいると思ったら大間違いである。
男性向け美容の第一の市場は、育毛市場である。
次にバイアグラに代表されるような、合法的な性的興奮剤があげられる。

「無制限戦争2.0」の時代である現代においては、消費者は情報操作により、無理に無理を重ねて過剰消費を強いられるが、この「過剰消費」が健康を促進するどころか、寧ろ自らの健康や安全を破壊する結果となるのである。
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まことにバカバカしいという他はないが、無制限戦争的にマインド・コントロールされた者にとっては、これ以外の選択肢はないように思えてしまうのである。

次回は、無制限戦争的、過剰消費が健康を害するのみならず、人生そのものを破壊する場合が往々にしてある事を指摘したいと思う。





オバマを笑い飛ばすアメリカの草の根保守、そして日本は?

投稿日:2009,10,12

日本のマスコミを見ていると、全く分からない事だが、アメリカの真っ当な愛国者の多くは、オバマ政権のいい加減さにへきへきしているし、オバマのノーベル平和賞受賞には口を開いてモノも言えないといった人達が多い。
口を閉じて何も言わないのでは抗議にはならないので、アメリカの信念ある愛国者達は、ユーモアとウィットを込めたオバマへの批判を様々な形でインターネット上に展開している。

実に皆さん、芸達者でエンターテイメントとしても一流のものが多い。
今日は、その内のいくつかを紹介したい。

いずれもアメリカで大人気であり、話題のYouTube映像である。

第一は、ティム・ホーキンス(Tim Hawkins) の『 The Government Can 』という作品である。
元歌は日本ではサミー・デイビス・ジュニアの歌で、広く知られている『キャンディー・マン(キャンディー売り)』である。
オバマのばら撒き政策と、政府万能主義をからかい、おちょくった、実に楽しい、しかしその内容はシリアスな作品である。


Tim Hawkins - The Government Can 



先ず、出だしが面白い!
「ただで大学へ行きたいかい? エネルギー!? 住宅ローン? み-んな♪君にあげるよ♪ 
君の欲しいものは、何でもあげるよ-!♪ 
それは政府が全部、出来るんだ♪」
という何とも皮肉の利いたメッセージである。

しかし、同じような話は「日本の民主党」からも、聴こえてくる。
「大きな政府が全てを解決してくれる」そうである。
しかし、政府のお金はどこから来るのかなぁ?

それは税金しかない。
つまり!我々が働いて収める税金しか、政府の収入源はないのである。

よく考えてみれば、「大きな政府」とは「重い税金の事」ではないのかなぁ?
、という事に思い当たる。

こんな当たり前の真実を、如何にもアメリカ人らしいウィットに込めて、歌っているのが、この曲である。

思わず、一緒に口づさんでしまう程の、ホーキンスの歌の巧さである。
何とも、日本の民主党から選挙期間中に散々聴かされた「楽しい夢物語のようなお花畑選挙演説」に瓜二つの世界である。


今、アメリカでは、『キャンディー・マン』のメロディーに合わせて、オバマ大統領をからかう、そしてユーモラスに批判する類の替え歌の様々なバージョンが大人気の様である。

「オバマ・キャンディー・マン♪」の別のバージョンも紹介しておこう。

BOB&TOM TV: "Obama Man" by Greg Morton 
 

此方の方は、もうチョット、毒の少ない風刺という感じである。
でも、出だしが面白いなぁー。

今度はこんなセリフから始まる。
「やぁーみんなー!、
AIG♪、バンク・オブ・アメリカ♪、シティー・グループ♪、ファースト・ナショナル、ローンスター♪ (←みんな大手金融機関の名前)、
どれだけ欲しいんだい!? 10億ドル? 20億ドル? 30億ドル?
僕は君達のキャンディー・マンさぁ---♪(笑)」

というのである。

途中でこんなセリフもある。
「明日の収入を今日使うのは、それは“オバマ・マン”さぁ-♪」というのである。
“オバマ・マン”とは、日本語でいえば、「オバマ派」、もしくは「オバマ支持者」という程の意味である。


次に紹介するのは、アメリカ独立革命の英雄、トマス・ペインに扮した名優が、オバマ現大統領に語りかける言葉である。

アメリカ建国の原点から如何に今日のアメリカの政権が偏向してしまったかを、トマス・ペインに扮した名優が、迫真の演技で語りかける。

彼は言う、
「建国の父達は、墓の中で安眠も出来ずに、寝がえりをうって苦しんでいる事でしょう。」
「我々は今や、アメリカの終焉に直面しています。」
「議会や官僚制が、アメリカなのではなく、アメリカとは自分たち自身なのである」というアメリカの愛国者の力強い原点から肺腑を貫く熱情の言葉が溢れてきます。
正直言って、私は、この演説を繰り返し聴き、思わず、瞼が熱くなってくるのを抑える事が出来なかった。

アメリカ人の気質を知るものならば、この演説が如何に、名演説であるかを直ちに了解する事が出来るであろう。
そして、このトマス・ペイン役を最も勇敢に演じきった役者が、ロナルド・レーガン大統領であったとも言いうるであろう。


Open Letter to President Obama 



この「トマス・ペイン」がいう、「アメリカ建国の父達」という言葉は、明治維新を成し遂げた志士達の事だともいえるであろうが、私には寧ろ、「靖国神社に眠る英霊」と言い換えた方が現代の日本人には、より胸に迫るものがあると思う。

靖国神社の英霊達に向かって、恥ずかしくない日本を創るという事こそ、我々の至上の使命であると思う。
また、その事を思えば、あらゆる政治的問題に対する答えは自然に我々に与えられると思う。
そのような想いで、この映像を見ると、感動はひとしおである。

世界中の愛国者の語る言葉は、8割、9割、一致しているし、特に文明国においては、それは一層、正しい真実である。
リベラルなメディアの謀略に対抗する為には、世界中のそれぞれの国の愛国者や保守主義者が直接に理解し合い、出来得る限り団結する事が必要であると確信する。
私はそのような確信の下に、日米保守会議を創り、若干の活動を行なってきたのである。

ところで、この映像の名演説の最後の言葉がまた、素晴らしい! 
「Simplify, Mr. President. …Simplify! 」

 この言葉をシンプルな日本語に置き換える事は至難の業だ。
何と言ったらよいのだろうか…。
「一番、大事な事をやりなさい。一番大事なことだけを…!」と、でも訳せるだろうか。

「ごちゃごちゃした理屈っぽい、議論は止めて、アメリカ建国の原点に返ってくれ、そうすれば答えは簡単に見つかるはず」
そういうメッセージであると思う。

アメリカ民主党の言動は、日本の民主党のそれと、極めて類似している。
この演説を我々自身の問題として、受け止めてみたいと思う。

政府に全ての問題の解決を求めるのはナンセンスだ。
何故なら、政府とは、我々が創り上げる、我々が構成する、一機関に過ぎないからである。
官僚に任せるのではなく、政治家に任せるのでもなく、全ては我々自身が自らの手で解決しなければならないのだ。

政府とは、我々自身の事である。
政府に任せるという考え方には常に、欺瞞が付きまとう。
人に任せるのではなく、我々自身の問題は、我々自身が解決しなければならないのだ。

現在の日本の政治には、このような自立の思想が甚だ希薄になっている。
自民党も民主党も「自分たちに任せてくれれば問題がマジックのように解決する」と主張している。
しかし、これは欺瞞と偽善以外の何物でもないだろう。

政府の使う予算は我々が税金として納めるものであり、政府が雇う官僚は、我々と同じ国民の一員である。
我々は政府に頼る事は出来ないのだ。
「政府に頼る」とは実は、我々が我々自身に頼るという事である。
それは、自らの問題は自らが解決するという事に他ならない。

政府やお役所という何か天下り的な第3者が我々を苦労なしに救ってくれるという事は有り得ないのである。
こんな当たり前の真理を、これらのアメリカの愛国者達のYouTube映像は、我々に覚醒させてくれるのである。

アメリカのオバマ民主党の言う事と、日本の鳩山民主党の主張するところは、極めて似ている。
しかし、その欺瞞や偽善に誤魔化されてはならない。

我々自身の問題は、政党でも官僚でもなく、我々自身の手によって解決していかなければならないのである。
また、特殊な利益団体や圧力団体が、民意とは全く逆の政権を組織しうる危険性もある。
選挙を通じたからと言って、常に民意が叶う政権が実現する訳ではない。

この事に我々は、十分に注意しなければならない。

国民の大部分は、福島瑞穂社民党党首を、大臣にしようと思って投票した訳ではない。
しかし、今や彼女は少子化・消費者担当大臣に祭り上げられている。

政党とマスコミの癒着は、民意が素直に政治に反映される事を拒んでいる。
日本でも、アメリカでも、この事実に変わりは無いと言える。








『古代ローマ帝国の遺産』展に想う

投稿日:2009,10,09


今日は、午後から上野の国立西洋美術館で催されている『古代ローマ帝国の遺産―栄光の都ローマと悲劇の街ポンペイ』を観に行ってきた。
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個々の美術品の感想はさておくとして、何よりも感じたのは、ローマが偉大な俗物の帝国であるという事であった。
美術や学問の独創性においては、遠く古典ギリシアには及ばなかったが、彼らは巨大な土木工事を行ない、壮麗な都市を建設し、普遍性のある法令による壮大な帝国統治システムを創り上げた。

当時のポンペイの住居がコンピュータ・グラフィックで再現されていたが、今日の我々の水準から見ても、実に羨むべき物質的快適さが保障された家屋である事に感嘆せざるを得なかった。
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VR映像はここのページでも見られます⇒ http://roma2009.jp/highlight/chapter6.html
(ここで寝椅子に横になって、葡萄酒でも呑みたかったなぁ…。)

私は酒好きなので特に酒器の精巧なものに目を奪われた。
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当時のローマ市民は極めて高いレベルの物質的生活を享受し、それは恐らくは20世紀におけるアメリカ文明の物質的繁栄にも匹敵するものだったのではないだろうか?


現在、この時点で古代ローマ帝国の遺産を見ると、どうしてもローマ帝国とアメリカの間のアナロジーに想いを致さざるを得ない。
アメリカは間違いなく現代のローマ帝国なのであろう。
そして、そのアメリカ帝国が現在、衰退に向かいつつある事は確かである。

ローマ帝国の衰退、そしてかつての大英帝国の崩壊と比較する事により、今日のアメリカ帝国がどのように衰退してゆくかは、ほぼ想像する事が出来ると思う。
今日のアメリカにおいては、生産力の衰退にも関わらず、過度の消費が続き、これが帝国衰退の最大の原因となっている。
経済の衰退は当然、軍事力の弱小化をももたらす。
アメリカは最早、世界の警察官たる事に耐えきれなくなっている。
また、経済と軍事の衰退の更に根本的な原因となっているのは何よりも、アメリカ人の精神的価値の崩壊であろう。
アメリカを創り上げた強烈なピューリタン的精神は物質主義とあまりにも多様な移民の流入によって失われつつある、としか言いようがない。

ローマ帝国の崩壊と比較しつつ、今日のアメリカの衰退現象を見ると、オバマ大統領の位置づけもおのずと世情言われているのとは変ったものに見えてくる。
アメリカの上流階級がその指導性を失い、いわばどこの馬の骨ともしれない人間が大統領になったわけである。
これは黒人解放という点では前向きに評価される事であるが、多面からすればアメリカをリードすべきエスタブリッシュメントの衰退をも意味するのであろう。


 ローマは栄華を誇り、やがて衰退し、崩壊していった。
東ローマ帝国は長く持続はしたが、その文明は停滞したままだった。
滅んだ西ローマ帝国からはやがてヨーロッパの近代国家が産まれてゆくが、それには何百年もの長いプロセスが必要であった。

ローマは滅びても、その周辺にローマに匹敵するような、あるいはそれを凌駕するような大帝国が存在していた訳ではない。
ローマ帝国は崩壊はしたが、そこから中世のヨーロッパがスタートし、長い目で見ればヨーロッパ発展の基礎を築いた事になる。

しかし、アメリカの衰退はこれとは全く異なる国際的文脈の中で起ころうとしている。
アメリカに対抗する勢力には、EUのみならず、ロシアやシナといった、全く異質の帝国も存在する。
特にシナの帝国主義は最も野蛮な性質を備えており、これが拡大するならば、ヨーロッパ近代の人権や自由やデモクラシーといった政治的価値は全て否定されてしまうであろう。
つまり、アメリカ帝国の崩壊の後に来るのは、異なる文明圏の群雄割拠的な混乱の時代であり、特にシナ帝国の膨張主義はアジアにとって極めて危険な要素である。

  日本は、1つの独立した文明圏としての自覚を持ち、この現代のローマ帝国とも言うべきアメリカ帝国の衰退に如何に対処してゆくべきなのか?

単に国家戦略的なレベルのみならず、文明論的な視野からこれを考え、実行しなければならないだろう。


 本日観た彫刻の中で一番面白かったのは、『豹を抱くディオニュソス』であった。 これは、この展覧会のポスターにも使われている秀逸な作品である。
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豹の子供を抱いているというが、これがイタチかテンを抱いているように見える。
何やら不思議な彫像であり、怪しげな美しさを感じさせる。



今日の一句

何を抱く 上野の秋の ディオニソス 
            厳喜 






パウル・クレーと縄文的感性

投稿日:2009,10,05

 私の好きな画科の一人に、パウル・クレー(Paul Klee(1879-1940))がいる。
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クレーの抽象画を見ていると、私の中の縄文的感性が揺り動かされて、何か不思議な、また優しい気持ちになる。

 クレーの絵画は、ヨーロッパ的伝統の中では、謂わば絵画自体の崩壊した最後の到達点のような存在であると思う。
ヨーロッパのあらゆる絵画的技法が試され、その後に到達した極北の地点のような芸術である。
ヨーロッパの中の美的感性と論理が自己展開し、完成され、最後に自己崩壊してしまったようなその崩壊の形であるような、芸術とも言える。

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(※私の好きな絵 『子供の半身像』(1933))

恐らくは、クレーに与えた影響ということであれば、ヨーロッパから見えた近代以前のもの、すなわちアルタミラの洞窟の壁画やアフリカ黒人の原初的な芸術のようなものが考えられる。
しかし、私にはクレーの中にある根源的なもの、それは別の言葉でいえば「キリスト教以前のもの」更に言えば、「古典ギリシャ以前のもの」は、日本の縄文時代の感性に極めて近いもののように思われる。
縄文時代の巨石文化と極めて類似したものが、ヨーロッパのストーン・サークルのようなものに発見されるのは誰もが容易に気がつく事だ。
我々は、ヨーロッパの近代の華やかさに幻惑されて、キリスト教以前のようなあるいは、古典ギリシャ以前のようなヨーロッパの土着文化の香りに想いを致す事があまりに少ない。


しかし、例えばクレーの、『死と炎』『インスラ・ドュルカマラ』を見ると、私にはそれが縄文以外のものにはとても見えないのである。
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 (『死と炎』Tod und Feuer (1940) )

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 (『インスラ・ドュルカマラ』Insula Dulcamra (1938) )

また、クレーの「天使の絵」シリーズなどは、江戸中期の福岡の仙崖和尚の一筆書きの絵『お月さまいくつ』『猫の恋図』の世界観にも極めて似ているように感じられる。
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 (『お月さまいくつ、十八、七つ』 ※ 仙厓義梵(せんがいぎぼん)江戸時代後期の臨済宗妙心寺派の禅僧の作)
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 (『猫の恋図』) 


 萩散るや クレー、仙厓 呑むあたり   厳喜

 私の好きな二人の画家が、萩の散る野辺で酒を酌み交わしているという風景である。
クレーが酒をたしなんだかどうかは知らないが、仙厓は随分といけそうな口である。
どんなに楽しい会話が交わされることだろうか?

いや、そこに画帳の一冊も置いておけば、どんなにか面白い絵画の対話が成立していただろうか。
こんなことを考えるのが、私の楽園である。


日本で人気のあるクレーの数ある「天使の絵」にしても、私には縄文的感性の表現のように思われる。
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恐らくクレーの絵が非常に日本で人気のある理由はここにあるのであろう。

クレーは恐らくはあらゆる近代的絵画の思想と哲学と手法を吟味し、子猫のようにスルリと通り抜け、人間の「描く」という衝動の最も原初的な体験に出会ったのであろう。
それは意外に普遍的で所謂、民族の固有の文化や、文明圏の違いさえも超越しうる程に深い行為だったのではないか。

歴史家トインビーは、伊勢神宮をおとずれた時に、あらゆる宗教の底に存在する普遍性を私はここで感じる、と述べたが、クレーの絵を見ていると、あらゆる絵画の根底に存在するであろう描くという衝動の普遍性を私は感じるように思う。

パウル・クレーは、縄文土器を見た事があったのだろうか?
観た事があったとしても、なかったとしても、それは大した問題ではない。
本当の国際的な文化交流とは、単に外国のもの珍しいものに驚くのではないのは勿論、日本人の多くの様に外国文化の優越にひれ伏す事でも勿論ない。
また、いたずらに国粋的に独自の文化を外国に押し付けものであってもよいはずではない。
国際交流とは、お互いの文化や文明の根源を掘り下げる事により、その底辺に存在する共通の地下水脈的なもの、あるいは共通項を探し出し、そこから相互理解を進めるという事であろう。

またそれは、時に、ついには相互に理解できない要素を認識するという事でもあろう。

私が国際関係の研究をする時に常に心がけている事の一つは、そのようなことでもある。







西尾幹二先生の「路の会」に出席

投稿日:2009,09,30

西尾幹二先生が主催されている「路の会」の月例会に出席。
今日の講師は異例の抜擢で、普段は幹事役の徳間書店編集部の力石定一さんがヨーロッパ美術史の一側面について話した。

力石さんは、55歳の時に、突然、ある偶然で絵画鑑賞に目がひらいたそうで、それ以来、近代西洋絵画を自分なりの解釈で、勉強してきたという。
今日のテーマは、「フランダースからイタリアへ」という事で、ベルギー、オランダの北方のルネサンス絵画が、イタリアのルネサンス絵画に与えた影響について、個人的体験も踏まえながら、大変面白い話をしてくれた。

日本人は一般的に、イタリアのルネサンスが北ヨーロッパに影響を与えたとばかり、思っているが、実は宗教改革の影響を受けた、フランダース地方がイタリアのルネサンス絵画に与えた影響も見逃せないものだという。
この点は、絵画史の素人の私には大変勉強になったが、今日の参加者の一人、美術史の専門家の田中英道先生によれば、このような知見は専門家の間では既に確立された知識なのだそうである。

しかし、美術館での個々の絵画との出会いによる感動を情熱を込めて語る、力石さんの話には、大いに心を動かされた。
それは評論というよりも、個人の美的な体験史といった話であった。

力石さんは特に、ペーター・ブリューゲルの絵画から受けた感動を、そのユニークな解釈を込めて力強く語ってくれた。
綺麗な絵画のプリントアウトされた資料を見ながらの楽しいレクチャーと質疑討論であった。

ブリューゲルの絵画は、寓意を込めたものが多く、様々な解釈が可能であり、長く見ていて飽きない。
知的な迷路にも似た、作品が多い。
特に私は、本日配られた資料の中にもあった、「死の勝利(1562)」に強く惹かれている。
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The Triumph of Death 死の勝利 1562年頃 プラド美術館

この絵は、第一次、第二次大戦はおろか、21世紀の無制限戦争の時代に到る、近代の行く末というものを既に予見したような恐ろしい終末論的な絵画である。
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そのような具合で、本日は、美術論議に花が咲いた楽しい「路の会」であった。








本日、黒門町句会(藤井厳喜の俳句教室)―「俳句の世界」と私

投稿日:2009,09,20

 今日、午後3時から5時まで、私が講師を務める俳句の勉強会を行なった。
月1回のペースで勉強を続けているが、場所は台東区の黒門町である。
地名をとって「黒門町句会」と称してもう、3年目になる。
最も、黒門町といっても、地図の上にこの名前はない。
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旧い地名で、町名変更により、「黒門町」という名前は、消えてしまっている。
分かりやすく言えば、東京の山手線の御徒町の西側あたりの町名で、現在かろうじて黒門町小学校という小学校の名前が残っている。
落語の好きな方ならば、桂文楽がこのあたりに住んでいて、「黒門町の師匠」として有名であった事を記憶しているはずだ。

俳句の勉強会と言っても、毎回の参加者はせいぜい5-6名で、会の後の呑み会が重要である、というような会ではあるが、小生の俳句に対する想いを有りの儘に語らせてもらう、小生にとっては貴重な場になっている。

昨年から、テキストは『定本 現代俳句 (角川選書) 』(角川選書292)である。
山本健吉のこの本は、明治以降の俳句の入門書としては、定評のあるものである。
この本に入る前に、一年以上費やして、江戸時代の俳句の古典を勉強した。
この2年ほどは、山本健吉の現代俳句の勉強を続けて来た。


俳句を創る人は多いが、私の不満は、多くの俳句入門者が古典を重視しないという事である。
俳句は、大衆文学であると言われる。
その意味は、俳句を読む者は、ほぼ俳句を創る者に等しいからである。
これは、小説ではあり得ない現象である。
小説を読む者の何パーセントが、果たして小説を書くであろうか?

俳句においては、俳句を読む者は、ほぼ俳句を創る者である。
「読む者」はイコール、「創る者」である、という文学は、世界でも極めて珍しいと思う。
そこに、俳句の特質がよく表れている。

俳句は、創ろうと思えば、誰でも直ぐに創る事が出来る。
そこに大きな問題がある。
少々、言葉の勘のいいものなら、見よう見まねでそこそこの俳句は出来てしまうのである。
そこに古典を軽視するという大きな落とし穴が生じる。

和歌の世界においては、古典重視の傾向はハッキリしていると思う。
しかし、俳句においては、古典をシッカリ踏まえた上で、作句するという当然のプロセスが軽視されているように思う。

そこで、私の句会では、会員が創って来た句を添削する事を二義的とし、取敢えず、会員の俳句に対する教養を高めるべく、この3年間、句の古典的な句の勉強を地味に続けて来た。
ようやく今年中にこの本の勉強が終わりそうである。

俳句と和歌の区別は、非常に重要であると思っている。
似たようでいて、全く違うのが和歌と俳句である。

私流に例えて言うならば、和歌は映画であり、俳句は写真である。

俳句は縄文的であり、和歌は弥生的である。
俳句は、男性的であり、和歌は女性的である。
最も、最近は、肉食系女子も多いというから、こういった女性達には、俳句は向いているはずである。(笑)


私の見方からすれば、俳句と和歌は、詩精神の両極端を表しているように思える。
和歌が物語性を重んじるのに対し、俳句は決断を重視する。
和歌の世界は、容易に小説の世界に繋がり得るが、俳句は自己完結し、現代詩の世界には連結しえても、小説や物語の世界とは融合し得ない。
俳句においては、何よりも決断が重視されるのである。

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良い句が詠めた時は嬉しいし、心が躍動する。
その快感を求めて、私は俳句の古典も読むし、俳句の対象になる風景をも熱心に見渡すという役割を担っている。

例え俳句を読まなくても、俳句は世界最短の定型詩であり、英語やフランス語等の世界でも、俳句に真似て詩を創ろうというものは、既に戦前から出現している。

日本を理解しようとするならば、他の国には存在しないで、日本にしか存在しないものを理解すればよい。
皇室とは、まさに日本に存在して、日本にしか存在しない数千年の歴史を持つ政治文化である。
同時に、俳句もまた、世界に類例を見ない、世界最短の定型詩である。

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もし、私と一緒に、俳句を勉強したいという方がいらっしゃるならば、お気軽にご連絡頂きたい。
FAX; 03-3650-7873    



【今日の一句】

 上野公園の大噴水を見て・・・
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『噴水の影 秋の陽(ひ)に 隕(お)ちにけり』


【最近つくって気に入っている句】

『秋の陽(ひ)や 髪止め弾け 光り落つ』
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秋日和の静寂の中に、女の金属製の髪止が突然、パチンと弾け、秋の陽に光って落ちた、というのである。
最近、創った中では、気に入っている句である。

スサマジイ勢いで文化が劣化してゆく日本列島の中で、まともな俳句を創ろうとする文学上の運動は、既に政治的なレジスタンスとすら呼び得るであろう。
崩れてゆく中で、守るべきものを守ってゆこうという、必死の抵抗に他ならない。


【私が世界に向け、日本文明を英語で紹介し発信したもの】
1/2 Gemki Fujii's Guide to JAPAN,Yesterday,Today,and Tomorrow 


2/2 Again About Myself A Little More 






国民よりレベルの低い政府?

投稿日:2009,09,16

誰が言ったかは知らないが、よく民主政治に関して聞かれる諺に、
「国民は自らのレベル以上の政府を持つ事は出来ない」というのがある。

 民主政治下の人間が、自らの政府を批判した時に、よくこの諺が一種の白けた反対意見として提出される。
所詮、自分たちが選んだ政府じゃないか?というわけである。

確かにこの諺は、誰もが否定できない真実を含んでいる。
しかし、この諺は、普通の人が思っている以外のある状況も示唆している。
どういうことか?
それは、デモクラシーにおいては、しばしば「国民は自らのレベル以下の政府をもつ」ということである。

民主党政権が国民と同じ程度に愚かな政府なのか?

それとも、国民の平均レベルよりも更に愚かな政府なのか?

この二者択一を我々はこれから見極めようとしている。


デモクラシーにおいては、最終的には大衆と呼ばれる人々が選択をするのであるが、重要なのは大衆の道徳的かつ、知的レベルばかりではなく、リーダーの道徳的かつ知的レベルである。
デモクラシーは、まさにデモクラシーであるがゆえに、リーダーシップなしには成立しない。
厳密的には、指導者の側のリーダーシップと、大衆の側のフォロワーシップの融合により、デモクラシーのレベルが決定されるのである。

大衆がそこそこのレベルにあっても、指導者たちがそのレベルよりも低いということはありうるのだ。







麻生さんから鳩山さんへの手紙

投稿日:2009,09,04

民主党代表、鳩山代表殿

拝啓、衆議院選挙における大勝利おめでとうございます。
心より民主党の躍進をお喜び申し上げます。

今後、鳩山代表が総理大臣となり、大いにリーダーシップを発揮し、日本国の発展と日本国民の幸福の為に、尽力される事を衷心より期待申し上げております。

選挙の戦いは終わり、国民の審判は既に下されました。
今後は我が自民党は野党となりますが、建設的な野党として日本国の発展に貢献してゆきたいと思います。

また、私個人も一衆議院議員として、一国民として、日本国の安定と繁栄の為に、尽力してゆく所存です。

民主党政権が、国家国民の為の政策を推進されるならば、これに喜んで協力していきたいと思います。
また、そうでない時は、建設的な反対意見を提出し、政策論争で競い合ってゆきたいと思っています。

我々の間には、政策上の大きな意見の相違がありましたが、政党とはそれ自体が目的ではなく、国家の発展の為の1つの道具にすぎません。
政党の立場の違いは絶対的なものではなく、相対的なものです。
政党上の立場の違いを越えて、国家の発展、国民の幸福の為に努力する事こそ本来の政党政治の原点であると確信します。

民主党政権の新たな船出を祝福すると同時に、鳩山代表の益々のご健勝をお祈り申し上げます。

内閣総理大臣 麻生太郎



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 こんな手紙を、麻生さんが鳩山さんに送ることが出来たら、どんなに素晴らしいだろうか。

 それだけで、国民の心は明るくなるし、日本の未来に一筋の光が差してくるように思われる。
アメリカの大統領選挙では、敗者が勝者に電話をかけて勝利を祝福するのが慣例になっている。

負けた側が先ず、電話で勝った側に、祝福を伝え、その後で敗北宣言を出す。
それを受けて買った側が勝利宣言のスピーチを行なうというのが、定まった政治的慣習になっている。
儀礼的ではあるが、選挙という戦いを終えた後は、アメリカ国民は再び団結しようというメッセージが勝者と敗者の双方から発せられる訳である。
これは美しい政治的伝統であると思われる。
政権交代が頻繁に起き、しかも共和制であるので、大統領が元首となる体制である。
その元首を選挙で選ぶのだから、接戦で勝った場合、有権者の半数近くが政敵であると考える人物が元首になってしまうわけである。
そういった感情のしこりが残っていては、共和国は常に分裂してしまうから、先に言ったような政治的儀式を通過する事により、愛国心と国民の団結心を再確認するのである。
君主国に於いては、総理大臣の上に、選挙の結果とは関係なく、君主が元首として存在するから、国家の分裂の危険は共和制ほどではないにしろ、このような国家の政治的分裂を避ける政治的英知というものは、常に必要であろう。

 特に日本のように与野党の交代が頻繁に起きて来なかった政治文化においては、激しい選挙戦の後に、国民の一体感を回復する政治的な儀式がより一層必要とされるであろう。
麻生さんがもし、上記のような手紙を鳩山さんに書けば、このような相手の勝利を讃える書簡というものが日本政治の新しい慣習の1つとして定着するようになるかもしれない。
是非そのようになることを期待したい。

文中でも、述べたように、政党政治とは、所詮、国家発展の為の方法であり、手段に過ぎない。
政党が競い合うことによって、よりよい政策を実行し、国民の幸福が実現すればよいのである。

また、麻生さんがこのような手紙を書くことが出来るとすれば、それこそが自民党再生の第一歩になるに違いない。




================== 【★ 引き続き、映像の世界への拡散にご協力ください。】=================

 先日もご紹介させて頂きましたが、英語版「厳喜に訊け!」特別篇ということで、、NHKが4月5日に報道した『JAPANデビュー・アジアの一等国』の捏造報道事件について、国際放送を通じ放映された事をうけ、英語圏へのNEWS発信として、流させていただきました。
 御蔭様で、現在、YouTubeの1つのアドレスのみで、約16000人以上の方に発信する事が出来ました。御礼申し上げます。
様々な方から、反響、ご感想など、色々なご意見、激励を頂きました。
感謝しております。

が、この事はまだ引き続き伝えていかなければいけないと考えております。
今後もまだまだ多くの方に幅広く発信したいと思っておりますので、よろしくご協力お願いいたします。

Mega Class Action Against NHK. Japan's Public Broadcasting Corporation, For Human Rights Violation. [Ch-SAKURA August 22, 2009]




URL; http://www.youtube.com/watch?v=KJ-Uw4ZUnmQ 

More than ten thousand citizens are filing a lawsuit against NHK, on a Japanese public broadcasting corporation. This is the largest class action in Japan's court history. The reason is human rights violation due to fabrication. NHK fabricated a TV program on Taiwan. Many Taiwanese feel humiliated their human rights were violated. Quite a few Japanese who love Taiwan filed a lawsuit against NHK, and some Taiwanese have joined the class action. Commentator is Gemki Fujii, lecturer at Japan's National Police Academy.
Please check his own web cite also at gemki fujii com.

「厳喜に訊け!」特別版。NHK「JAPANデビュー」問題について英語で発信しました 。

※ 是非、この英語の映像が世界の、特に英語圏の方々に少しでも多く伝わるよう、ご協力、ご支援ください。

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マイケル・ジャクソンの悲劇

投稿日:2009,06,27

マイケル・ジャクソンが他界した。

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この人の業績について、云々する立場に私は無い。
しかし、感じた事の何がしかをここで述べておきたいと思う。

彼は、私の知るところ、黒人差別については強い抗議の意思を持っていたようである。
しかし、それは、彼の美意識とは根本的に矛盾していたのではないか?

彼は、黒人である自分の外見を嫌い、ひたすら白人のようになる事を望んで整形手術を繰り返していたと聞く。
彼の、美の基準は、徹底して欧米系白人の美の基準であったに違いない。
これを悲劇と呼ばずして、何を悲劇と呼ぶべきだろうか?


1960年代から、70年代にアメリカで興隆した黒人解放運動に私は100%賛同するものではない。
しかし、彼らのスローガンの中に、1つすばらしいものがあった。
それは、「ブラック・イズ・ビューティフル!」というスローガンであり、思想である。
白が美しく、黒が醜いのではない。
黒人にとっては、黒こそが美しいのである。
このように、美の基準を自らの内側に求める思想には私は大いに感動した。

ところが、マイケル・ジャクソンの悲劇は、彼は「ブラック・イズ・ビューティフル!」と叫べなかった事である。

日本文化の美の基準は、日本人の心の中にある。
西洋のクラシック・バレエの美の基準と能の舞の美の基準とは全く異なっている。
私は、日本人として、能の美の方が西洋のそれよりも普遍的により深いものであると信じているものであるが、少なくとも、表面上は、平等なものである。
西洋の白人には、彼ら独自の美の基準があり、日本人には、縄文時代以来、培ってきた我々独自の美の基準がある。

 マイケル・ジャクソンの悲劇は、自らの内なる美の基準を信じ切れなかったところにあるのではないか?

 類まれなエンターテイナーの冥福を祈る。






世界経済の裏舞台

投稿日:2009,06,26


 6月26日付のファイナンシャル・タイムス誌にアラン・グリーンスパン元FRB議長が、論文を寄稿している。

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 「今後、もし景気が回復していけば、インフレが心配になるだろう。」等という点を述べたエッセイで、いわば常識的な内容であり、特筆すべき主張は特にないと思った。

 この論文自体については、対して言及するところは無いのだが、この論文を読み、ふと思ったことがある。

 グリーンスパンにしても、ポールソン米財務長官にしても、バーナンキFRB議長にしても、昨年9月のリーマンショックのはるか以前から、世界経済の大きな問題点を察知しており、大きな破綻が来ることは彼らの本音の部分では殆ど自明のことだったはずである。

 特に世界の巨大なアングラマネーがこの金融恐慌の引き金になることは、100も承知だったはずである。
かつて、マエストロと呼ばれ、世界中から尊敬されていたグリーンスパンの評判は、地に落ちた感があるが、彼は現役のFRB議長の時から世界経済の舞台裏を十分に知り、アングラマネーの巨大化の危険性を十分に知りながら、敢えてそれに手をつけることはしなかったのである。
謂わば、善も悪も知り尽くした上で、取り敢えず自分の任期中には、破綻を起こさせないという綱渡りのマネージメントをやっていたわけである。
 今日、彼を非難する人は多いが、彼はゲームのルールを熟知した上で、精一杯自分の立場を守ろうと行動してきたに違いない。
 リーマンショックが起きた時のポールソン財務長官にしても、何しろ元ゴールドマンサックスの会長なのだから、巨大アングラマネーが引き起こした世界の金融バブルの危うさについては、十分に知っていたに違いない。

私が一番賢いと思うのは、クリントン政権の財務長官を務めたルービン氏である。
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ITバブルを招来し、アメリカの株価を上昇させて、国民を大いに喜ばせた後、最早ITバブルが限界と見るや、サッと身を引き、後任をサマーズ副長官に任せて引退してしまった。

 彼なども、世界経済の舞台裏の危うさについて、元ゴールドマンサックスの会長として、十分に知っていた人物である。


いずれにせよ、これらの大物たちは、いずれも経済が好況に沸いている時ですら、その影でアングラマネーを中心とする経済のブラックホールが、益々巨大化しているという事実にも十分気が付いていたはずである。
  裏も表も舞台の上も、舞台の裏も、十二分に知ったうえで、経済をマネージメントしようとしてきた面々である。
 ヨーロッパの第一級の指導者にしても、同様であろう。


 それに比べて、日本のエリートはどうだろうか?
政界・官界・財界のいずれを見ても、リーマンショックの前において、世界経済の裏のゲームや、そこに待ち受けている巨大なリスクについて、明確な認識をしていたものは殆どいなかったのではないか。
日銀や、財務省のトップレベルも、アングラマネーの巨大化が引き起こした金融バブルの巨大化とその危険に対してハッキリとした認識を持っていたものは殆どいない。

 これについては細かな説明は要らないだろう。
白川日銀総裁の顔を見れば分かる。

 政治家の中にそういう情報を持ったものも勿論、皆無であった。
要するに、世界経済の特に、金融の裏舞台で何が起きているのかについてシッカリとした認識をしているものは日本のエリート層には皆無だった訳であるこれが日本の悲劇である

 グリーンスパンは悪人には違いないが、全てを知った上で見事な悪人ぶりを演じてきている。
日本のトップエリートは、彼らに比べれば、ひ弱な「善人」ばかりである。

 私は、自ら発行しているレポートの2008年1月号で、世界の同時金融危機の到来をハッキリと予測した。
何も、秘密情報でこれを予測したわけではない。
いくつかのソースからの情報はあったものの、基本的には公開情報と、推論からこの結論に到達したのである。

 私が予測できた事を、グリーンスパンやポールソンが予測できなかったはずは無い。
彼らは、悪を悪と知って、行ないながら、崩壊の時を迎えたのである。
日本とは何という違いであろうか?

 日本のトップエリートはあまりにひ弱であり、世界の裏舞台からも疎外されている。


 政治家や官僚や財界人が「善人」である必要は無い。
日本からは一流の「悪人」も払底してしまったのである。






日本はいつから多言語国家になったのか?

投稿日:2009,06,22

最近、非常に不愉快に思っていることが1つある。
それは、公的な場所において、様々な表示がシナ語や朝鮮語で行われている事である。

JRの駅などが典型であるが、英語表示の他に、シナ語と朝鮮語(ハングル文字)で表示が書かれている事が既に定着してしまっている感がある。

今日、警察の発行している遺失物の小さなパンフレットを目にしたのだが、これにも英語の他にシナ語と朝鮮語の但し書きがついているといった有様である。

日本は一体いつから、多文化主義やら多言語主義を、国の方策として採用したのか?




多くの人は、単に日本在住の外国人の人口が多い為の便方と考えるかもしれないが、私は言語と言う重大な点において、日本が外国に侵略されている事の表れとしか思えない

特に、シナと朝鮮に関しては、歴史教科書問題等において日本に対する不当な内政干渉を繰り返している国々であり、世界で最も反日的な政策を取っている国々である。
それらの国の出身者が、日本国内に多く存在するといっても、それらのまたかなりの部分は違法滞在である。
これらの違法滞在を含む外国人に対して日本人が媚び諂うように、彼らの言葉による表示を公の場所に掲げるのはあまりに屈辱的、かつ倒錯的ではないか?

欧米人であり、如何なる外国人であれ、日本に住んで働きたければ、日本語を理解しなければならない。
それは移民の国、アメリカですら常識である。
まして我が国は、大量の移民を受け入れる事を国として決断したわけでもなく、多言語主義、多文化主義を国の方策として採用したわけでもない。

シナ語や朝鮮語の氾濫は、日本人の日本人らしさを傷つける文化的な侵略の一環であると私には思える。

事実、シナの外交政策においては、巨大な人口を背景とした外国に対する、不法移民による人口圧力は1つの外交手段とすらなっている。
大量の合法・非合法を含む、シナ人を日本に送り込み、暴力団などを中心に、日本の治安を大いにかく乱し、違法に稼いだ金を掠め取り、更に日本社会全体にシナの影響力を拡大していくというのが、現在のシナ共産党が日本に向かって行っている隠れた外交政策の基本である。
まして、漢字が読めるシナ人は、日本の公的な場所の様々な表記については、大体の理解が出来るはずであり、これをわざわざ現代のシナの標準語に書き換える必要はないはずである。

アメリカの一部では、メキシコからの合法・非合法の移民が多いために、バイリンガル教育を採用しているところがある。
しかし、バイリンガル教育に対する反対の声は、メキシコ人の親達からもあがっている。
その理由は、バイリンガル教育を続けているために、子供たちの英語能力が一向に向上しないからである。
彼らは寧ろ、バイリンガル教育こそ、差別教育である、と訴えている。

アメリカ人の保守派の中には、英語をアメリカの公用語としてハッキリ位置づける法律を作るべきだとの主張もある。
アメリカのような移民によって成立している国でも、移民達がアメリカ英語を習得する事によって1つの国民になっていくというプロセスが根付いている。
まして、日本のような元来が移民によって成立していない国においては、日本に働きに来るものが日本語を学習するのが義務であり、当然のことであろう。

シナや朝鮮に媚びるような、そして彼らの文化的侵略を助長するようなシナ語や朝鮮語による表示には全面的に反対である。




「人間は『聖書』ではない」? NHK、朝の連続ドラマに思う

投稿日:2009,06,05

 NHKテレビ第一放送、朝の連続ドラマ『つばさ』を見ていて、面白いことがあった。

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イッセー尾形、扮する人物が主人公の少女、つばさに御説教をする場面があった。

 確か6月4日?放送分?、その中で彼は「人生は複雑であり、人間の中には美しいものばかりではなく、どろどろとした醜い欲望もある」というような教訓を少女に説くのである。
 それはそれでよいのだが、この時に、「人生は教科書ではないし、聖書でもない」というような表現が使われていた。

 「人生は教科書ではない」、は良いであろう。
人生は型どおりの建前だけではないと言うほどの意味であろう。

しかし、「聖書ではない」という表現は明らかに、この人物の説く教訓の内容と矛盾している。

 『聖書』というからには勿論、キリスト教の聖書のことであろう。
新約聖書はともかくとして、旧約聖書を読んでみると良い。
そこに現れているのは、人間の崇高な感情と同時に、人間のドロドロとした欲望が展開する様々な物語である

裏切り、殺人、姦淫、略奪、人間の考えうるあらゆる悪徳がそこには記録されている。

そもそも旧約聖書とは、ユダヤ人の民族の歴史なのである。

おそらくこの「つばさ」のシナリオ作家は、旧約聖書などは読んだことがないのであろう。
要は教養の欠如である。

公共放送であるNHKが、このような知的レベルの低い番組内容を垂れ流しにするというのは、まことに哀しく、憂うべきことである。


 これは、NHKの政治的立場とは全く関係がない。
NHKで番組制作にかかわる人々の知的水準が極めて低いことがココに痛いまでに現れている。

小野田寛郎先生の講演に感動

投稿日:2009,05,17

 5月15日(金)午後5時半から憲政記念館(東京都千代田区永田町1-1-1)で、小野田寛朗(おのだひろお)先生の『日本への遺言』と題する講演を拝聴した。
 あのルバング島30年の小野田さんである。
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私は、小野田先生の言葉の一つ一つに大いに感動した。

 涙が自然に溢れ出て、とまらなかった。
そして、大いなる勇気を頂いた。

 「小野田先生は今も頑張っていらっしゃる。私のようなものでも、何とか頑張ってやってゆけそうだ!」 そう思えたのであった。
深く感動し、確信したのであった。

 小野田先生、本当に有難うございます。
会を主催していただいた西山雅規さん、藤井勝さんのお二人に心より御礼申し上げたい。

 小野田先生の講演は質疑を含め、2時間に及んだ。
内容は多岐に渡ったが、特に感動した点のみについて記したい。

 外国人記者が小野田先生に次のように聞いたという
「貴方は30年もルバング島で戦ってきた。それなのに、何故?天皇陛下は貴方に会わないのですか?天皇陛下に会いたいとは思いませんか?」
これに対して、小野田さんは次のように答えたという。
「私は靖国神社に行き、皇居前広場に行ってご挨拶をして出征しました。
日本に帰って来た時も、靖国神社にお参りし、皇居前広場に行き、天皇陛下に帰朝のご挨拶をしました。
一少尉が陛下に個人的にお目にかかるという事などは思いもよらないことです。
日本人は、日本人なら、これで十分なのです。」
この小野田先生の言葉を聴いた時に、私は、思わず泣いてしまった。

また、外国人記者は次のような質問も投げかけたという。
「小野田さんは30年間も兵役についていたのですから、その間の報酬を国家に請求したらどうですか?」
小野田さんは帰国した折に厚生省から約23000円の支給を受けたという。
戦後、帰還兵に支給された額を元に計算されたものであるという。
小野田さんは、それ以外のものは国家からは一銭も受け取っていないという。
小野田さん曰く、「死んだ戦友のことを思えば、生きて帰っただけで有難い事です。お金をもらおう等と言う事は思いもよりません。日本人なら、それが当たり前でしょう。」
私はこの言葉にも深い感動を覚えた。

小野田先生は、中曽根康弘という固有名詞は出さなかったが、「大勲位」という言い方で、中曽根元首相を鋭く批判した。
今や、中曽根さんは親中派である。
最近の中曽根さんの言動が国益の為になっているとは思えない。
小野田先生もそう感じられているのであろう。
「大勲位は陛下に返上すべきです」
という言い方で中曽根元首相を批判されたのであった。

小野田さんが帰国された直後に、NHKが取材を申し込んできた。
日時を約束して取材に応じたが、その約束を無視して突然、自宅を訪問してきたという。
元々、嫌々受けた取材ではあったが、約束を無視されて、益々NHKの非礼な態度に怒りが込み上げてきたそうである。

突然たずねてきた記者を叩き帰したそうである。
「今度の台湾に関するの報道も事もありますが、NHKは昔からおかしいですよ」というのが、小野田先生の感想であった。
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小野田先生と同じ時代に生きている。
小野田先生のお話を直接、聴くことが出来る。
それだけで私には大きな感動である。


参考、ご紹介 : 小野田先生について = 公式プロフィール
          小野田先生がなさっている『小野田自然塾

こいのぼり

投稿日:2009,05,05

5月5日は「子供の日」。
旧い言い方で言えば「端午の節句」ですが、皆さんは鯉のぼりをあげたことがありますか?

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実は、寂しいことに私は一度も無いのです。

私には、今年、28歳になった長男がいますが、彼の為にも鯉のぼりをあげたことはありませんでした。
私が子供の頃は、一軒家に住んでいて、裏に物干し場くらいはあったのですが、堂々と鯉のぼりをあげるスペースはありませんでした。
私の長男が子供の頃にも、やはり住宅事情から鯉のぼりをあげることは出来ませんでした。

そういうこともあるのでしょう。

鯉のぼりを5月の空に高々となびかせている家を見ると実に羨ましい。
特にそれが地方の広々とした田園風景の中に泳いでいる鯉のぼりであれば、なおさら、その感を深くします。

鯉のぼりをあげてもらっている男の子は、今日の日本でも先ず、相当な幸せな子供の部類に入るのではないでしょうか?
私が子供の頃、武者人形は飾ってもらっていました。
特に、私の記憶の中では、元気のいい金太郎の人形が印象に残っています。
それから、玩具の冑、これは武者人形は無くて冑だけでしたが、そのキラキラとした美しさが今でもありありと思い出されます。
多分それらの人形は、私の母方の祖父母から伝わったものだったと思います。
両親に尋ねたことも無いので、そもそも誰から譲られたものかはよく分かりません。
ただし、それらが新品でなかったことは確かで、また、少々壊れたところもあったので、恐らくは先祖の誰かから譲り受けたものだったのでしょう。

柏餅を食べて、無邪気に銭湯の菖蒲湯に喜んでいた頃の記憶が懐かしく思い出されます。

そういえば、菖蒲湯というのも実によい習慣ですよね。

最後に菖蒲湯に入ったのは何時だったかなぁ?

私はちなみに文部省唱歌の「鯉のぼり」が大好きです。
今頃の季節になると、この歌が自然に口をついて出てきます♪


  甍(いらか)の波と 雲の波 ♪
  重なる波の 中空(なかぞら)を♪
  橘(たちばな)かおる 朝風に♪
  高く泳ぐや 鯉のぼり♪


 この歌は、歌詞も大変いいですが、メロディーが実にすばらしい。
まさに皐月の空を吹き抜ける爽やかな風を思わせる、心踊るメロディーで私は大好きです。

白いウサギと黒いウサギ? 

投稿日:2009,04,14

 メキシコの自宅では、ウサギを飼い始めていた。

 庭はそこそこの広さで、親類からもらった白1匹、黒1匹のウサギである。
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 滞在している1週間は、私がエサ係であった。
2匹とも仲良しで、カワイイものだ。


 次女の娘(大学1年18歳)にウサギの名前を尋ねてみた。

ペットとして飼っているのだから、名前ぐらいはあるのだろう、と思ったのである。

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 娘のハナコはニコニコして中々こたえない。
「是非、教えてくれ」と頼むと、こう言った。

「ブッシュとオバマだよ!」

 一同、大笑い。

 中々いいネーミングだ。

父親は犬か!?

投稿日:2009,03,25

ソフトバンクという携帯電話会社のCMが頻繁にテレビで放映されている。


ある家族を想定した携帯のCMなのだが、どういうわけだか、父親だけが犬である


多くの人は何気なく、このCMを奇妙なシュールなモノとして受け流しているようだが、私は実に気分が悪い。
日本の父親が犬であるということが、何という品格に欠けた、悪意に満ちたCMであることか!
よく考えてみて欲しい。

吉田茂邸全焼

投稿日:2009,03,22

大磯の旧吉田茂邸、通称ワンマン邸が全焼した。

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実は、私は、この建物の中に二度、入った事がある。
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大磯の隣町、二ノ宮に私も大変御世話になっている鈴木利男さんという方が住んでらして、この方のご案内で、内部を見学させてもらったのである。
一度は、ワンマン邸の中の食堂で、一同7,8人で食事会を催し、それが実に楽しい思い出となっている。
旧吉田邸は、私の記憶が正しいならば、西武資本の管理するところとなっており、鈴木さんが会社側と話し合って、私達を招待してくれたのであった。
食事会の料理は確か、大磯のプリンスホテルから取り寄せたのではなかったか?と記憶している。

食堂は、西洋風で大きく、縦に長いテーブルであった。
いつも吉田茂が座っていたという、席からは、正面に大きなガラス窓があり、その窓のかなたには、富士山が見えていた。
二階の吉田の書斎には、吉田が現役の首相である頃は、極少数の側近しか入れなかったそうだが、吉田専用の木製の小さな湯船があったのが印象に残っている。

吉田がこの建物から、東京に通うために、無理やり道路を整備させ、これがワンマン道路と呼ばれた事などは、比較的良く知られた戦後政治のエピソードであろう。
当時、若手の政治家であった田中角栄などは、大磯に来ても、このワンマン邸の中に入る事ができず、門扉にあるインターホンで、挨拶だけをして、帰っていったといわれている。
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私がワンマン邸を訪問したのは、既に7-8年前の事ではないかと思うが、当時、西武資本は、この邸宅と庭の管理の為に、月何百万円かを支出していたと聞いている。
放火による全焼ではないかと思うが、何らかの、政治的な意図が隠された事件なのかどうかは、今のところ全く分かっていない。

吉田の孫にあたる、麻生さんが現役の首相であるだけに何か、隠された政治的意図がある事件ではないかと疑ってしまう。
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ワンマン邸を案内していただいた鈴木さんは、大正13年の生まれで、(株)エスデージーの創立者、現在は、書道家として活躍されている方である。

一喜一憂しない日本人

投稿日:2009,03,15

先週、アメリカのダウ平均が、4日続けて上昇した。
大喜びしている人は多い。
ハッキリ言えば、喜んでいる人は愚かである。

「一喜一憂」という言葉を思う。
恐らく4月になるとアメリカで、生き延びられる銀行と、生き延びられない銀行が完全に区分される。
アメリカの株価は、この時点でさらに下がるだろう。
大局を見なくてはいけない!
一喜一憂してはいけない!

一喜一憂しない、腹の据わった、愛国心のある人物が世に出なければならないと思う。

私の言論活動は、その為にある。